第55話 バレンタインデーと座敷童(一)
それは、稔流が退院して4ヶ月半ばかり経った冬の事だった。
「稔流、起きろ」
ぐっすり眠っていたのに、肩を揺さぶられて、稔流はぼんやりと半目で答えた。
「なに……?さくら……」
眠い。そして近い。
「午前零時だ。私としては、一番を譲りたくない」
そうか、0時なのか……と思いながらも、眠くて脳味噌が働かない。
「今日は、女が男に甘味を贈る日なのだろう?だから、朝一番に食べろ」
と言って、さくらは稔流の手に何かを握らせた。微妙にぷにっとした感触だ。
「いいか?私が一番にあげたのだから、稔流も一番に食べろ。わかったな?」
「ん……。わかった……」
稔流がふにゃふにゃと答えると、さくらはタタタタ、と小さな足音と共にどこかへ行ってしまった。どうしたのかな、さくら……
そこで意識が途切れてしまい、次に稔流を起こしたのは目覚まし時計の音だった。
稔流は、目覚ましをべしっと叩いて止めようと思ったのだが、その時手の中から何かがぽろりと落ちた。
「……何これ」
改めて目覚ましを止めて拾い上げてみると、
「芋ようかんのひとくちサイズ……?」
握って眠っていたからか生温かくなっているが、フィルムできっちり包まれているし、賞味期限は2ヶ月先だし、多分大丈夫だろう。
が、そもそもどうして芋ようかんを持ったまま目を覚ましたのか?
稔流が朧気な記憶を辿ると、夜にさくらから貰ったような気がする。あの後、さくらは逃げて(?)行ったのだが、その前に……
(稔流も一番に食べろ)
何故なのだろうか。ひとくちサイズなので、『おめざ』とかいう幼児が朝に食べるお菓子のことだろうか?
秋に「好き」を伝え合った時、さくらは数え十三歳くらいの姿に成長したので、満年齢なら11、2歳で、昔なら子供からお年頃に近付いて来る年齢だと思うのだが。
でも、ひとくちサイズなので朝ごはんの前に食べても差し支えないだろうし、とにかくさくらが一番に食べろと言ったのだから、そうすることにした。
……もぐもぐもぐ。甘さが程よくて美味しい。
身支度を済ませて居間に行くと、曾祖母が用意してくれた朝食はひとり分だった。……やはり、曾祖母は何かに気付いていると思う。
その日、学校で昼休みになると、女子が集まってキャッキャと騒いでいることに気が付いた。
お互いに何かを交換したり、クラスのひとりひとりに配って回ったりしているようだ。
「うちの学校って、お菓子OKなの?」
と大彦に尋ねた。
「何年か前まで没収だったんだけどさ、児童会の会長と副会長が、俺の父ちゃんに直訴したんだよな。母ちゃんからチョコ貰った甘酸っぱい思い出がある父ちゃんとしては、文句言えない訳よ。んで、校長を一喝して1年に2回くらい何も見てないことにしてやれ、って事になったんだよな。それからは前例にならえって感じ」
直訴先が校長ではなく村長の息子、という権力構造。
そして、村長の息子と妻の馴れ初めまで村民に知れ渡っている村。怖い。
稔流は、チョコという言葉でやっと思い至った。今日は2月14日、バレンタインデーとかいう日だ。
「何で、1年に2回?」
「お前、女子にシメられんぞ。貰ったらホワイトデーに返すじゃん」
「大彦君はそうかもしれないけど、俺は毎年お母さんの1個だけだから考えたことなかった」
一般家庭の小学生のお小遣いでは、贈り物としてのお菓子の値段はそこそこ高いので、何も貰わない方が気楽だと思う。
そもそも、稔流は好きな女子がいたことがないので、ホワイトデーなんてバレンタインデーよりも空気だった。
……って、当たり前か。俺はさくらが初恋なんだから――――
などと突然学校で思い出すのは、結構恥ずかしい。
「まだ東京の彼女からチョコ来てないのか?うちの村って、荷物届くの遅いから凹むなよ」
「うん……大丈夫……」
顔が真っ赤になった自覚があるので、とっさに机に突っ伏しただけだ。
「大彦君、稔流君」
「あざーっす。おい、稔流」
「何……」
稔流がだるんと顔を上げると、笑顔の狭依がいた。
「あげる。友チョコね!」
「……どうも」
微妙な顔をして受け取ってしまったかもしれない。ほかのクラスメイトと同じ物で友チョコというなら、断るのも不自然だ。
「女子って謎にマメだよな。本命の男だけにやればいいのに。ああいうのって、うちの村には売ってないからさ、わざわざ町に買いに行かなきゃなんないんだよ。チョコだのクッキーだの、ラッピングの袋だのリボンだの買って来て、いちいち小分けにしてシールでデコるの大変じゃん」
「そっか……結構手間がかかってるんだね」
呆れ口調でも、女子の気遣いに気付ける大彦はモテるんだろうな、と稔流は思った。加えて長身のイケメンでスポーツ万能。競争率が高そうだ。
「大彦君は、その本命を何個貰ったの?」
「朝、下駄箱で3個。開けてみて名前が書いてあったら、家に菓子折送っとくわ」
「何か違うような……」
結局、稔流は友チョコをふたつ貰った。
というのは、女子には『クラス全員に配るタイプ』、『特に仲の良い友人に配るタイプ』、『自分では何も用意しないが貰ったらホワイトデーに返すタイプ』の3種類のタイプがあるからだ。稔流が貰ったのは、クラス全員のものだ。
「これで終わりだと思って気を抜くなよ。教室移動の後の机の中とか、帰りの下駄箱とか注意しとけ」
「何に注意?」
「他の奴にバレると、めっちゃ騒がれてウザい。相手が同じクラスにいると、そっちも気まずいだろうし」
つまり、大彦はめっちゃ騒がれてうざかったことがあり、くれる女子も同じクラスとは限らない。
「モテる人って大変なんだね」
「爽やかに笑うな。他人事じゃねーぞ」
「……?」
何の事だろうか。稔流のことを「好き」と言ってくれて、「格好いい」と目が眩んだ感じに言ってくれるのは、さくらだけだ。
「あるじゃん」
「…………」
図工の授業から戻ってみると、机の中にふたつ、明らかに友チョコじゃない感じにラッピングされた箱が入っていた。大彦も手慣れた様子で回収している。
帰りにも、下駄箱の中にひとつ入っていた。大彦もさっさと回収。
「大彦君はともかく……『いい家』の男子ってこういうもんなの?」
※ いい家:四つの名字の本家、及び三番までの分家。
「絶対っていうほどの情報は俺も持ってないけど、俺らの年で玉の輿狙いってあんまないんじゃね?」
じゃーなー、と謎の情報網を持っているらしい大彦は先に行ってしまった。お迎えのベンツが待っているのだろう。
稔流は、取り敢えずアドバイス通りに体操着を教室に置いておき、空になった巾着袋に友と本命(?)計5個のチョコらしきものを入れて帰った。
そして、帰宅して自分の部屋に入った瞬間、
「浮気者――――!!」
さくらの華麗な蹴りでぶっ飛ばされた。