第58話 バレンタインデーと座敷童(四)
「操もアイツも、知ってんだろ?稔流の自己紹介」
「好きな女子のタイプをあんたが聞いて、コイツが『綺麗な人』とか最低な答えをしたやつ?」
「最低じゃねえよ」
大彦の声が、低く変わった。
「綺麗な人ってハッキリ言うくらい、稔流には綺麗だって思ってる彼女がいるんだよ。他の女が泣いても、お前が責めても、稔流の好きな女は変わらない。普通、綺麗な女が好みだって聞いたら、大抵の女は諦めるだろ。稔流は始めから予防線張ってたんだって気付けよ」
「はあ?狭依は自分は綺麗だと思っていい気になって、友チョコの振りして渡してたじゃないの!」
「…………」
大彦が、溜め息をついた。
稔流も、遠い目になった。
それ、人前で言っちゃダメなやつ。
「操さんって、失礼だね」
稔流は操の横を通り過ぎる時、細めた金の瞳でチラリと操を見た。
「俺は、好きな人以外の心は、誰からも受け取らない。それに、狭依さんは村一番の器量好しって言われていても、いい気になるような人じゃないよ」
狭依は、覚えているはずだから。
稔流のお見舞いに来て、手作りのお菓子を拒まれて「ごめんなさい」と言ったことを。
狭依はいつか、自分で自分の心を整理出来る日が来る……きっと。
「それから、次郎商店の袋に入れたのは、あれが一番目立たなくて、帰る時に特別な持ち物に見えないと思ったから。ホワイトデーじゃなくてすぐに返したのは、少しの期待もさせない方がいいと思ったから」
稔流は、背を向けた。
「俺は、優しくないよ。……悠子さんかな、そう言っておいてよ」
並んで廊下を歩きながら、大彦が言った。
「悠子は、見る目はあるんだよなあ」
「どうして?」
「少しの期待もさせない方がいいって、優しい奴の発想じゃん」
「…………」
稔流の返答を待たずに、大彦は話題を変えた。
「お前さ、操に何かした?」
「された側だよ」
「だよな。操の奴、何でびびってたんだろ?珍しい……っていうか、幼稚園で蜂に追いかけられた時、泣いて逃げてたの以来だわ」
「…………」
人間関係が変わらない村の子供達は、今でも保育園や幼稚園の運動会の話題で盛り上がれるほど、同じ記憶を共有している。
自分が忘れたくても周囲が覚えているので、過去に消しゴムをかけることは出来ない。そして口伝になるという山村ホラー。
「俺は、八つ当たりで暴言を吐く操さんしか知らないよ」
「あー、操って、狭依とは違う感じに面倒見がいいんだよ」
同学年は全員幼馴染で、リーダー格の大彦は違う面も知っているし、操のフォローもしたいのだろう。
「悠子が泣いて頭に血が上っちまったけど、情が深い姐御肌って感じでさ」
「そう。任侠あるヤクザみたいな人なんだね」
「そうじゃなくて、……いや、いーわ。稔流は被害者だもんな」
「そうだね。どんな理由でも許せないから」
「それ、俺が聞いてもいいやつ?」
「俺が好きな人のこと、いないに決まってるって言ったから」
大彦は、きょとんとした。
「二次元の俺の嫁とかいうやつ?」
「さあ……雷が落ちなくて良かったね」
「笑えねえよ!」
本当は、いるのに。殆どの人間には見えないだけで。見える目がないだけで。
誰にも解って貰えない存在と、それでも選んだ幸福。
覚悟はしていたけれども、さくらが存在しないなんて、許せなかった。
「それに……」
これ以上は話せない。決して理解されない。そう思ったのに。
秘密は、少しだけ、明かしたくなる時もある。
「彼女って言うか、婚約してる」
「ええぇ!?マジか!!」
「マジで」
稔流はそれ以上話さなかったし、大彦も何も尋ねてこなかった。
そうだと知っていたから、言ってみたかった。
大彦は、稔流が命を懸けたことには本気で心配して、本気で怒ったけれども、――――だからこそ、人望を集める強い大彦は、いつか稔流が姿を消してしまっても、両親のようにいつまでも悲しみを引きずることはしないのだろう。
