第26話 許婚たち(三)
「座敷童は、生前のことを覚えていればその名を名乗る。あやめもそうだった。でも、あまりにも幼いうちに死んだ魂は、自分の身の上など覚えていない。私のように、二度も座敷童に生った者は、前例すらないと、天神様も姫神様も言っていた」
「二度も……?」
「…………」
その問いに、さくらは答えなかった。
でも、座敷童とは、短くとも『生前』という命を生きて、死んだ者なのだ。だから、座敷童はみな人間の子供の姿をしている。
神隠しの時、『なし』だったのは、名前を付けて貰うのを断ったからだと言っていた。何故さくらが拒んだのかはわからないが、生前の名前を覚えていなかったか、始めから名前がなかったか、どちらかなのだろう。
「戦争が始まると、満二十歳以上の男は徴兵検査が義務になった。でも、天道村から徴兵される者は少なかった。検査を受けても、現役には適さないとされる者が多かったから」
(わらじ足だから兵隊にも取られなかった)
稔流は、曾祖母の話を思い出した。
「……わらじ足のこと?」
「ああ、《外》では扁平足と言うようだな。でも、わらじ足の男は軟弱ではないよ。天道村では働き者の足と呼ばれていて、わらじ足の男に娘を嫁がせたいと言う親もいたくらいだ。わらじ足は村中にいて、中でも宇賀田の家に多かった。宇賀田は宇迦の姫神様――食の神様をお祀りしてきた家で、格の高い家の者でも子供の頃から田畑でよく働いたから」
その働き者の足が、村を守った。
戦争になど行きたくないと、口に出せない時代であっても、わらじ足は幸運だった。
「でも、《外》の奴らは責めた。お国の役にも立てない、非国民の集まりだと。米や野菜を作って、自分たちだけたらふく食べていると。普段はこの村を忘れている癖に、《外》が貧しくなると文句を付けに来る」
「…………」
「ここは隠れ里だから、遙かな昔から村の中だけで食べ物が回るように分け合ってきたんだよ。自分の家の作物を少しよそに分けて、代わりによそからは自分の家には無いものが貰える。惣菜や漬物もそうだ。……そうやって生き抜いてきただけだよ」
一軒の家では偏って足りなくなってしまうが、物を交換し合って循環させることで、村全体が生き残れるようしてきた。
それが、濃密で煩わしい村人の距離感と紙一重の、隠れ里の生きる知恵であり、だからこそ村八分は致命的なことだった。
今の時代でも、田舎や農業に夢を持った都会の者がやって来て、程々の距離で付き合おうとしても、村人達は決して仲間とは見なさないのだ。
「あの時代、隠れ里は隠れ里ではいられなくて、村から志願兵を出すことになった。志願兵は二十歳に満たなくても志願出来たから。善郎は波多々の跡取りであったのに、満16歳で志願して戦争に行った。あやめに、必ず生きて帰るから待っていて欲しいと、言い残して」
さくらは語る。どうしようもなく悲しく、心が千切れそうに切ない物語を。
「約束通り、善郎は生きて帰った。……でも、あやめはもう待っていなかった。あと少しで数え十五に届きそうだったのに、肺を病んで死んだ。それから何年か経って、天道村にあやめの魂が戻って来た。あやめは、座敷童に生った。生前の記憶があったから、そのままあやめと名乗って、善郎がいる波多々の家に居着いた。……善郎の傍にいたくて。善郎を守りたくて」
――――座敷童という童であっても、その心は夫と共に生きたいと願う新妻のように。
稔流は、目が熱を持つのを感じながら、引き裂かれた恋人達を思った。
あやめは、どんな気持ちだったのだろう?いつでも傍にいたのに、善郎は生きている間ずっと、気付くことは出来なかった。
「善郎は、長く生きたいとは思っていなかっただろうな。でも、あやめの元を旅立ってから八十年生きた。心根が優しくて強い男だったから、家の者からろくに顧みられなくなっても腹を立てなかった。もし、善郎が波多々の者を恨むか、孤独に絶望していたら、あやめは本家を祟って滅ぼしたかもしれない。……でも、そうは出来なかった。善郎が不自由なく生きていけるよう、波多々の家が栄えることを祈り、善郎には座敷童の加護を授けて守り続けた。……早く、善郎が死んで魂だけになって欲しいと願いながら」
善郎の枕元に座っていたあやめは、美しい死神のようだった。
(私ね、ずっと、この時を待ち続けていたの……このひとが、死んでくれるのを)
「善郎が死んだからって、座敷童のあやめと結ばれるかどうかもわからないのに、あやめはずっと善郎の死を待っていた。……姫神様が、数え十五ほどに成長したあやめのお祝いに、振袖を贈るまでは」
「天道村の習わしで、数え十五で成人するから?」
「ああ。もう童ではないから、好いた男のところへ行けばよいと。旅立つあやめへの、はなむけだ」
健気な、悲しい座敷童は、優しい死神だった。
まだ生きている愛しいひとの命を、鎌で刈り取ることは出来なかった。
自分の姿を見てくれることはないかつての許婚が、若い姿から老いてゆき、その命を終えるまで、ずっと守り続けた。