第79話 天神の子(二)
天神が問う。
(お前は、赤い座敷童とは何なのか、知っているか?)
さくらは、答えなかった。
夏の怪談で話が出る前から、耳にしたことはあった。
だが、白い座敷童と呼ばれる者とは正反対に、『憑いた家を破滅させる者』という伝承があること以外は何も知らないし、ほかの座敷童も狐や河童も、やはり知らないと言った。
さくらは何度も、自分こそが赤い座敷童なのではないか――と思ったことはあった。
ほかの座敷童とは違って、真っ白な髪をしているから白い座敷童なのではないかと思う一方で、長い間変わらなかった深紅の着物、そして白い髪を呪うように咲き続ける赤い椿の花。
自分は、人間に災いをもたらす、祟り神のような座敷童なのではないかと――――
(さくらよ。座敷童とは、家に憑き、その家を栄えさせる者だ)
(だが、お前は家ではなく、人間に心奪われ取り憑いて、居着いた家を疎かにした)
(あやめは、善郎を守る為に波多々の家も栄えるように祈ったが、お前は違う)
(人間に執着した座敷童は、邪魔な人間を呪うようになる)
(呪った座敷童は、狂って赤い鬼と化す。家を滅ぼす程に狂った鬼に成る)
(そのような――――お前のような者を、人間達は『赤い座敷童』と呼んだのだ)
(狂った座敷童は、加護を与えることは出来ない)
(この人間は自分の物だと執着する印を付けて、己に縛り付ける運命を刻み込むのだ)
さくらは、愕然とした。
稔流を天道村に呼び寄せたのは、まだ赤ん坊だった稔流に出会い、さくらが加護を授けたつもりだったことが元凶だったと、天神は言っているのだ。
(健やかに育ち、稔りますように。遠く遠く、離れていても。大切な、私の稔流――――)
あの祈りは、本当の気持ちだったのに。
いくら天神様の細道を通して帰してやっても、さくらが《私の稔流》という印を刻んだから、稔流はもう一度さくらに巡り会うように、執着という呪いがかかった運命の輪が回ったのだ。
それでも――――
さくらは、稔流を信じた。
自分を許し続けてくれた、さくらだけを想い続けると誓ってくれた稔流を、信じる。そう決めたのだ。
「何とでも言え!私の望みも稔流の望みも同じだ!」
もう、『座敷童は誰とも結ばれない』などと、諦めることはしない。
稔流がそうであるように、さくらもまた、ふたりで共に幸福でいられる道を、諦める事は終わりにしたのだから。
「私が鬼であっても…『赤い座敷童』であっても、姫神様は《さくら》と名乗る私を消し去ろうとはしなかった!それ以上の事など、私は知らぬ!狭依も嫌いだ!波多々も勝手に滅べ!!」
(強情なことだ。憐れな子と思って、甘やかしすぎたか……。我の言うことだから聞けぬというなら、宇賀田の狐の子にでも言わせてみるか?)
「………!」
さくらは、稔流の名を聞いて、怒りが怖れを凌駕した。
「稔流を使って脅す気か!!」
憤ったさくらの口は、尖った犬歯が牙のように剥き出しになった。
「では狭依を消すまでだ。それも邪魔されるなら、波多々の者なら誰でも殺してやる!!」
(すっかり鬼らしくなった。我でも救えぬ。天王に気に入られるであろう)
「だからお天王様を鎮めて狭依を戻せと?嫌だ。狭依は嫌いだ!三太を使え!」
(三太では力が足りぬ。三太は平凡な座敷童だ)
(だが…さくらよ、お前は違う。お前だけが違う)
(まるで、我の一部であるかのように、雷と炎を自在に操るお前は、荒神なのだ)
さくらも、それは気付いていた。
座敷童でありながら、自分は天神に非常に近い存在だ。
自分よりも強い力を持つ座敷童など、長い長い時を渡ってきても出会ったことはなかった。
河童と狐を従わせることが出来る座敷童も、自分しかいない。
(何故、それほどに狭依を嫌う?…椿)
「その名は嫌いだと言った!!」
さくらの怒りと共に、稲妻が天を走った。
二回目に座敷童に生った時、記憶が髪色のように真っ白に消えてしまっていたさくらに、天神は《椿》の名を与えようとした。
でも、さくらは断った。
ぼんやりとした記憶だが、「つばきは嫌い」「名前は要らない」と答えた。
稔流から『さくら』という名を貰った時に感じたあたたかな喜び、嬉しくて、救われたような思いすらした感情とは、真逆の名が『椿』だった。
さくらは、狭依が稔流に想いを寄せるのは、確かに気に食わなかった。
でも、それだけでは説明が付かない、もっと根本的な憎しみがあるような気もしていた。
――――知りたくない。
知ってはいけない――――
(では…さくらよ。封印とは何の為にある?)
嫌だ。大嫌いだ。狭依の名も、椿の名も。
「封じる為では?それ以外に何がある」
もう、嫌だ。こんな話は。
もう、帰りたい。あの家へ。
(否。封印は、いつか解かれる為にある)
天神の返事に、さくらは茫然とした。
――――聞きたくない。
(消し去れぬものは、いくら蓋をしようともいつか放たれる。…《我が子》よ、お前の記憶のように)
「聞きたくない!」
さくらは、悲鳴のように叫び、うずくまった。
天神が、自分を《我が子》と呼んだ理由など。
「思い出したくもない!今更…!」
(思い出す、と言える者は既に《知っている者》だけだ)
「嫌だ!…稔流…!!」
さくらは、真っ黒な記憶の闇へと落ちていった。
(稔流、稔流、稔流――――)
大切な名前だけを、その胸に抱いて。