第75話 疫神(一)
(狭依お嬢様……なんて惨いこと……)
(天神様の御加護があるはずなのに…)
(お天王様の祟りというのは――)
(シッ、滅多なことを言うんじゃないよ)
聴覚が鋭い狭依には、全部聞こえているのに。
(こんなの……嘘……嘘だ、きっと、悪い夢を見てるだけ。目が覚めれば――)
――違う。現実だ。この苦しみも、絶望も。
水疱瘡は、幼い時期に罹った方が軽く済む。実際、幼稚園で流行った事があったことをおぼろげに覚えているが、感染力が非常に高い病気のはずなのに、狭依は罹らなかった。
天神様のお気に入りだからと、周囲の者は言った。
狭依は、《神聖な客人》である母から生まれ、巫女の資質も高く、神に愛された特別な子として育った。
でも、そんなものは迷信だったと思い知る。
一生に一度は罹る病気から、いつまでも逃れられるはずはなかったのに。
十三歳という年齢は、水疱瘡に罹るには遅い方だ。一般的に、遅いほど症状は重くなる。
お人形さんのように可愛らしい綺麗な子、と言われ続けてきた狭依の全身には、赤い水疱がボコボコと散らばっていた。
頭皮にまで水疱が出来て、掻きたくなるのを必死に我慢した。
熱も高い。40度を超えたのは、まだよちよち歩きだった頃、インフルエンザに罹った時以来だと母は言った。
苦しい、痒い、痛い。そして、何よりも、
――醜い。
友達にも、水疱瘡の痕が残っている子がいた。
額に二箇所、小さく凹んでいる部分があったが、前髪で隠れるので本人もあまり気にしていないようだった。
でも、狭依はそのくらいでは済まないと、自分でわかっていた。
こんなにも大小の水疱が化膿しているなら、それはたくさんの大小のかさぶたになり、そのかさぶたが取れる時が来ても凸凹の痕が残るだろう。
思い知る。
自分から容姿を取り上げたら、他に何が残るというのだろう――?
何も無い。そう思った。
生まれた環境は、村では家格の高い裕福な家で、両親も祖父母も可愛がって育ててくれた。
勉強も、あまり頑張っていないようなのに学年トップレベルの大彦のようには行かなかったが、努力しただけの結果は出た。
運動神経も中の上くらいだったので、体育の授業も運動会もそれなりに楽しんでいた。
不足することがない子供。それが狭依だった。
でも、綺麗な容姿が他の長所よりも抜きん出ていた為に、周囲からの評価も見かけが綺麗であることに集中してしまった。
綺麗じゃない私には、もう何の価値も無いんだ――
狭依は、『村一番の器量好し』という地位から、『可哀想』で『あんな風にはなりたくない』存在へと転落した。
もう、広い世界を見渡すことは出来ない。俯いて生きていくだけの、あまりにも長い余生が待っているだけだ。
(嘘だと、言って。誰か――――)
往診に来てくれた村の唯一の医師・宇賀田豊は稔流と似た容姿の穏やかな人物で、稔流と同じように嘘や気休めは言わない人なのだと、狭依は思った。
(痕は残りますか?)
ぐったりとしている狭依の代わりに、そう尋ねたのは母だった。
(消えるか目立たなくなるものもありますが。残るものもあるでしょう)
決して、元通りに綺麗な肌になるとは、言わなかった。
(お天王様……)
『てんのう』は天皇のことではなく、牛頭天王という由来が不明の神の名で、疫神でもある。
流行病を司る神で、わかりやすく言えば疫病神だ。
疫病神なのに信仰されるのは、疫神だからこそ、病を避けたり収めたりすることが可能だからだ。
明治時代の神仏分離の際に、牛頭天王を祀る寺は廃され、多くは八坂社、祇園社と呼ばれる神社に、素戔嗚尊という荒ぶる神と同一視して祀られる形になった。
天道村でも、牛頭天王は《天神》と共に祀られていたのだが、波多々の家では、天神と牛頭天王は全く別の神と見なされていた。
時の政府の意向で、牛頭天王への信仰が良しとされなかった時代、霹靂神という天神を祀ってきた波多々の一族は、彼らの祖神の名を素戔嗚尊に置き換えることを拒んだのだった。
その頃、日本全国で牛頭天王の神像は、破壊されたり川に流されたりして、多くが失われた。いっそ、そのように信仰を捨てて、神像を大地や海に帰した方が、何事もなく済んだのかもしれない。
だが、天道村では霹靂神の信仰に追い出され、行き場を失った牛頭天王の神像を、小さな社の中に封印するという、中途半端なことをしてしまった。それが、大彦が五十物語の時に見せた画像だ。
拝まれることも世話をされることもなく、古い蔵の中に置かれたまま、誰からも顧みられなくなって久しかった。
そして、画像の通り、封印の紙札は劣化していて、封印に綻びが出ていたのだった。
(……お天王様の祟りでは――)
「おか……さん……」
狭依は、枕元で看病してくれている母に言った。
「お天王さまに……あやまれば、治してもらえる……?」
「……。お父さんやおじいちゃんに、聞いてみましょうね」
でも、狭依はわかっていた。父も祖父も、そうは出来ないのだと。
一度封印したものを解放するのは、それこそ祟り神を解き放つのと同じことなのだから。
水疱瘡では済まない疫病が蔓延し、病だけではなく大きな災厄が、村に訪れる。
生まれついての巫女である狭依は、誰に教えられた訳でもなく、本能のように理解していた。
高熱と疲れに、ぼんやりとした眠りに落ちてゆく。
落ちてゆくのに、狭依の意識は神社へと浮遊していた。
いつの間にか、神楽殿を天井から見下ろすように、巫女舞が始まるのを見ていた。
(どうして……?)
巫女が七人いる。
狭依のほかに、宇賀田拓も欠席と聞いた。ならば、ふたり欠けた巫女たちは六人で舞うはずなのに、何故か一人多い。
(誰なの……?)
狭依の特別な舞を、特別な場所で舞っているのは。
その巫女は、ふたりいた。
狭依が踊るはずだった舞は、ふたりが舞っていた。
ひとりは、別人のように――姫神が降りたように舞う、金色の瞳の宇賀田稔流だった。
もうひとりは……




