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第51話 もう一度(一)

 稔流は、祖父が運転する車で村に帰ってきた。

 父でも母でもない、その事はどうとも思わなかった。


 父も母も医療従事者として忙しく働いていて、数多くの他人を救うことに生き甲斐と喜びを感じる人間なのだろう。

 思い返せば、ひとり息子に対しては、最低限の時間しか()こうとしないのは、幼い頃からそうだった。


 逆に言うならば、忙しく限られた時間の中で、喘息の稔流を懸命に守り育ててくれた両親は、きっと良い親だったのだし、稔流は愛されて育ったのだろう。


「ただいま」


 稔流は、出迎えてくれた祖母にそう言った。

 いつの間にか、ただいまと言うのが当たり前の自分になっていたのだと、不思議な気持ちがした。

 そして、祖父もそうだったのだが、祖母も不思議そうに言うのだった。


随分(ずいぶん)と背が伸びたねえ」

「うん。俺も驚いてる」


 そんなことないよと否定するのも、そうかなあ?ととぼけるのも無理なレベルだ。


 意識を失っている間にそうなったのか、病院で身長を測った時は145センチで、大彦に保健室で測られた時より10㎝高く、11歳男児の平均身長を上回っていた。

 早産で生まれてから、病院で経過観察をしていたほどの低身長だったのに、天道村に来てからまるで早送りのように成長している。


 稔流は、気付いていた。

 さくらを迎えに行く為に、不自然な速度で大人になろうとしている、()()()()()()()()()()()になってきている。


「俺は、ひいおばあちゃんの家に戻るよ」

「……そうかい。あそこは隙間(すきま)風で冷えるから、気を付けるんだよ」

「うん。もう平気だよ」


 稔流は、もう知っていた。

 自分の体は、さくらの力を使わなくても、もう二度と病に苦しむことは無い。()()()、無くなってしまったのだと。


(私の命を分け与えると、稔流は人間ではいられなくなる)

(人間ではない何か……になってしまう)


 それでもいい。

 人間と妖怪、人間と神が結ばれるのがこの世の摂理(せつり)に反していて、その望みを叶えるにはもっと代償が必要なのだとしても、どんな苦難にも立ち向かうし、さくら以外の何を失っても()いることはしない。


 最後に稔流の腕の中に残るのは、さくらのぬくもりだけでいい。




「お帰り。稔流」




 聞き覚えのある―――一番聞きたかった声が、そう言った。

「どうした?驚いて声も出ないか?」

 幼い、―――とても幼い少女が、井戸の(へり)に座っていた。


 その姿を見て、稔流は立ち尽くした。

 雪のように白い髪は、肩に付かない長さに切り(そろ)えられたおかっぱで、椿(つばき)の花が(かざ)られていた。着ている着物は深紅で、帯は髪色と同じように白い。

 神隠しで出会った頃に、多分数え五つくらいと言っていた『なし』と同じ姿だった。


 ただ、ひとつ違っていた。――――両の(ひたい)の上に突き出た、般若面のような角だけは。


「鬼を見るのは初めてか?」


 少女は、幼さに似合わぬ――――この上なく似合う、謎めいた微笑を浮かべた。

「角の一本や二本()えただけで、これほど醜い異形(いぎょう)になるとは思わなかったよ」


 その言葉どおりに、神聖ささえ感じさせた美しい座敷童は、泣きながら命乞(いのちご)いをした河童や狐の目にはこのように見えたであろう、ただただ恐ろしい(たた)り神のように、禍々しい存在と化していた。


 稔流だけではない、さくらもまた変質していたのだ。

 これが、反魂の術という禁忌(きんき)の術を使い、死んだ稔流を生き返らせた、更に稔流が健康に生きていけるようにと、自分の命を分け与えたさくらが払った代償なのか。


「違うよ、稔流」

 稔流の心を読んだように、さくらは(あざわら)った。


「私は、元々このような存在だったのだろうよ。角が生えて化けの皮が()がれただけだ。『妖怪』と、わざわざ『あやしい』を二重に言うだけのことはある。私は化け物で、災いだ」


 稔流は、化け物で災いだという小さな子供に尋ねた。

「もう、座敷童じゃなくなったの?」


「さあな。私が鬼なのは見ての通りだ。こうなったのは初めてのことではないが、元に戻れぬのならば、こっちが私の本性なのだろうよ」


「……以前にもあったんだね。さくらが元に戻れなくなったのは、死んだ俺を生き返らせてくれた、その罰なの?」

「その名で呼ぶな!」

 叫んだ口元から見えた長く(とが)った犬歯は、牙のようだった。


「桜とは、()()()()だ!鬼の名ではない!」


 鬼の怒りが呼んだのか、晴れていた美しい青空を呪うように、あっという間に暗雲が立ち込めた。

 それでも、稔流は言った。


「俺は、さくらって呼ぶよ。名前は強い言霊(ことだま)だから。俺が名前を付けて初めて、『なし』じゃなくて『さくら』になれたって言ってくれたから。俺も、さくらが呼んでくれたから、世界でたったひとりの《さくらの稔流》でいられるんだ」


「では呼ぶのを止めようか、狐の子。お前はもう私のものではない」


「さくらが止めたいなら、それでもいい。でも、俺がさくらって呼ぶ限り、さくらが俺のものじゃなくなっても、世界でたったひとりだけの、ほかの誰とも違うさくらだよ」


「ああ、そうだろうとも。神の名を(かた)る鬼など、ほかに居るまいからな!」


 さくらの小さな体が()んだ。稔流の両肩を鋭い爪が伸びた手が掴み、そのまま地面に(たた)き付けた。見かけ数え五つ、実年齢なら三つ四つばかりの幼女とは思えない怪力だ。


 背が伸びても、華奢な体の稔流は簡単に倒れ、肩と背中を強く打った衝撃(しょうげき)に、苦痛の声が()れた。


「ひ弱な子供だな。お前など一瞬で殺せる」

「……先生を殺したのは、さくらなの?」

「知っているならば()くな」

「どうして、俺を遠ざけようとするの?」


 小さな鬼は、その問いには答えなかった。


「私が殺したことがないのは、正真正銘の神だけだ。あの下らぬ人間など、この世から(ほこり)をひと()まみ吹き飛ばしたに過ぎない。……狐の子、お前もなかなかに目障(めざわ)りだな。さて、どうしようか?」


 今度は、稔流が黙った。

 ただ、鬼となった幼い座敷童の姿を、金色を宿したきつね色の瞳に映していた。


「今更、私が怖いか?」

「怖くないよ」

 稔流は、金色の目をスッと細めた。


「人間を殺したから、何なの?死んだのがあの先生でよかったよ。俺が死ぬよりずっといい」


 小さな鬼は、言葉を失った。

 稔流は、――――さくらが知っている優しい少年は、笑いながらこんな事を言う人間だっただろうか?


 でも、さくらにだけは優しくあり続ける少年は、言葉を(つな)いだ。


「俺が死んだら、さくらが泣くんだ。だから、俺は生き返って良かった。生きて、もう一度さくらに会えて良かった。……ありがとう、さくら」

「……。何を、言って……」

「ずっと、伝えたかったことがあるんだ」


 稔流は、自分を見下ろす小さな顔を、そっと両手で包み込んだ。




「好きだよ、さくら」




 稔流は、微笑んだ。やっと、言えた。

 ずっとそう想っていたのに、伝えられずにいた言葉を。

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