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第50話 金色の少年(二)

 稔流は、ふわりと微笑した。


「何のこと?」

「とぼけんなよ。発作を起こすって分かってて……!発作を起こしてやるつもりで、走ったんだろ!?」

「そうだよ」


 稔流があっさりと肯定したので、大彦は肩透かしを食らった気分でぽかんとした。


「……何でだよ」

「頭に来たから」

 稔流は、淡々と言った。


「喘息って……ううん、病気って、経験した人にしか、苦しさはわからないんだ。優しい人なら、分からなくても思い()る心を持っているけど、そういう人は少ないよ。()れも来るしね。始めは心配してくれていた人でも、俺が咳き込んでいても、苦しくても、『またか』とか『いつもあんなだよな』って、何とも思わなくなる人の方が多いんだ。……郷里先生みたいに、病気なんてろくにしたことがなくて、病気なんて甘えだとか、もっと(きた)えろとか、どうしようもなく無知で傲慢(ごうまん)で、会話にもならない……そういう人を、俺は何人も見てきたんだ。社会は、そういう風に回ってる。それを変えたかったら『犠牲(ぎせい)』を出すしかないんだよ」

「…………」


 静かに、金色の瞳の少年は語る。


「自殺者が出て初めて、いじめが明るみに出る。遊泳禁止っていう看板があるのは、そこで(おぼ)れ死んだ人がいたから。飲酒運転でたくさんの人が()き殺されなきゃ、法律はただの過失致死罪(かしつちしざい)で、軽い量刑のままだっただろうね。……犠牲が出て、やっと変わる。犠牲が出なければ、何も変わらないんだよ」


「……だから、お前が犠牲になってやったのかよ」


「そうだよ。3月の任期切れが来たって、あいつはまた新しい場所で、別の誰かを痛めつけるだけだよ。郷里先生には前の学校で何人も虐待した前例があるから、そこに『喘息の子供を無理矢理走らせて(ひど)い発作を起こさせた』事が加わったら、そろそろ免職に出来るかなって。その辺りを(ねら)ったんだけど、しくじったよ。自分でも、心肺停止するとは思ってなかったから」


「馬鹿野郎!!」

 大彦が、泣きそうな顔で怒鳴(どな)った。

 大彦が涙を(こら)えているのに、稔流は笑って指を唇に当てて、しーっと言った。


「個室だけど、病院だから大きな声は立てないでね。―――ごめんね。失敗して騒ぎにしちゃって」

「そうじゃねえよ。命を()ける前に、助けを求めろって言ってんだよ!」

声を落としても、大彦は小さく叫ぶように言った。


「……うん、もうしないよ。俺が死ぬと悲しむ人って、案外いるんだなって分かったから」

「当たり前だ。案外じゃねーよ」


 大彦がぐしっと(はな)をすすった。優しい人というのは、こういう人をいうんだろうなと、稔流は思った。


「でも、即死は残念だなぁ……()()()()()()証人になってねって、せっかく狭依さんに頼んでおいたのに。死んだんじゃ罪に問うことは出来ないし、授業中だから労災扱いで遺族年金が出ちゃったりするのかな?何日か生きていれば、心肺停止に追い込んだ児童を放置して逃げて、雷を食らった自業自得に出来たのに」


 軽い――とても軽い、()め息混じりの稔流の言葉を聞いて、大彦はドクンと心臓が鳴った。

 まるで、ゲームに失敗したような口調だ。


 そして、郷里に雷が直撃したのは――死んだのは、稔流が心肺停止した後のことだ。

 まだ入院中の稔流に、家族や見舞いの人間が、教師の死という衝撃的(しょうげきてき)な出来事を話す訳がない。


「何で知ってるんだ?郷里が死んだこと」

「何となく、かな」

 稔流の口調は、無邪気であどけなくさえあった。


()()()()()()()()、小さな雷神様が黙っているはずがないと思わない?」

「…………」


――――俺は今、誰と(しゃべ)ってるんだ?

 本当に、コイツは稔流なのか――――?


「《外》では知らない人の方が多いと思うけど、王の末裔の大彦君なら知ってるよね。天神様は、空の神様とか天国の神様じゃなくって――――雷神だってこと」


 きつね色の瞳が、窓から差す光を(うつ)して、金色に見えた。まるで、金色の、


――――神様、みたいだ――――


 コンコン、とドアをノックする音がして、大彦は我に返った。ドアの外から、狭依の声が聞こえる。


「大彦君、もう切腹の時間は終わった?」

「切ってねーよ!……そろそろ帰んぞ。入院してる奴のお見舞いは、短いのがいいんだってさ。ソースは俺のばあちゃん」


 ドアが開いて、狭依がひょこんと顔を出した。

「ずるいわ。私だけ仲間外れ?」

「あ~、ちょっとだけ待っててやる。……稔流、無理すんなよ?」

「うん。ありがとう。また学校でね」


 笑った稔流は、いつもの稔流だった。

 大人しそうな顔をしているのに、案外思い切った事をしたり面白いことを言ったりする、すぐに仲良くなれた大事な友達だ。


 稔流は、稔流だ――――大彦は、さっきの不思議な感覚を頭から振り払った。

 じゃあな、と大彦が出て行くと、代わりに狭依が入って来た。


「あ……あのね」

 狭依は、小さな紙袋を稔流に差し出した。

「これ、お見舞いのお菓子。あんまりたくさんじゃなくて、退院する時に残らない物がいいかなって、思って……」


「狭依さんって、冗談を言うんだね」

「え?」

「切腹。結構物騒(ぶっそう)だね」

 くすりと稔流が笑うと、狭依は赤くなった。


「大彦君とは、幼馴染だし、姉弟(きょうだい)みたいな感じだから……」

「大彦君もそう言ってたよ。でも、俺は弟じゃないよね」

「…………」


 言葉に詰、狭依は困り顔になったが、不意に稔流が言った。

「狭依さんって、優しいよね」

「そう……かな?普通だと思うけど」

「普通って言える人のことを、優しいって言うんだよ」


 全てを見透かすような、金色の瞳が狭依を見つめた。

「お菓子って、手作り?」

「うん……あんまり上手じゃないけど」


 謙遜(けんそん)だ。狭依の常識と気遣いがあれば、お見舞いに下手な手作りお菓子を持っては来ない。

 稔流は言った。



「俺は、狭依さんの優しさなら受け取れる。でも、優しさとは違う、特別な心は受け取れない」



 少しの沈黙の後、狭依は(うつむ)いた。

「……ごめんなさい」

 ()の鳴くような声で言うと、狭依は小走りで病室から出て行った。


「謝らなくてもいいのにな……」


 勇気を振り(しぼ)って差し出された心は、とても綺麗で、()びるようなものではないのに。

 でも、罪悪感も、同情も、気まずささえ、何も感じない自分は、優しくないのだろうと稔流は思った。


 稔流が受け取りたい、そしてありったけの『特別』を差し出したいのは、この世界がどんなに広くても、たったひとりだけだから。


「さくら……」


 その名を、そっと呟いた。

 逢えないままの2週間が、とても長く感じた。

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