第77話 疫神(三)
「思ったより、だいぶ悪そうなんだよな…」
大彦が、片手でスマホを弄りながら呟いた。
「巫女舞すげー楽しみにしてたのに、出来なかったから落ち込んでるだろうなって思ってたんだけどさ…。あいつマメなのに、ラインの既読無視って初めてだわ」
意外にも狭依がスマートフォンを持っていたのは、『百物語みたいなこと』の時に初めて知ったが、メインは家族との連絡用とのことだった。
狭依は、一時期稔流と大彦に嫌われているのではないか、と悩んでいたようだが、大彦とライン交換するくらいには親しい間柄に戻れていたらしい。
「なあ、水疱瘡の痕って、そんなに酷いもんなのか?」
大彦自身は、幼稚園の頃の流行で罹患したが、軽く済んでよく覚えていないらしい。
そして、大彦は稔流が医者の息子だから聞いてみたのだろうが、その答えなら既にネットで調べて知っているだろう。
「人それぞれだよ。…男子より女子の方が気にするだろうね」
「だよな。あいつ、自分の取り柄は顔だけとか卑屈なこと本気で思ってそうだし、そのくせ無自覚に気位が高いんだよ。お姫様扱いで育ってきたからさ、『狭依ちゃん綺麗だったのに可哀想』とか言われるくらいなら、一生家から出ねえかもしんねーわ」
「…………」
(鳥海もほったらかした阿呆だが、波多々も比良も、しくじるくらいなら鳥海の伝手で陰陽師かいい拝み屋でも当たれと、私が教えてやったというのに)
と、さくらが舌打ちしていたのを思い出した。
(何か、悪い事があったの?)
(怪談遊びの時に大彦が持って来たアレだ)
さくらは、面倒臭そうに言った。
(お天王様を粗末にするからだ。平井寺でも鳥海の家でもいい、家宝程度に大事にして、毎日酒と水を供えるくらいの事をしておけば、天神様の子が祟られる事も無かったろうに)
(狭依は嫌いだが、先祖がしでかした失敗を、訳もわからずに被ったのは不憫ではあるな)
波多々の家が、天神だけを祀ってお天王様を追い出し、後に障りが出たら厄介だと仏の比良と共に封印してしまったのが、そもそもの間違いだったとさくらは言う。
鳥海は『王の末裔』ではあるが、祭祀にも仏法にも疎いのだから、頼まれて引き取ったものの、それ以上何のしようもない。
(お天王様は、とても強い疫神だ。心の底から丁重にお祀りすれば大きな加護が得られるが、無礼を働けば病で祟るくらい、分かり切っているものを)
狭依が祟られたのは、お天王様を追い出した天神の子――末裔であり、霊力が高い巫女であり、天神のお気に入りだったからだ、と。
「大彦君、五十物語の時に見せてくれたもの、あれからどうなったの?」
因みに、あの後狐の子供達に自宅まで送られた仲間は、朝に目が覚めて首を傾げたりパニックになったりで、連絡を取り合って小学校まで見に行った。
でも、何も無かったかのように南京錠が扉を閉ざしていた…という、これから末永く天道村で語り継がれるであろう怪談がひとつ誕生したのだった。
「…何でそんな事聞くんだ?」
稔流は端的に答えた。
「狭依さんを祟っているのが、お天王様だから」
大彦に遠回りは必要ない。いつか村長になるならば知っておくべき事だ。
「宇賀田の家は、それ知ってんのか?」
「俺が知っているだけだよ。ほかには誰も知らない」
「どうやって知った?」
「神様から聞いた」
「……そうか」
大彦は、疑問を持つ様子は無かった。
稔流ならばそうなのだろう、と納得するだけの感覚を大彦は持っている。
「じゃあ…、もう一度聞くけど、あの封印はどうなったの?」
「こればっかりはなぁ…。多分ヤバかったんだろうな。聞いてもじいちゃんも父ちゃんも教えてくれねえんだよ」
「…まずは、きちんと祀る事」
稔流は言った。
「場所は、『今は』鳥海の家よりも平井寺がいい。お天王様はお寺で祀る事が出来る神様だから。実際にそういうお寺があるから、正しい祀り方とお詫びの仕方を教えて貰った方がいい。……それは俺も知らない事だから。でも、大彦君は平井寺と情報を共有した方がいい。大彦君が引き継ぐ村の秘密を、子ども扱いで大彦君に伝えないのは間違ってるから」
「…………」
「…って、宇賀田の狐の子に姫神様が神懸かりした、とでも言っておいて。ちょうど神楽舞をやったばかりから、信じるしか無いと思うよ」
はあ、と大彦が溜め息をついた。
「俺さ…村長になるかどうかって、半々の気分だったんだよな。俺の年で、将来長になれって言われてもピンとこないだろ。……でも、こんなことになっちまったんなら、本気で継ぐって決めなきゃいけねえよな」
最後の方は大彦の独り言のようだったので、稔流は答えなかった。
「お前ってさ、…」
大彦が、じっと稔流の瞳を見つめた。
「人間か?」
的を射抜くような視線と、問いだった。
稔流は答えた。
「多分、半分くらい。…もっと変質しているなら4割。始まったのは小学校で一度死んだ時だけど、進行は速くなってる」
「…………」
「年明けには、俺はこの村からいなくなる」
「……わかった」
大彦は椅子から立ち上がった。
「覚悟しておく」
「…ありがとう」
「何が?」
稔流は、微笑をした。
「止めないでくれて。…ありがとう」
大彦は苦笑して、じゃあなと言って教室から出て行った。
これから授業なのだが、未来の長には優先すべき事が多い。
「俺達が、ただの子供のままでいるって、難しいね…」
本家という、加護と祟りの狭間にいる者にとっては。
さくらに会いたい。そう思った。