第48話 姫神(二)
姿はよく見えないのに、圧倒的な存在感と、ここから一歩も近付いてはならないような神聖さに、稔流は恐怖さえ覚え、――――とても、綺麗だと思った。
さくらの、雷と炎を操る荒神の姿を見た時のように。
(さくら、と呼ぶか。私ではなく……あの憐れな童女のことか?)
「憐れって、さくらに鬼のような角が生えたことですか?」
(それもある。……だが、あの娘は人の子であるそなたと共にありたいと望んだ。その望みそのものが、あの娘を苦しめた)
(人は人と結ばれる。座敷童という|《童》のなれの果ては、誰とも結ばれない。それは、宿命だというのに、――――そうと知っていながら、あの娘は天地の理に逆らった。憐れな子よ)
稔流は、さくらが何ものでも構わなかったのに、さくらはそうではなかった。
何度約束を交わしても、さくらは一歩引いている、そんな気配は稔流も気付いていた。
――――だから、何度でも自分の気持ちを伝える。
さくらの不安が、苦しみが無くなるまで、何度でも――――
「善郎さんとあやめさんは、結ばれました。俺も、さくらとずっと一緒にいられるのなら、人間の命を捨てます」
(子が敢えて親よりも先に死ぬのは、不孝であろう。百年近くの命を全うした善郎と、まだ幼いそなたが同じなどとは思わぬ事だ)
(さくらも言うておったろう。まだ死んではならないと)
「俺は、親不孝でも構わない。誰を悲しませても苦しませてもいい。俺は我が侭な子供だから。たくさんの人を幸せに出来るなんて、思い上がっている訳じゃありません」
(そなたは、残酷な男子だな。鬼の名は、あの娘よりもそなたに相応しいようだ)
「それでもいい。俺がいくら残酷でも、さくらに鬼のような角が生えても、俺が俺で、さくらがさくらだって、それだけでいい」
稔流は、姫神に逆らった。
清冽な神気が、肌に、全身に突き刺さり、意識が飛びそうになるのを、稔流は懸命に堪えた。
偉大な女神を目の前にしても、決して譲れない願いだった。
「神様。さくらと会わせて下さい。俺はさくらに約束したから。いなくなったら、何度でも捜す。何度でも名前を呼んで、必ず見つけるって誓ったから。たとえさくらが諦めていたとしても、約束も誓いも、俺は諦めません」
(天の雷のように激しいことよ。その望み、私の名に於いて叶えよう。……ただし、会わせるだけだ)
稔流は、希望に胸が高鳴った。
会えるだけでいい。会えたなら、今度こそ伝えたいことがあるのだから。
(時に、我が末裔よ。そなたは神と仏とどちらを信じる?)
「え?」
思わぬ問い掛けに、稔流は戸惑った。
東京にいた時も初詣は神社だったし、天道村に来てからも、さくらと一緒に何度か村の神社に行ったことがある。
一方で、先祖代々の墓という発想は日本の仏教のもので、みのりの遺骨もそこに納めた。
そういうごちゃ混ぜに、特に違和感を持たないのが多くの日本人だろう。
でも、稔流は迷わずに答えた。
「神様を信じます」
(|何故そう思う?)
「さくらが、小さい神様だから」
そうだ。さくらを信じなくて、何を信じる?
見ないでと、さくらは言い残して消えた。でも、さくらはきっと、心の中では稔流の名前を呼んでいる。
稔流から逃げても、どうか追い着いてと願っている――――そう稔流は信じた。
(……そうか)
ふふ、と女神は風に揺れる桜の花のように笑った。
(何故、私がそなたを我が末裔と呼ぶのか解るか?)
「……いいえ」
(私もまた、人の果てだからだ。私の血を引く者よ)
「え……?」
神様が、人間だった?
思わぬ言葉に驚いて、でもさくらを思い出した。座敷童の多くは、かつて人間の子供だったと言っていた。
(如来とは、人を救わんと悟りに至った人の果て。菩薩とは、衆生を救い如来へならんとする者)
(だが、そなたが救うのは、あの娘だけなのだな。仏にはなれまい)
(それでも、この国は八百万の神が住まう国。そなたがそう思うのならば、人間ではなくなった時……)
(そなたは、仏ではなく、神となる――――)
女神の声が、遠くなる。
桜の花が、消えてゆく。
(会うがいい。閉ざされた天神の娘の心は、私の力でも、開くことは出来ぬ)
「――――!」
まるで、天から落下したような感覚がした。
でも、痛くはない。真っ先に目に入ったのは、見慣れない、格子模様の白い天井だった。
「稔流ちゃん……?」
「……。おばあちゃん」
「ああ、よかった……!稔流ちゃん……稔流ちゃん。本当によかった。ありがとうございます、ありがとうございます、姫神様……!」
祖母は、稔流が困惑するほどおいおいと泣き始めた。何が起こったのだろうと、稔流はふと祖母の隣を見た。
点滴のパックが吊してあって、ぽた、ぽた、と規則正しく雫が落ちていた。
「ねえ、俺が死んでから、何日経ったの?」
祖母は、もう思い出したくないとばかりに首を振った。
「縁起でもないことを言うもんじゃないよ。稔流ちゃんは、助かったんだよ。こうして目を覚ましたんだから。生きているんだよ」
「うん。ごめんね、おばあちゃん」
稔流はそう言ったが、淡々と尋ねた。
「俺が学校で倒れてから、何日経ったの?」
「……。十日ほどだよ」
「そう」
祖母の言いにくそうな様子を見て、2週間は経っていないが、十日よりは長いのだろうと、冷めた頭で思った。
稔流が発作を起こした日付は9月13日。そして、稔流の誕生日は23日の秋分の日だ。祝日だから、今は居ない両親も見舞いに来ていたのかもしれない。
稔流が発作を起こした日付は、9月13日。そして、稔流の誕生日は23日の秋分の日だ。祝日だから、今は居ない両親も見舞いに来ていたのかもしれない。
「ふぅん…随分学校休んじゃったな」
――――せっかく、邪魔者がいなくなったのに。
「稔流ちゃん、まだ起き上がっちゃダメだよ」
「大丈夫」
指先のパルスオキシメーターが差す血中酸素濃度は98パーセント。正常だ。
(さくら……)
もう、自分でわかる。稔流の体の中には、新しい生命力が満ちているのだと。
さくらの反魂の術は、完璧だった。さくらが、ギリギリまでその命を移した稔流の体は、完全な健康体になっていた。
稔流の体から、喘息は跡形も無く消えている。もう、どんなに走っても喉が鳴ることはないし、咳をすることもない。そう成ったのだと、自分でわかった。
稔流は自分でナースコールを押した。
容体が急変したとでも思ったのか、看護師が慌てた様子でやって来た。
稔流は言った。
「すみません。生き返ったので家に帰っていいですか?」