第27話 譲れない想い
「本当は、あやめが死んでしまっても、善郎は血筋が良いからいくつも縁談はあったんだよ。でも、善郎は誰も娶らずに、子孫を残すという跡取りの一番の役目を放棄した。放棄した癖に長く生きるだけ生きたから、時経るごとに波多々の家ではお荷物になって、ろくに医者にもかからなかった。……豊が看取ってくれて、よかった」
「…………」
「何故泣く?もう終わった話だ。あやめと善郎は報われた。ふたりとも《約束》を守った。《誓い》を果たした。今時の言葉では、ハッピーエンドというのではないか?」
八十年の時を経て、やっと辿り付いたハッピーエンド。まだ十年しか生きていない稔流には、果てしなく長い物語。
「……善郎さんが、軍服を着た若い姿だったのは、あやめさんとの約束を守る為だったんだね」
(あやめ、俺は必ず生きて帰る。だから待っていて欲しい)
(はい、善郎兄様。待っています。私は、いつまでも待っています――――)
「稔流」
さくらが、やっと稔流の方に向き直って、その黒い瞳に稔の姿を映した。
「私の為に死んで欲しい……と言ったら、どうする?」
さあっと、風が吹き抜けて、雪の糸が舞った。
日差しはまだ強いのに、どこか秋の匂いがするような気がした。
「死ぬよ。さくらの為なら、いつでも」
真っ白な睫毛に縁取られた黒い瞳が、驚きの色を宿して見開かれ、でもさくらはすぐに苦笑した。
「ちょっとは迷え。親が悲しむぞ」
「迷わないよ」
両親よりも先に稔流が死んだなら、きっと悲しみ泣くのだろう。
死産だった娘の名の隣に、産声を上げて生まれて来た息子の名前が刻まれた墓石を見る度に、何年経っても悲しみは蘇るのだろう。
稔流は、どうして自分だけ生まれてきてしまったのだろうと、みのりの分の命まで奪って生まれて来たのではないかと、何度も思った。
死んだみのりは両親にとって永遠の存在となり、生きている自分よりもずっと大切なのではないかとさえ思った。
でも、今は違う。
「誰を悲しませても、泣かせても、俺は、さくらと一緒にいたい」
ひとつひとつ、言葉を噛みしめて、稔流は言った。
「俺は、さくらが思うほど優しくないんだ。俺は、我が侭だから、譲れない」
さくらを真っ直ぐに見つめながら言い切って、稔流は実感した。
譲れないものがあること、自分の人生を誰かのせいにせず、我が侭に生きて死んでゆける自分であること。
そのことに気付いただけで、こんなにも自分は幸福なのだと知った。
「……女を泣かせるな」
「ごめんね。でも、さくらにだけは優しくしたいって思ってるよ」
「知ってる。ばか」
「ばかでもいいよ」
さくらと再会してたったの三日。
その間に、稔流は長い時間と道程を、一気に駆け抜けた気がした。
「泣いてもいいよ。でも、辛いのなら、さくらの心を俺に聞かせて」
そっと、抱き締めた。
仄かに、花の匂いがする。桜の花の香りはとても淡いので、香らないと思う人も多い。でも、もしその淡い香りをいっぱいに集めたならば、こんな甘い匂いがするのだろうか。
「……稔流」
「何?」
「まだ、死ぬな。……まだ、逝ってはいけない」
「うん、まだ生きるよ」
「……もっと、私と一緒に生きて」
さくらは、涙に濡れた瞳で、でも桜の花の蕾がほころぶように笑った。
「私は、これから成長していく稔流を、傍で見てみたいから」
「うん……楽しみにしてて」
「稔流は、白無垢の白と、引き振袖の黒の意味を知っているか?」
稔流は首を振った。普通の十歳はまず知らないと思う。
「白は、何色にでも染まる、という意味だ。嫁ぐ男やその家の色に。逆に、黒は何色にも染まらない。夫に一途に尽くし、決して違う色に染まることはしない」
「……だから、あやめさんの花嫁衣装は、黒地の振袖だったんだね」
もう、あやめは何色にも染まる必要はなかったのだから。人間として生きていた幼い頃から、善郎の色に染まっていたのだから。
「さくらは、白と黒と、どっちが好き?」
「私はどちらでもよい。稔流が綺麗だと言ってくれる方にする」
稔流は困った。神聖で初々しい白も、強く一途な黒も、どちらも……
「どちらも似合うし綺麗だ、などと優柔不断な事を言うなよ」
「……………………」
早く、大人になりたい。
でも、急がなくていい。
少しずつ成長してゆく、少しずつ大人に近付いてゆくその道程を、ふたり手を繋いで歩いて行けるのなら。