第33話 学校の妖怪
稔流は、大彦にお礼を言った。
「さっきはありがとう」
「ん?何が?」
「本当は、俺が好きな女子のタイプなんて、どうでもいいでしょ?俺がクラスの空気を凍らせちゃったから、ふざけた質問で解凍してくれたんだよね」
「あー、バレてた?っていうか、わかってたんなら『優しい人』とか適当に言っとけばいいのに。『綺麗な人』とかガチすぎてウケる」
そう言われてみればそうだ。多分、前の学校にいた頃の稔流なら、無難なことを言って受け流していたはずなのに。どうして、今の自分は思い付きもしなかったのだろう?
さくらは、自分のことを優しくない、美しい誤解をするなと言うけれども、その一方で稔流に対しては優しくあろうとしているのは本当の事だ。
――――でも、さくらは、優しくても、恐ろしくても、残酷でも、綺麗だった。
夜空を幾筋にも裂く雷のように。何もかも燃やし尽くす炎のように。
あまりにも鮮烈な唯一無二に、心奪われた。
「『優しい人』って、大抵は誰にでも優しいよね。でも、俺は俺にしか優しくしない人でいいんだよ」
「うっわー惚気かよ。すっげー可愛いんだろーなあ。遠距離恋愛、頑張れよ」
東京に彼女がいると勘違いされたらしい。
が、稔流は別の所で違和感を覚えた。
……どうして、俺はさくらのこと、『可愛い』じゃなくて『綺麗』ばっかり脳内連呼してるんだろうか。
結構口にも出てしまっているけれども、多分その十倍は綺麗だと思っている。
「で、稔流って、見かけ裏切ってるよな。何でおとなしい振りしてんの?さっきはいいとこの坊ちゃんみたいに『僕』だったけど、実は俺キャラじゃん」
「さあ……。どうしてかな」
「俺が聞いてるんだっての」
「舐め腐って、油断してくれる人がいるのは便利かな」
「怖えよ」
始業式で、校長先生の長い話を無になって過ごした後は、早速授業開始だ。それで教室に戻ったのだが、稔流は自分の席に行こうとして、ぎょっとした。
稔流の席は大彦の隣だが、さらにその隣も空席だった。はずだった。
「学校は楽しいか?」
白地に桜柄の着物に、紅い帯を蝶々に結んでいる、白い髪の女の子が頬杖を突いて稔流を見ていた。
「さ……!」
思わず叫びそうになったが、さくらは白い指を唇に当てて「しーっ」と言った。
「私は稔流の名前を盛大に叫んでも一向に構わないが、稔流が私の名前を叫ぶとこの場の全員に聞かれるぞ?」
「…………」
それはまずい。
稔流は内心冷や汗を掻きながら、自分の席に座った。そして、
(まだよく分からないけど、これから楽しくなるかもしれない)
さくらが、驚いた顔をした。
「どうして、心の声が使える?」
(これだよ)
稔流は、お守りサイズの小さな巾着袋をポケットから取り出した。
(さくらがくれた花びらが入ってるんだ)
曾祖母の家で、声を出さなくても会話が出来るように、さくらは花びらがくしゃくしゃになる度に、髪に飾られた椿から花びらを千切って稔流にくれた。
くしゃくしゃになっても、稔流はその花びらを捨てたことは一度も無い。
さくらが嫌がるかもしれないと思ったけれども、こっそり隠して花びらが乾燥するのを待ち、障子紙で包んだものを、曾祖母に作ってもらった巾着袋に入れて持っていたのだ。
「……捨ててよかったのに。どうせ私の頭の椿は消えない」
(捨てないよ。さくらから貰ったものは何でも)
「学び舎で殺し文句を言うな」
(さくらにしか聞こえないよ)
「…………」
さくらの横顔は、怒っているようにも見えるけれども、どことなくまんざらでもない雰囲気だ。
(朝になったらいなくなってて、心配したよ)
寂しかったよ、なんて言えない。格好悪いから。
「私が気が向いた時に気が向いた所へ行くことなんて、珍しくないだろう」
(…そうだね)
本当は、心配したことはない。
さくらは、強いから。子供の姿をしていても、小さな神様だから。
やっぱり、嘘は苦手だと稔流は思った。だから「寂しかった」の代わりに言った。
(会いに来てくれて嬉しいよ、さくら)
「……よかったな」
頬杖を突いたまま横顔しか見せてくれなくても、さくらと一緒にいるのは嬉しくて、安心する。
(さくらって、今までも学校に来たことあるの?)
「あるよ。時々遊びに混じる。此処は子供がたくさんいるから」
(あ……そっか)
子供達が集まって遊んでいると、子供の数が増えていることがある。だからと言って、知らない子などいるはずもないので、あまり気にせず遊びは続く。
遊び終わって、いつの間にか人数が減っていると、流石に「誰?」と不思議に思う。
でも、いなくなった子が誰なのか、誰も覚えていない。そんな不思議な誰か……が座敷童だ。
「夜中から、久しぶりに旧校舎に行っていた。木造の校舎は居心地が良い。ウッカリ朝まで寝てしまった」
(どうして夜中?)
「昔は、夏休みになると時々勝手に入り込んで胆試しをしたり、百物語の真似事をする子供がいたからな。脅かすのは楽しいぞ」
さくらの機嫌が良くなった。これは本当に面白がっていたのだろう。
(幽霊がいるかどうかは知らないけど、学校の妖怪は本当にいたんだね)
「幽霊は、いるぞ」
(えっ、どこに!?)
「どこにでも。見える人間と見えない人間がいるだけだ」
稔流はほっとした。今まで自分は幽霊を見たことはない。
「……今、安心したな?稔流は、座敷童も河童も見えるというのに」
隣にいるさくらが、軽く振り向いた流し目で稔流を見て、謎めいた微笑を浮かべた。稔流は、思わずゾクリとした。《《決して見てはいけない恐ろしい何か》》を見てしまった、そんな気がして。――――でも、
(一応数え九つの見かけのはずなのに、色っぽい流し目の座敷童ってアリなんだろうか……)
「…………………………」
あ、(心の)声に出してしまった。
「おい、稔流」
(はい。何でしょうか……)
何故か敬語。
さくらは、がたんと椅子から立ち上がった。
「お前……!幼女趣味だったのか!?小児性愛なのか!?」
(何でそんな生々しい言葉知ってるの!?)
「問題はそこか?色気を出せる座敷童など童ではないわ!」
「え?今、その椅子勝手に倒れたよな」
大彦の声に、掴み掛かる勢いだったさくらも、掴み掛かられる直前だった稔流も、ピタリと動きを止めた。
クラス中がざわざわし始めた。
まずい。とてもまずい。
誰かが言った。
「座敷童か?」
稔流は固まったが、周囲はどういう訳か納得顔だ。
「かもなー」
「驚かせようとして遊んだんじゃね?」
「あ、稔流は驚くよな」
大彦が説明してくれた。
「クラスの人数よりも何個か多く机と椅子を置いとくのって、旧校舎時代から続いてるうちの学校の伝統なんだ」
「どうして?」
「座敷童の席なんだよ。時々授業に混ざりにくるからって、昔から言われててさ」
「……そうなんだ」
稔流はクスッと笑った。
「この村なら、そういうこともあるかもしれないね」
皆の目に見えなくても、座敷童はここにいる。人間の子供と遊ぶのが大好きな座敷童が。
その時、教室の入口がガラッと開いた。
「テストするぞー!」
担任の声に、えーっとイヤそうな子供達の声が響いた。