だから、いつか、安心してこの世に置いていける――――
しゅるん、と毛並みのいい襟巻きみたいなのが巻き付いてきた。
「むすび、どうしたの?」
「こんな所にいたのか」
ふと見れば、いつの間にか隣にさくらが立っていた。
稔流が佇んでいたのは、宇賀田家の墓の前だった。
双子の妹の名前と、命日――――稔流の誕生日が刻まれている場所。
「稔流は、ここが嫌いなのかと思っていた」
「……好きじゃないよ」
もうこの世にいない人達が静かに眠っている場所には、嫌いということばは、鋭すぎて。
「ひい爺様の仏壇にでも供えるのかと思っていたよ」
墓石の前には、友チョコの袋がふたつ置いてあった。
「みのりが生きていたら……チョコって好きだったのかな」
「知らん」
「…………」
「でも、顔も知らない妹に食べさせてやりたいと思う稔流は、優しい兄だよ」
「心配して俺を捜してくれたさくらも、優しいよ」
さくらは、じろりと稔流を睨んだが、ふっと目を逸らした。
「……好きに思えばいい」
墓に食べ物を置いておくとカラスが荒らしてしまうので、稔流はむすびに頼むことにした。
「これ、ひいおじいちゃんの仏壇にお供えしてきてくれるかな」
むすびは、コンと一声鳴くと、にふたつの袋のリボンを咥えて、しゅるんと姿を消した。
「太一は、甘味が好きだったよ」
「そっか、だからいつもお菓子が供えてあるんだね」
その甘味とは和菓子なのだろうけれども、曾祖父にあげるのが一番いいのだろうと稔流は思った。
―――1年後―――
稔流は、深夜0時ではなくて、目覚まし時計の音で目が覚めた。
眠いと思いながら布団から手を伸ばしたが、その前にさくらの白い手がポンと目覚ましを叩いてアラームを止めてくれた。
「あ……さくら、おはよう」
「今年はこれだ!」
目をきらきらさせながらさくらが見せてくれたのは、
……明@ア@ロチョコレート。
宇宙船にちなんだ名前、と言ってもさくらは知らなそうだが。
「チョコも可愛いが、この謎の色合いのうさぎも可愛いぞ!」
確かに、大自然の何処を探しても、ピンクとチョコレート色のうさぎはいないだろう。
「ようかんはやめておいた」
「…………」
ひょっとしたら、女性から男性に贈る甘味は和菓子ではなく、チョコレートが標準だということを知って落ち込んだのかもしれない。
「それとも、これはうさぎに見える、うさぎではない何かなのか?」
「うさぎだよ。いちごが好きな女の子なんだって」
「ふむ、詳しいのだな」
「俺も、謎だと思って調べたことがあるんだよ……」
@ティーちゃんが実は猫ではなく、猫を飼っている設定だと知った時、かなり衝撃だったので。
そして、今回のア@ロはどこで買ったのだろうか……次郎商店で売っていたのだろうか?
この村でお菓子を買える所は次郎商店だけなので、そうであって欲しい。財源が神社のお賽銭なのは、仕方が無いとして。
「稔流、大好きだ。だからプレゼントだ」
「ありがとう。……大好きだよ、さくら」
稔流は、箱を開けてひとつぶ取り出すと、さくらの口にぽろんと入れた。
「……おいしい!」
さくらの目がキラキラだ。家には和菓子しかないので、チョコレートの風味や滑らかな口溶けが新鮮なのだろう。
「でも、どうしてひとくち目が私なんだ?稔流にあげたのに」
稔流も、ひとつぶ食べた。以前の学校の遠足を思い出す。普段の稔流はあまりお菓子は買わないけれども、遠足のおやつを自分で選ぶ時には、よく買っていたから。
「さくらと一緒に食べたかったんだよ」
さくらはきょとんとしたけれども、すぐに嬉しそうに笑った。
「うん。稔流と一緒だと、何でもおいしい」
――――ほら、座敷童はいるんだよ。
誰にも見えなくても、小さな神様は、いつも稔流のそばに。