第56話 バレンタインデーと座敷童(二)
「さくら……」
「何だ、浮気者」
「あんまり痛い目にあいたくないんだけど、蹴りじゃなくてグーかパーのほうがいいんじゃないかな……」
沈黙、5秒。
「わああああああああ!!」
さくらは、真っ赤になって着物の前を押さえながら稔流から離れた。
「稔流に浮気されるし、見えてはならぬところまで見られるし……!嫁入り前の童女に何をする!?嫁入り先が無くなってしまうではないか!!」
「嫁入り先って俺じゃないの!?無くならないし見えそうだったけど見えてないから!!」
そこまで混乱した会話をして、稔流は根本的な疑問について尋ねた。
「えっと……浮気者って、俺に言ってるの?」
「他に誰がいる」
さくらが冷ややかに言って、ひゅんと何かを投げて来た。
ストン、と体操着袋すれすれの畳に刺さったのは、彫刻刀だった。
「何でそんなの持ってるの!?」
「稔流の机の中に入っていた」
いつの間に取り出したのだろうか?いつも持ち歩いていたのだろうか。それとも、稔流がチョコを持ち帰ることを知っていて彫刻刀を持って待ち構えていたのだろうか。
……いや、深く考えないことにしよう。
考える前に、さくらは勝手に体操着の袋を開いて中身を取り出していた。
「ふむ、藁人形は五つだな」
「何か本格的な感じだけどやめようよ!」
とにかく誤解を解かなければならない。稔流は、天道小学校のバレンタインデーとホワイトデーの事情について説明した。
「成程、鳥海の大彦が言うなら、そういう習わしではあるのだろう。だがやはり子供だな。女を舐めておる」
俺も同い年……と思ったが、多分本題はそこではない。
「本命チョコの女子の家に菓子折を送っちゃうとこ?」
「それはよい。如何にも『その気は無い』という事が、容赦無くも礼儀正しく伝わるのだから、返し方としては完璧だよ」
さくらは、友チョコ、というかチョコとクッキーの詰め合わせの小さな袋を手に取った。
「このように、友チョコとやらの振りをして、そうではない物を贈ってくる」
「さ……手作りみたいだけど、みんなに同じ物を配ってたよ」
狭依の名前が出かかって、稔流はどうにか引っ込めた。以前、さくらが「狭依は嫌いだ」とはっきり言ったことがあるからだ。
「手作りなら、『同じ』にはならないよ。子供の手作りなら尚更、出来映えに差が出る。その場で、何人かの男子どもと比べていたら、実は菓子の焼け具合も形も、違いがあるのが分かっただろうな」
袋の中に入っていたのは、カラフルなカップチョコとクッキー、それぞれ2個ずつ。どちらも、ひとつはハートの形をしていた。
「これを稔流によこした女は、一番出来が良いものを選んで、心を込めて包んだはずだよ」
「…………」
稔流には、そんなことは思い付きもしなかった。大彦と一緒に渡されたし、教室を軽く見渡して、同じだと簡単に思い込んでしまった。
「……というのは、見かけでも判るが、私だから解ることもある。目に見えぬものについては、私の領分だから」
さくらは、座敷童で、鬼で、神様だ。人間では感じ取れない何かを感じるのだろう。
「物には魂や心が宿る。……これは、稔流ひとりだけに、でも気付かぬように贈られた、『特別』だよ」
あんなに怒っていたさくらなのに、静かな今の表情からは、稔流は何も読み取ることは出来なかった。
そこまでわかるのなら、贈った相手が誰なのかも、きっとわかっているのに。
「……返して来た方がいい?」
「稔流に贈られたものなのだから、稔流が決めればいい。名誉ある一番は私だったのだし、口にしたのも私があげたものだけなのだし、勘違いでウッカリ蹴りも入れてしまったし、これ以上は恐妻になりそうだ。ただでさえ角が生えているというのに」
「……………………」
あの午前0時の芋ようかんって、バレンタインデーのプレゼントだったのか……
などと、たった今気付きましたとか絶対に言ってはならない。さくらが恐妻予備軍になってしまう。
「こっちの友チョコとやらは、本当に級友に対する友好だ。あとの三つは大彦の言う通りだが」
稔流は、思い切って聞いてみることにした。芋ようかんの話ではない。
「この三つって、誰がくれたのか、さくらには判る?」
さくらは、軽く溜め息をついた。
「包みを剥がしてみればいい。手紙が入っていてそこに名前が書いてあれば判るだろうよ」
「……包みを剥がしてからじゃ、返せないから」
少し驚いた様子のさくらの瞳を、稔流は真っ直ぐに見つめて言った。
「俺の目で見ても友チョコじゃないって判ったのに、『特別』な心は受け取れないから。俺は、さくらにあげる『特別』しか持っていないから」
「…………」
さくらが、ふと手を伸ばして稔流の髪に触れた。そして、綺麗な顔が近づいてきて、近すぎる、と稔流の心臓が跳ねた瞬間に、やわらかな唇が、少しの間だけ、重なった。
「りんごは冷凍しても美味いらしいぞ。私はまだ食べたことは無いが」
「どうせ赤いし固まったよ!」
「……赤いのはお互い様だ。でも、私は嬉しかったから、伝わっていればそれでいい」
少し視線を逸らしたさくらの頬が、ほんのり染まっていて、綺麗だと思った。
「右から、鳥海清花、波多々朋、宇賀田悠子だ」
「…………」
「知りたいと言うから教えただけだ。返してこいという意味じゃない」
「うん……わかってる」
「本当の友チョコについては、私も誰だかわからない。……そういうものだよ」
さくらは、狭依のこともわかっていたのに、その名は出さずにいてくれたのだろう。
やきもちを焼いても、さくらは本当は稔流の心を信じてくれているから。狭依が、稔流にさえ隠してひっそりと込めた想いまで、嫌いだから返せとも食べるなとも言わなかった。
「稔流」
「なに?」
「大彦に言っておけ。女から、いかにも気合いが入ったお手製の食べ物を貰った時、少しでもイヤな感じがするなら食べぬ方がよい。王の血筋は勘が良いからな、勘に従えとでも」
「どうして?まさか毒が入ってるとかじゃないよね?」
「恋が叶う呪いとやらで、髪の毛やら爪やら血やら、自分の体の一部を混入させたものを食べさせる女もいるのだよ。素人では大した効き目は無いことが多いのだが、女の執念を口にする事には違いない。普通に気持ち悪いと思うならやめておけ。平気だというなら食べればよい。毒ではないから腹は壊さん。多分」
「…………………………」
大彦が毎年食べていたのなら、今から言っても手遅れのような気がするし、実害が無いなら黙っていた方が親切なのではないか……
「さくら」
「何だ」
「好きだよ。さくらだけ」
「……うん」
さくらは、ぽふっと稔流に抱き付いた。見かけの年齢相応にあどけない仕種なのに、心拍数が上がるこの感覚は、少し困って、でも嬉しいと思う。
「私も、稔流だけ、好き」
稔流からも、そっと抱き締め返した。