第57話 バレンタインデーと座敷童(三)
さくら以外からの『特別』な心は受け取れない。
稔流はその心に対して自分の『特別』を返せないのだから。
だから、下駄箱の中にそっと返して、静かに終わりにした。……と思っていたのに。
「ちょっと!次郎商店の袋に入れて次の日に返すって、酷すぎない!?」
「…………」
「断るにしたって、ホワイトデーに小さめでもいいからお返しのプレゼントして、手紙を添えるとかするもんでしょ!!」
「…………」
稔流は空き教室に呼び出され、ビシィと人差し指を突き付けられていた。
因みに、次郎商店とは、お酒と少々の食品、雑貨を売っている、村で唯一の商店だ。
そして、稔流を相手に怒っている女子の名札には、宇賀田操と書いてあった。
クラスは5年1組なので、2組の稔流と会話というか会話にならないことになったのは、これが初めてだ。
「人を指差してもいいと思っている方が、酷いと思うけど?」
「勇気を出して告白した女の子を泣かせていいと思ってんの?サイテー!!」
「…………」
稔流が黙ったのは、面倒なのに絡まれた……と思ったからだ。まともに相手をしない方がいいと思う。
事情は大体分かった。本命チョコをくれた3人の女子のうち誰かが宇賀田操と仲が良く、プレゼントを返されて泣いてしまったので文句を言いにきたのだろう。
が、本人ならともかく、その友人という赤の他人で外野の女子に責められるなんて、理不尽だ。
「じゃあ、俺は最低だからやめといた方がいいよって言っておいて」
と言って稔流は背を向けたのだが、
「勝手に帰るなよ」
と腕を掴まれて、逃げ損なった。
女子なのに結構な握力だ。もやしの稔流は何事も無かったかのように歩いていないでダッシュで逃げればよかった、と思った。
「勝手も何も……何で俺が操さんの言うこと聞かなきゃいけないの?」
「あんたこそ、話の途中で何なの?人の話はちゃんと聞きなさいよっ!」
「イヤだ」
力では負けているが、単にそれだけだ。
「俺は、操さんの話は聞きたくない。操さんが俺をどうしたいかも、興味がない」
「何それ?本家だからって、全員が拓みたいに凹むと思うなよ」
拓は女子からは『たっくん』呼びだと大彦から聞いていたけれども、操は例外なんだなあ……何故か『本家』がここで出てくるし、拓も『二の分家』だから『いい家』と権力争いに負けた歴史があるんだろうか……どうでもいいけど。と、稔流は適当に応えた。
「宇賀田の狐の子に逆らうと、神様が降臨して祟られるから何もしない方がいいって、たっくんから聞いてない?」
「そんなの、本気にする方が馬鹿でしょ。神様がどうとか妖怪がどうとか……ほんっとくだらない。この村の奴らって全員頭おかしいんじゃないの?そんなの、《《全部いない》》に決まってんのに!!」
「…………」
稔流は、黙った。黙って、宇賀田操を見た。
それだけなのに、宇賀田操は《ひる》んだ。
操は、自分が怯んだという事実に、怯んだ。
操を見つめる宇賀田稔流の瞳が、金色の光を帯びている。
光の色をしているのに、その奥には昏い炎が宿っている。
――――本家の『狐の子』。神隠しから帰って来た、『幸いを呼ぶ子供』。
一度は心肺停止したのに、死の淵から蘇った『姫神様の末裔』――――
宇賀田稔流を殺しかけた教師は『天神様の雷』が直撃して即死した。
天神様がお怒りになったのだ。神隠しから戻った『幸いを呼ぶ子共』を殺そうとしたから、祟られたのだ――――
その噂は、あっという間に村中に広がった。そして、今でもひそひそと村の至る所で囁かれ続けている。
きっと、村の世代が入れ替わる頃には、伝説へと昇華していることだろう。
操は、心の中で打ち消した。
――――そんなの、ただの偶然だ。
みんなが勝手に信じたり、ありがたがったり、怖がったりしているだけだ。
そんな、《《人間じゃないみたいな奴》》がいるわけがない。
天神も、姫神も、妖怪も、そんなのは迷信で、いるわけが――――
「……もう一度、言ってみなよ」
静かに、稔流がそう言った。
静かなのに、その声は呪縛のように響いた。
「もう一度、言って《《みろ》》。何が……《《誰が》》、いないって?」
稔流は背が伸びたけれども、この年頃は女子の方が早く成長期が来る。
だから、稔流と操の視線はほぼ同じ高さのはずなのに。
まるで、手が届かない高みから、見下ろされているみたいだ――――
「か……」
それでも、勝ち気な操は自分の掠れた声が許せないと思いながら叫んだ。
「神様も、妖怪も、いないって言ったんだよ!全部、迷…」
…信だろ、と言い捨てようとしたのに。
「本当に?」
稔流が――――宇加賀稔流《《ではないかもしれない誰か》》が、薄く笑った。
「天神様も、姫神様も、妖怪も……、狐も、《《座敷童も》》……?いないって?」
――――違う。……違わない。
これが、宇賀田稔流だ。本当の――――
金色の瞳の奥の炎が、音も無く燃え盛っていた。
「赦せないな。《《お前》》は、言っていい事と悪いことの区別がつかないのか?――それとも、天の雷で消し炭になりたいのか?」
「…………」
「善悪の問題じゃない。善神も悪神も、人間が勝手に分けてそう呼んでいるだけだ、本当は《《どちらも同じ》》だよ」
「…………」
「妖怪も、同じだよ。妖怪は《小さな神様》だから、何をしようが善も悪も無い。お前たち《《ごとき》》に、その姿が見えていようといまいと……」
――――声が、出ない。体が、動かない。
ただ、操の震える手は、宇賀田稔流の腕からずるりと力無く滑り落ちた。
目を、逸らせない。これ以上、見たくなんかないのに。
稔流が、操に一歩近付いた。
金の瞳が、怒っている。――――神様が、怒って――――
「神様も妖怪も、いるよ。神社に行かなくても、山奥の沼に行かなくても、桜の花が咲いていない季節でも」
「…………」
「神様も妖怪も、どこにでもいる。今だって……ここにいる」
「…………」
「わからないのなら……」
神が、嘲う。
「見せてやろうか?」
見ては、いけない。あの金色の向こう側を。
昏いのに輝いている、あの炎の中を――――!
操は、真っ暗な闇に突き落とされた。
真っ暗なのに、見える。見てしまった。
雪のように真っ白な長い髪。椿の花のような深紅の着物。 宝石のような黒い瞳。そして、鬼のような角の――――
天を引き裂く稲妻のように恐ろしいのに、圧倒して咲き誇る桜の花のように美しい――――
「操、やめとけよ」
ガラリと戸が開き、はっと、操は我に返った。
大彦が、操を見据えていた。暗闇ではない。昼休みの空き教室だ。
「仕返しして欲しいって頼まれたのか?」
「ち、違うってば!私が腹立ったんだよ!コイツがひどいこと……」
「操さん」
操は、ビクッとした。目の前には、微笑を浮かべている宇賀田稔流がいた。
「手、放してくれるかな。痛いよ」
「え……」
見れば、操の手は稔流を強引に呼び止めた時のまま、稔の腕を無造作に掴んだままだった。
どう見ても、『天道小で一番怖い女の操が、もやしの稔流をいじめている』構図だった。
茫然とした操の手から、稔流の腕が幻のようにするりと抜けた。