第40話 座敷童の夢(一)
座敷童も夢を見る。
別に眠らなくても、人間の食べ物を掠め取らなくても、本当は平気だ。
座敷童は悪戯が好きで、悪戯は気付かれないようにこっそりやるもので、だからこっそりと人間の輪に入るのが好き、それだけだ。
それだけなのに、眠れば座敷童も夢を見る。どうしてなのか分からなくても。
そう……わからない。こんな夢は、夢だ。
夢でなければならない。
決して、《《誰かの過去》》などであってはならない。
夢は夢。現実ではない。
――――なのに、繰り返し見る同じ夢は、何だというのだろう?
ある家で、年若い妻がお産に苦しんでいた。
夫婦仲は良く、まだ赤ん坊が腹の中にいる時から名前を考えていた。
もし男の子だったら『太郎』。夫が考えた。素朴だが、長男に相応しい名前だ。元気で立派に育つように。
女の子だったら『つばき』。妻が考えた。お産の予定は早春で、きっと美しい椿の花が咲いているだろうから。春の花のように、愛される美しい娘に育ってほしいと。
お産は難産だった。
数え十五で嫁ぎ、すぐに身篭もった。まだ少女である体には、新しい命を生み出すには|負担が大きかったのだ。
長い長い苦しみの果てに、『つばき』が生まれた。
痛々しいほどに小さく、産声もか弱かった。長引いたお産で苦しんだのは、母親だけではなく赤ん坊もまたそうだったのだ。
小さく弱い赤ん坊は、乳を吸う力が弱く、初産に疲れ切った母親も乳の出が悪く、ひと月を|待たずに小さな命は散った。
母親は、泣いて泣いて、喉から血を吐くほどに泣いた。
(私のせい)
(私が悪いのです)
(私の体が、幼いから)
(上手に産んであげられなかったから)
(私が『つばき』という名を付けたから)
(縁起の悪い名前だなんて知らなくて)
若い夫は、初めての子を失った悲しみと共に、妻を抱き締めて慰めた。
(------のせいではない)
(あの子は、短い間でも、俺達を幸せにしてくれた子だ)
(きっと、あの子の魂は、天神様が良い所へ連れて行って下さるに違いない)
(椿は、貴い花だ。美しい花だ)
(首から落ちるから縁起が悪いなど、それは武士が勝手に言うだけだ)
姑が言った。
(子供はまた産めばいい)
泣いていた若い妻は、凍り付いた。なんて非情なことを言うのか。
しかし、姑の言葉は、姑なりの慰めだったのだ。
子供は簡単に死ぬ時代だった。死んでも仕方が無いと割り切らねば、生き残った者は生きてはゆけない。
夫と妻が生きていれば、子供はまた作ることが出来る。一度身篭もったことがある若い女なら、いずれまた孕むだろう。
若い妻は、もう泣くことはなくなった。涙はもう、涸れていた。
もう、子供など産みたくないと、小さく呟いた。
それから、幾年かの時が過ぎた。
ひとりの座敷童が、どこからともなく《生った》。
その座敷童は、数え五つばかりの姿をした童女だった。
生った時から赤地に雪輪柄の着物を着ていた。
肩よりも上で、ぷつりと切り揃えられた黒髪は、可愛らしいおかっぱで、紅を差している訳でもないのに、その唇は花びらのように赤く、幼くもそれは美しい童女だった。
その童女の他にも、似たような童がたくさんいた。女の子だけではなく男の子もいた。
幼い者から数え十五の成人間近のような者まで様々で、『名前』というものを持っている者と持っていない者がいた。
生ったばかりの童女は、名前を問われると『つばき』と答えた。何となく、それが自分の名前であるような気がして。
毎日楽しく遊んで暮らしていたが、人間の子供にも、『つばき』と似たような子供たちには、帰って行く場所があることに気が付いた。
自分が帰る場所がわからなかった『つばき』は、寂しいと思いながら神社の社殿の中で眠りに就いた。
ある子供が教えてくれた。自分たちは座敷童と呼ばれる者たちで、人間の家や蔵に居着くあやかしなのだと。
『つばき』も、居着く家を探した。そして立派な家を見付けた。ひと目で気に入って、この家にしようと思って覗いてみた。
(……母様)
人間には聞こえない声が、『つばき』の唇から零れ落ちた。
(母様……、私の、母様だ!)
『つばき』は思い出した。座敷童に生る前のことを。
『つばき』が、人間の子供だった頃のことを。
その女性のお腹の中で、父と母の声を聞いていたことを。
生まれてからほんの短い時間だったけれども、その腕に優しく抱かれていたことを。
でも、『つばき』の母が慈しむ眼差しを向けているのは、よちよち歩きの男の子だった。
母は『太郎』と呼んでいた。何処かで聞いたことがあるような、懐かしい名前だと思った。
『つばき』は、小さな太郎と遊ぶようになった。太郎には『つばき』が見えていたから。
『つばき』がもし人間として生きていたなら、自分は太郎の姉で、太郎は自分の弟であることも理解していった。
『つばき』は、小さな弟を守ってあげようと思った。
座敷童たちは棲み着いた家を気に入っており、同じ家に住む人間に気まぐれに加護を与えたり与えなかったりするが、『つばき』は迷わず太郎に加護を授けた。
名前の通りに、元気に育って、立派に家を継ぐことが出来るようにと。
そして、太郎が『つばき』と同じくらいの背丈に育った頃に、母が身篭もった。
十月十日を経て、生まれて来た女の赤ん坊は、まるまるとしていて、元気な産声を上げた。
母は喜び、涙を流した。
(ああ、戻って来てくれたのね)
(もういちど、この母のところに生まれて来てくれたのね)
(旦那様、この子を『つばき』と名付けましょう)
つばきは、立ち尽くした。
……どうして?
『つばき』は私の名前なのに。
私は、ここにいるのに。母様に見えなくても、太郎と一緒にずっとこの家にいたのに。