第53話 もう一度(三)
寄り添う少年と少女を、やわらかい風が包み込んだ。
もう秋なのに、春の花の香りを遠くに感じるような優しい風と、おひさまの光で出来た粉雪のような光が舞う。
それらがふっと過ぎ去った時、さくらの真っ白で長い髪がさらりと腰まで滑り落ちた。
さくらが、不思議そうに、その手で白い髪を掬い上げた。
「……?今までで、最長のような気がするが」
「うん。全体的にだけど。その手も大きくなってるって気付いてる?」
「今気付いた」
鬼の角はそのままで、髪には赤い椿が飾られ、着物も赤いままだが、着物の袂と裾には桜の柄がほどこされている。白地の半幅帯にも。
そして、稔流の膝に乗っかったままなので、
「えっと、今更だけど、見えそうです……」
「何故敬語だ?……、今更じゃなくて早く言え!」
着物の裾がはだけて膝の上まで白い足が見えていたさくらは、ぴょんと稔流から飛び退いた。
その時、さくらは体を動かしてみてわかった。髪だけでなく、さくらのすんなりとした手足も長くなっている。
「やっぱり、俺がプロポーズしてさくらがOKしてくれると、さくらは成長するんだね」
「恥ずかしいことをハッキリ言うな!!」
実は、さくら自身も、もしかしたらと思っていた。稔流の気持ちを受け容れる度に、自分は成長しているのではないかと。
諦めよりも希望を、逃げることよりも信じることを選ぶ度に、さくらは稔流に近付いているのではないかと。
稔流が、少し眩しげにさくらを見た。
「数え十一を飛ばして十三くらいかな?……今、俺は数え十四だから、見かけも釣り合うよ」
「……十四?」
さくらは、茫然として、稔流を見た。
「何故……制服を着ている?」
学ランを着ていなくても、ワイシャツと黒いズボンでわかる。
天道村には、制服を着る学校は中学校しかないのだから。
稔流はゆっくりと立ち上がり、制服に付いた土や砂をぱんぱんと払い落とした。
稔流の背は更に高くなっていた。病院から帰ってきた稔流よりも、多分十数センチほど。
何より、稔流の顔立ちからあどけなさが抜けて、大人びた面差しと眼差しでさくらを見つめていた。
見かけの印象では、高校生でも通用するだろう。
何故――どうして、稔流まで成長している?
「似合わない?髪の色がこれだから、ヤンキーに見えそうだけど」
「似合っておるわムカつく!女生徒を悩殺しに来た留学生か!!」
「……俺のルックスって、平凡だと思うよ?色以外は」
以前、さくらに格好いいと言われたことがあるが、それは中身の話だけではなく、稔流はさくらの好みのタイプであるらしい。ちょっと、嬉しい。
「成長した甲斐があったよ。2年、経ったんだ。巫女舞なんてやったものだから、今日は学校で弄られて大変だったよ。……今日は9月24日だから。俺が小学校の時に病院から退院したのは、2年前の9月29日……誤差の範囲かな」
「何を言って……」
さくらは言いかけて、気付いた。
さくらは、2年分の年月を省略したのではない。さくらの中には、小学生の稔流が退院して来た時から2年後の今までの、ふたりで一緒に過ごした記憶があるのだ。
除夜の鐘を聞きながらふたりで初詣に行ったり、雪合戦をしている稔流とその友達の中にこっそり混ざってみたり、村の桜は早咲きから遅咲きまで多様なので、2ヶ月くらい散歩しながら花見をした。
プールの授業では管狐たちを連れていって河童と戯れたり、神社の神事で稔流と対になって舞を奉納したり、稔流はもう数え年でいいと言ったけれども、さくらが「私にとっては大切な日だ」と言って誕生日を曾祖母と一緒にお祝いしたり――――
想い出なら、2年分、溢れるほど、あるのに。
「俺もだよ」
稔流はさくらににこりと笑いかけた
「ちゃんと、2年間の想い出があるよ。前に、さくらが成長していく俺を見てみたいって言ってたから。2年の時を飛び越えるんじゃなくて、時を駆けたんだ」
2年の時間を一緒に歩んだはずなのに、想い出もたくさんあるのに、体感では一瞬でここまで移動している。
「俺は、せっかちだね。早く大人になりたいなんて、焦らなくたって、ずっとさくらは傍にいてくれるのに。それでも、俺は早くさくらを迎えに行ける自分になりたかったんだ」
稔流の瞳も髪も、金色がかった茶色から、かなり金色に近く変わっていた。
「稔流……」
さくらは、やり切れなさに、叫んだ。
「時間を操るのは…!《神》の領域だ!」
稔流は、少し困ったような微笑を浮かべて、そして否定しなかった。
さくらは、伏し目がちに言った。
「私の所為……なのだな。反魂の術に、私は力を使い過ぎた」
(私は私の代償を。稔流は稔流の代償を、それぞれ払う)
(これ以上、私の命を分け与えると、稔流は人間ではいられなくなる)
(人間ではない何か……になってしまう)
反魂の術は、天地の理に背く禁術だ。
だから、せめて、稔流の命を地上に留めながら、同時に稔流という人間の変質を最小限に食い止めるくらいの、自分の命を与えたつもりだった。
でも、稔流は時間を操り、2年の時を越えてさくらを連れて来た。こんなことは、人間に出来ることではない。
さくらが感じる限りでは、稔流はまだ人間の少年だ。それでも、稔流の変質は思うよりずっと大きい。
「さくらの所為じゃない。さくらのお陰だよ。……ありがとう」
さくらを見つめる稔流の瞳は、優しい。
でも、人間ではない何かに変質が始まった稔流には、優しさ以外の理由があるはずだ。
「ありがとうなどと、何に対して言っている!?私は、ただ稔流を死なせたくなくて、稔流が苦しむ病気を治してあげたくて、……」
さくらは俯いて、泣きそうな声で言った。
「私は、稔流には、人間の命を生きて欲しかったのに……!」