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第52話 もう一度(二)

 一番大切な、一番大事な、一番綺麗な、俺のさくら――――たくさん、ありったけの言葉でありったけの心を伝えてきたのに。

 「好き」というたった二文字の、本当の心を、伝えることが出来ずにいた。

 もう一度、伝える。


「俺は、さくらが好きだ。大好きだよ」


 言えなかったのは、幼い日の稔流が、一目惚れに気付かず一気にプロポーズしてしまったので、言いそびたまま今更告白するのが恥ずかしかったから。


 そして稔流は、さくらもまた決して稔流のことを好きだとは言わないし、言うのを避けている気配を感じていたから。


 ふたりとも、お互いを失うことを怖がっていた。

 怖くて、一番大切で一番大事な言葉を、伝えられずに逃げていた。


「俺は、臆病(おくびょう)で、格好悪いね。自分が人間で、さくらは座敷童で――小さな神様で、どんなに好きになっても最後には理解し合えないかもしれないって……約束も誓いも、壊れてしまいそうで、怖かったんだ。でも、今は、本当の気持ちを伝えないまま()れ違ってしまうことの方が、ずっと怖いんだ」


 美しい誤解をして傷付くのは稔流だと、いつかさくらが言った。

 でも、さくらも同じだった。美しい誤解をされて、いつか稔流がさくらを恐れる日が来るなら、さくらの心はきっと耐えられない。


 長い長い時を渡ってきて、居着いた家の人間は儚く死んでゆき、仲間の座敷童が去ってゆくのを見送るばかりで、取り残されるばかりのさくらは、自分の運命はそういうものだと(あきら)めていた。


 でも、稔流が現れて、諦めていたさくらの心を揺らしてしまった。

 だから、ずっと背中合わせのまま「好き」のひと言をだけは、胸に閉じ込めていた。


「俺は、さくらがどんな姿でもいい。人間じゃなくていい。座敷童でもいいし、鬼になったって、俺の心は変わらないんだ。俺のさくらは、ずっとさくらのままだよ」

「……っ」

 さくらの、つぶらな黒い瞳が潤んだ。


「今の私は、数え五つばかりの子供だ。出会った頃の稔流には釣り合ったが、今の稔流では、もう花嫁にしたいとは思えまい。稔流なら、幼いままの私を(あわ)れに思って、一生傍に置いてくれるのかもしれない。不憫(ふびん)な子供だと、愛しんでさえくれるのかもしれない。……でも、それは稔流の花嫁ではないよ。私は、あやめのようにはなれない。こんな童女(こども)では、姫神様も振袖など(おく)ってはくれない……!」


 ぽろぽろと、透き通ったあたたかい雫が、白桃(はくとう)のような頬から稔流の手に伝う。ぽたり、と稔流の唇の上で(はじ)けた涙は、人間のそれと同じように仄かな塩の味がした。


「ごめんね」


 稔流は言った。

「憐れむだけでいられるほど、俺は優しくないんだ」

そして、ふわりと笑って初恋の少女に伝えた。


「三度目の正直で、四回(しぼ)る勇気なんてないって思った事もあるけど、俺はその時よりも、少しだけ大人になれたみたいなんだ。もう一度、言うよ。何度でも、勇気を出すよ」


 稔流は、一度目を閉じて、ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いた。

目を開けて、もう一度、四度目の正直を伝える。


「さくら、俺の花嫁さんになって。俺が知っているような結婚じゃなくてもいい。俺は、さくらがいい。さくらじゃなきゃイヤだ」


 さくらは苦笑した。

「……我が侭だな」

「我が侭だよ。俺は嘘が苦手なんだ」

「……知ってる。ばか」

「ばかでもいいよ」

「本当に、稔流は、変わらないな」


 苦笑は、あどけない泣き笑いに変わった。

「……喜んで。私も、稔流が好き。稔流の花嫁さんになりたい」


 もう、禍々(まがまが)しさは消えていた。恐ろしい鬼神(きじん)でもなかった。

 角は生えたまま、でも可愛(かわい)らしい顔立ちの、小さな女の子。


 空を覆っていた暗雲が去り、差し込んだ日の光に、雪の糸のような真っ白な髪の毛が、きらきらと小さな光を散らしていた。


「……何を、じっと見ている?」

「さくらは、やっぱり綺麗だって思って」

 小さな少女は、真っ赤になった。


「お前の目は節穴(ふしあな)か!?それとも幼女趣味か!?」

「初恋は趣味じゃないよ」

「当たり前だ!」


 さくらは、稔流の肩を掴んでいた手を放した。そして、稔流はさくらの背》に|腕を回して上半身を起こした。そのまま、さくらは稔流の胸にぽふっと顔を埋めて、小さく言った。


「……私も、初恋だよ」

「知ってる」

「は!?ならもう言わんわ!」

「知っていても、言葉にしてもらえると嬉しいんだよ。……それと、まだ言ってなかったね」


 稔流は、さくらを見つめて、笑って言った。



「ただいま、さくら」



 鬼の姿になっても、帰って来た稔流に一番はじめに伝えたさくらの言葉は、「お帰り」だったから。

 きっと、これが本当の、さくらの気持ちだったのだから。


「……!?幼女に何をする!!」

「ほっぺたにキスしただけだよ」

「だけ、とか言うな!こっちは初恋だぞ!」

「俺も初恋だよ」


 ほんの少し。少しだけ、やわらかな頬に触れた。

 好きで、愛しく想う心は、それだけでたくさん伝わるから。

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