第38話 プールの妖怪(二)
@ティーちゃんの秘密(?)は言えなかったが、稔流は思った。|可愛い。
白いワンピースの水着のさくらは、とても可愛らしかった。圧倒的な『綺麗』とはまた雰囲気が違っていて。
プールを前にわくわくした表情が、見かけの年齢と合っているからだろうか。とにかく、可愛い。
「何だ?私の頭に何か付いているのか?椿以外で」
不思議そうに小首を傾げる仕種も、いつもよりあどけなく見えて。
そして、質問された稔流は、答えなければならない。
「何でもないよ」という感じに首を横に振るのがいいのだろうか。それとも、口パクで伝えるのがいいのだろうか。
……嘘は、苦手だ。稔流は、ぱくぱくと口を動かした。
(か わ い い よ)
さくらはきょとんとしたが、ボッと耳まで真っ赤になった。
「学び舎で口説くな!」
すんなりとした白い足がびゅんと飛んできて、華麗な蹴りを食らった稔流は、どっぱーんとプールにダイブした。
「稔流!ふざけるな!!」
担任から怒号が飛んだ。家に帰ってから言えばよかったのだろうか。
「せんせーい、違いまーす!俺が稔流をくすぐったら、落っこちちゃいましたすみませーん」
にいた比良涼介が罪を被ってくれた。ありがたい。が、
「稔流、気を付けろよ」
コソリと言われた。
「お前、ゴリに目ぇ付けられてんぞ。地味~にしてろ」
稔流も、それは気付いていた。理由もほぼ特定している。
転校初日に神隠しの話題を出され、事情を知らない担任から「行方不明になったのか?」と突っ込まれたので、稔流はこう答えた。
(先生。これは村の人だけの話です。《外》に帰る人は、知らない方がいいですよ)
稔流は「秘境の村の特殊事情なので気にしないで下さい」という意味で言っただけなのだが、このひと言が担任の地雷だったのだ。
大彦の情報では、担任は前年度まで勤務していた小学校で『気に入らない児童数名に対し不当な叱責を続け不登校に追い込んだ』ことで懲戒処分となり、この村に左遷されて来たらしい。
当然、鳥海さんに好かれている訳がなく、来年3月で再び転任=《外》に追い出されることが内密に決まっている。
……って大彦君、それ俺にばらした時点で、全然内密じゃないのでは?
そして、稔流は勉強が出来る。この学校では満点しか取ったことがない。それも担任は気に入らないようで、先日は職員室にわざわざ呼び出され、
「勉強が出来るからっていい気になるなよ?本家だか何だか知らないが、特別扱いはしないからな!」
と、特別な八つ当たりをされた。
稔流の成績が良いのは、東京の塾で既に6年生の基礎まで終えていたのだから、当たり前だ。この村に来てからは、通信講座の課題もコツコツと続けている。
本当は、もうする必要の無い努力だ。稔流はさくらと共に在ることを決めたのだから。でも、さくらを選ぶ事を理由に、今までの努力を全て放り出すのは、自分らしくないと思ったから。
とにかく担任ガチャは大ハズレで、鳥海さんから「不祥事を起こした教師はこの村には要らん。孫を監視に付けるから大人しく一年過ごせ」とか何とか言われてそうだ。
実際、担任は鳥海さんの孫・大彦が何を言ってもやっても注意しない。
外の人云々は、やっちゃったなあ……思いつつ、でもあの時点ではあと半年で転任(たらい回しで2度目の左遷)になるとは知らなかったのだから、|悩んでも仕方が無い。
と、ぼんやり考えている稔流の視界に、いつの間にか浮き輪をつけてぱしゃぱしゃ泳いでいるさくらの姿が目に入った。
その近くに、黒髪の男の子がいる。黒髪なら河童ではなく座敷童なのだろうか?と思って見ていると、目が合ったその子は人懐っこくぶんぶんと手を振った。
「稔流、久しぶり~!大きくなったね!」
「え……?」
久しぶりということは、以前に会ったことがあるのだ。大きくなったと言うのなら、その子は幼い稔流を知っている。
問い返すと不審者になるので言えずにいると、今度は青い髪の子供とぱちんと目が合った。
そして、稔流をビシッと指差して叫んだ。
「狐の子!」
やはり河童だ。人間で言うなら小学校低学年くらいの見かけだ。他の河童も口々に言う。
「だいじょうぶ、おれたちは稔流と遊ばない!」
「稔流のともだちも遊ばない!」
「がっこうではこどもと遊ばない!」
「引っぱらない!しずめない!」
「あのさ……、遊ぶって、水の中に人を引っ張ったり沈めたりすることなの?」
「しない!しないよ!」
稔流は苦笑した。
「知ってるよ。河童は《約束》は必ず守るんだよね」
「そうだよ!そうだよ!」
「おい、稔流。誰と喋ってんだ?」
大彦が言った。
「河童でも来てたりすんの?」
稔流は、とっさに笑顔を作って話題をすり替えた。
「座敷童だけじゃなくって、河童も来るって言われてるの?」
「そーそー。泳いでるのが、クラスの人数よりも増えるって話」
どうやら上手く交わせた。
だが、寒い。気温が下がってくると、夏の日差しの熱を溜め込んだ水の中の方が、風に当たらないし温かく感じるのだが、今の稔流がそんな感じだ。
「稔流、唇が紫になってるじゃん」
「冷えるとまずいんじゃないか?」
友達の言う通りだ。これ以上は咳が出て来るかもしれない。
「せんせーい。稔流が咳出そうなんで、保健室に連れてっていーですかー?」
稔流が言うと却下されそうなので、亮介が言ってくれたのだが、担任は眉間に皺を寄せた。
「は?まだ咳が出てないならさぼるな!ほら、休憩は終わりだ!……うおっ!?」
河童の手が水中からにゅっと伸びて、担任の両足首を掴んで引っ張った。
ドボオォン!と派手な音を立てて担任が沈んだ。
「……ぷはっ!何だ?誰だ!?引っ張るな!おい、何なんだ!?うわああああ!!」
またドブンと沈む。
「何だあれ」
「ふざけてるんじゃね?」
「いや、ガチで怖がってんぞ」
「まじでプールの底に引っ張られてんの?」
「河童かよ!見える奴いる!?」
誰も座っていなかったはずの椅子が倒れた時といい、お化けや幽霊ではなく、河童ということばが当たり前に出てくるのが天道村の子供達なんだなあ……と稔流は思った。