第61話 あの子の思い出(三)
(行きはよいよい)
(帰りは――――)
「……あ!ねこさん」
ねこさん、という言い方が、育ちのよい都会の子という雰囲気で、可愛らしかった。
でも、狭依のそういう気持ちが、稔流をイヤな気持ちにさせてしまったのだろうか。
男の子には『かわいい』は褒め言葉ではないから。
大人や女の子が、とても好意的に言う『かわいい』は、大彦なら『うぜえ』のだし、稔流は口に出さなくても『はずかしい』『くやしい』ものだったのかもしれない。
「いっぱいいる!」
見た事もない、誰が住んでいるのかもわからない古民家だった。雨戸も障子も明け放たれていて、畳の部屋の中にも、縁側にも、庭先にも、たくさんの猫が思い思いにそれぞれの場所で寛いでいた。
「猫の集会だ。時々こうして集まる」
そう言った女の子に何匹かの猫が駆け寄って、すりすりと頭を擦り付けたり、足元をくるくる回ったりして懐いていた。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
慣れた手つきで女の子が猫ののどを撫でてやると、気持ち良さそうにゴロゴロとのどを鳴らす。一緒に歌っていた男の子やお姉さんも、猫に好かれているようだった。
「あっ!にげた!」
「急に抱き上げるからだ、王の子。向こうから寄ってくるのを待て」
「こねえし」
「私や、----や------の所に来ているのを、どさくさに紛れて撫でてみろ」
きっと、その時男の子やお姉さんの名前を呼んだのに、覚えていない。
「あれ?みたらし!」
狭依は驚いた。狭依の家で飼っている猫もここに来ていたからだ。
「みたらし……?」
しゃがんで猫を撫でていた稔流が、きょとんとして狭依を見上げている。
初めて、稔流の金茶色の目が、狭依の目を真っ直ぐに見つめていた。
「えっと、ね。もようが……」
『みたらし』は、白いおだんごの上にみたらしあんをかけたような模様の猫で、命名は狭依だった。
「ほんとだ!」
稔流は笑った。
「かわいい。きつねいろににてるね」
初めて、稔流が狭依だけに向けてくれた笑顔だった。
狭依は嬉しくて、もっとこんな風に仲良くなりたいと思った。
それからしばらくして、稔流は東京に帰っていって、狭依は寂しいと思った。
あの小柄な可愛い男の子が、もっと笑ってくれたら……
一緒に遊んだ時間は短かったのに、その気持ちは長く残った。
そして、次の冬や、次の夏もみんなで遊んだ。
楽しいのに、ふたりだけで遊べたらと、ふと思うことがあった。
稔流とふたりになっても、ふたりで出来る遊びは限られるのだし、きっと狭依も稔流も困ってしまうだけなのに。
「ね、みのるくん」
一度だけ、勇気を出して、こそりと言ってみた。
「おとなになったら、わたしと結婚してくれる?」
稔流は、不思議そうな顔をした。どうしてそんな事を言うのか、わからなかったのかもしれない。
稔流ははにかみ屋だったけれども、つぶらな金茶色の瞳は綺麗なビー玉のようで、恥ずかしがっている様子はなかった。
「……。ぼくは……」
その時、稔流の母が迎えに来て、稔流は走って行ってしまった。
稔流がどんな返事をしようとしたのか、狭依にはわからないままだった。
それでも、年に一度か二度、ずっと一緒に遊べるのだとばかり思っていたのに。
(宇賀田の狐の子が)
(神隠し――――)
大人達が、ざわついていた。
稔流の母が誰よりも心配した顔で青ざめていたから、いなくなったのは稔流なのだと、狭依はわかった。
その後、稔流が見付かったと耳にして狭依はホッとしたけれども、その年は遊ぶことなく宇賀田一家は帰って行ってしまった。
(本当にいいの?)
(二度言わせるな。--------を通して帰してやれば、稔流はこの村も私の事も忘れる。……それでいい)
狭依は驚いた。宇賀田本家の屋根の上に、毎年稔流たちと一緒に遊んでいた女の子とお姉さんが、去って行く車を見送っていたから。
どうやって登ったのだろう?あんな高い所に立って、怖くないのだろうか?
ふたりの歌声が風に乗って村の外へと流れてゆく。
(通りゃんせ 通りゃんせ)
(ここはどこの 細道じゃ)
(天神様の―――……)
「お前、見ていたな」
いつの間にか、あの女の子が目の前にいた。
狭依はとっさに、怖いと思った。
本当は、気付いていた。みんなで遊んでいる時、この子だけは、狭依を嫌って鋭い目をしていた事を。
でも、怖いと思ったのは、それだけではなかった。
その女の子は、とても綺麗だった。怖いくらいに、綺麗で、美しかった。
ずっと可愛い子と言われて育ってきた狭依が、敵わないと思うほどに。
(稔流は忘れる)
(お前も忘れろ)
――――狭依は、忘れた。
大彦に「稔流が村に来たのに1週間遊べなかった」と言われても、ピンと来なかった。
来たとは聞いたような気がするけれども、会えなかったしもう帰ったというのも、大彦に聞いて初めて知ったから。
そして、狭依と稔流と大彦のほかに、何人か子供がいたような気がするのに、やはり思い出せないままだった。
ただ、あの子とまた会えたら……
そう思った。