第74話 巫女舞と座敷童(三)
(さくらの着物って、替えられるものだったの?)
と心の声で尋ねた。
思い返せば、プールでは可愛いワンピースの水着を着ていたという例外はあるのだが。
「白狐殿の力を借りて化けた。効き目は一刻ほどだな。巫女舞の間はどうにかなる」
一刻ならば二時間だ。そのくらいの時間があれば、余裕を持って入り込み、そして抜けられるだろう。
ふと、さくらが微苦笑した。
「私でなければ、狐の術で丸一日くらい姿を変えたままでいられる。黒髪でなければ半日はもつかもしれないが、……でも、私は白い髪と椿の花からは、どうしても逃れられないらしい。一刻が限界だ」
「…………」
どうしてなのかは知らないけれども、さくらが真っ白な髪なのも椿の花びらをいくら毟っても元通りになるのも、何らかの縛り――――呪いか祟りのようなものがあるのだろうと、稔流は思った。
それでも――――
「たまには、いいんじゃないかな。黒い髪になるのも、巫女装束になるのも、冠を被るのも」
しゃらんと音を立てる飾りが付いた冠は、さくらにとても似合っていて、
「すごく綺麗だよ。さくら」
「……………………」
おしろいを塗っていても、その内側から頬が染まって仄かに桜色に見えるのも、とても――――
「私のことはもうよいから、稔流もキッチリ美しく飾ってこい!!」
「うわっ!」
背中をどーんと突き飛ばされて転びそうになったが、祖母が呼びに来て化粧と着付けをされることになった。
「えーっ!?稔流君、きれーい!!」
他の一日巫女たちがキャッキャしている。
少女漫画のヒロインなら「これが…私…?」と鏡の前で瞳をキラキラさせる場面だろうか。
稔流の髪はきつね色だし、何より短いのでかつらを被るしかない。
そして、黒髪に金色がかった瞳の、幻想的な人外みたいな雰囲気を醸す巫女が出来上がった。
「ふむ。なかなかに美しいな。流石は稔流だ」
「どの辺、流石なんだろうか……」
「同じ年頃の豊にそっくりだぞ」
「…………」
稔流は遠い目になった。
父からそんな話は一切聞いたことがない。黒歴史を息子に話したくなかったのだろうか。
そして本番前の打ち合わせ。ひとり足りないので、位置を調整しなければならない。
予定では、所謂センター役が狭依。その後ろに三人、更に後ろに四人、という配置だった。
今回は、さくらが代打で狭依の位置に来るのだが、その後ろは三人ずつというのが妥当だろうか?
「…否、先頭に二人、後ろに三人、その後ろに二人、の方が全体的に丸く収まって、前から見た時に全員がよく見えるだろうな。せっかく着飾ったのだから、全員に見せ場があった方がよいだろう。目立たない場所で舞うのは勿体ない」
「俺は目立たない場所にいたいんだけど…」
とは言えない空気。
「先頭に二人…って、さ…」
くら、と言いかけて、稔流は止まった。
どうしてか、その名は他人の前で言ってはいけないような気がするのだ。
「ああ、私が一番舞えるから前に出る。ダブルセンターとやらで、稔流も前に出ろ」
「何で!?」
「練習では、狭依も驚くほど美しく舞えたのは稔流だ。すくすくと身長も伸びたことだし、見映えがする」
「…………」
映えなくてもいいのにと思う、今日で満年齢13歳・宇賀田稔流。すくすく育って身長165cm。両親に似て長身の部類に入ってきた。
そこで、稔流は心の声に切り替えた。
(えっと…今更だけど、本番に出たら人数が合わなくて騒ぎになるんじゃないの?)
「なるかもしれないな。でも、狭依は天神様の巫女だ。狭依以外ならひとりふたり欠けても舞は奉納できる。でも、本来は誰が欠けても『波多々の最も高貴な巫女』だけは欠けてはならないものだ。狭依が舞えないのなら、代役は天神様に気に入られている私くらいしかいないから、仕方が無い。稔流は、宇迦の姫神様に気に入られている《狐の子》だから諦めろ」
天神とは雷神のことだ。座敷童がみな雷と炎を操ることが出来るのではなく、さくらが特別な存在だということなのだろうか。
もうすぐ出番だよ、と祖母から声がかかる。
今日は様々な神楽が奉納されるが、その始まりが巫女舞だ。
この神楽殿で舞うのは初めてだ。神聖な場所なので、練習に使う訳にはいかなかったからだ。
(大丈夫だよ、稔流。ひとりじゃない)
さくらの声が脳裏に響いた。
観客のざわめきが、聞こえなくなった。この舞台の上だけが別世界になったように、空気と光が澄み渡る。
音楽が奏でられると、巫女たちは一度手に持った神楽鈴をシャンと鳴らしてからゆっくりと腕を巡らせた。体の向きを変えれば、冠の飾りがしゃらんと透明な音を立てる。
(稔流、私に合わせろ)
桜の女神のような巫女が微笑む。
途中から狭依だけが担当していた舞に入ったが、気持ちは緊張して焦っているのに、体は不思議なほど自然に動いた。
そして、さくらは舞を変えた。稔流と鏡合わせに舞い始めたのだ。
ふわり、ふわりと袖が揺れ、手に持った神楽鈴を振るとシャン、シャン、と綺麗に音が揃う。
さくらと一対になって舞うのは、まるでこの時が始めてではないような気がした。
――――そうだ。一対だったんだ。
俺と、さくらは、始めから――――
稔流の意志とは関係無く、稔流の心を置き去りにしたまま、天道村に引っ越すしかなかったと思っていた頃もあったのに。
今、こうして鏡合わせに舞えば、ただただ自分が生まれついた運命の星の下に導かれ、さくらとの再会を果たしたのだと、こうして魂をひとつに重ねるために出会ったのだと、理屈でなく悟った。
シャン、と最後の神楽鈴が鳴って、舞は終わった。
観客から拍手が起こって、稔流は何が起こったのかわからなかった。
…そうだ。ここは、今自分が生きている、『現実』という名の世界だ――――
「お疲れ様。とっても綺麗な舞だったねえ」
と祖母や手伝いの女性たちに労らわれても、稔流はしばらくぼぅっとしていた。
(さくら…?)
もう、居なかった。
一刻という時間が与えられていたなら、もう少し一緒にいられるはずなのに。
「……俺が女装じゃイマイチか」
稔流は神社の社務所で着替えて、ガッチリ化粧をした顔をバシャバシャ洗った。
鏡に映っているのは、髪の色と目の色以外は平凡な自分の顔で、当たり前なのにほっとした。
「稔流ちゃん、どこにいくの?」
「……約束してるんだ」
稔流は祖母に笑いかけると、駆け出した。
きっと、綺麗な巫女装束のままのさくらが、何処かで待っているはずだから。
そして、稔流のためだけの舞を、美しく舞ってくれるはずだから。