第25話 許婚たち(二)
しゃらん、しゃらん、しゃらん……
しゃらん、しゃらん、しゃららん……
木立の向こうから、静かな、でもたくさんの人の足音が近付いて来る。
遠い遠い何処かへ、花嫁と花婿を連れて旅立って行く行列だ。
ゆっくりと進んでゆく行列の人々が、皆白い狐の面をつけていたのも幼い日の記憶と同じだった。
朝の光に雨が混じる不思議な世界は、この幻想的な花嫁行列の為に存在しているような気がした。
しゃらん、しゃらん、しゃらん……
しゃらん、しゃらん、しゃららん……
ふと、稔流は気付いた。
以前見た時には、白無垢に綿帽子の花嫁の隣には、紋付袴の花婿が寄り添っていたのに。
「どうして……?」
大きな傘の下にいるのは、花嫁ひとり――――あやめだけだ。
花嫁は、黒地の引き振袖を纏い、金銀を基調にした華やかな帯を締めていた。髪型は角隠しなので、しとやかな表情のあやめの姿はよく見えるのに。
座敷童ではなくなったあやめは、ひとりでどこに行くのだろう?誰に嫁いでいくのだろう?
「大丈夫だよ」
さくらが囁いて、眩しげな表情で行列の先を見た。
「花婿なら、もう待ってる」
花嫁行列が、ぴたりと足を止めた。その少し先には、軍服を着た若い青年が立っていた。多分、第二次世界大戦の頃の軍服だ。
(待たせて悪かった)
軍服の青年は、微笑んだ。
(とても綺麗だよ。あやめ)
花嫁の瞳が潤み、行列から飛び出して、走り出した。
走ると行っても、花嫁衣装では足さばきもちょこちょことしか進めない。
それでも花嫁は花婿の居る先へ懸命に走り、軍服の花婿もまた花嫁に駆け寄り、その腕に抱き締めた。
(ごめんなさい、善郎兄様。私……約束を守れなかった)
(違うよ。俺の帰りが遅かった。……でも、お前がまだ俺を待っていてくれて、よかった)
青年は、あやめの瞳から零れ落ちようとする涙を、そっと指で拭った。
(もう、兄と呼んでくれるな。俺はもう、あやめの夫なのだから。あやめは、俺の妻なのだから)
(はい。善郎さん……)
花嫁は、幸福そうに笑った。
せっかく花婿が目元を拭いてくれたのに、ぽろぽろと大粒の涙を溢して泣いた。泣きながら、綺麗に笑った。
しゃらん、しゃらん、しゃらん……
しゃらん、しゃらん、しゃららん……
鈴の音と共に、狐たちの行列が去って行く。
もう役目は終えたのだと、花嫁と軍服の花婿を残して遠ざかって行く。
花婿と花嫁もまた、寄り添いながら歩き始めた。
ゆっくり、ゆっくりと遠ざかり、そして幻の様に消えていった。
空は青く。雨が止んでいることに稔流は気付いた。
「あやめさんは、好きなひとの花嫁さんになれたんだね」
「あやめは八十年待っていた。やっと、報われた」
「え……?」
八十年前といえば――――稔流は頭の中でざっと計算した。第二次世界大戦の終戦が1945年。あやめを迎えに来たのは、軍服姿の青年だった。
「少し、昔話をしようか」
そう静かに話し始めたさくらは、まだあやめが去って行った方向を見つめたまま、稔流の方を向こうとはしなかった。
「あやめは、鳥海の一の分家の娘で、波多々本家の善郎の許婚だった」
「え……?」
善郎という名は、稔流も知っている。
(善郎は、望んだ訳でもないのに長く生き過ぎた)
「善郎さんって、夜明け頃に亡くなったおじいさんのこと?」
「ああ、稔流は豊に付いていって、臨終に立ち会ったのだったな」
それは夢の中の出来事のはずなのに、でも本当の事なのだと稔流は自分でわかっていた。そのことを、どうしてさくらが知っているのかはわからなくても。
……そういうこともあるのかもしれない、曾祖母なら、そのように思うのだろう。
「年が少し離れているが幼なじみでもあったから、あやめは善郎を兄様と呼んでいた。あやめは善郎を慕っていたし、善郎もあやめの成長を大切に見守っていた。似合いの2人だったよ」
「………!」
波多々善郎は、実在の人物だ。ならば、その許婚のあやめも、座敷童になる前は人間だったことになる。
「座敷童は、成人前の子供のなれの果てであることが多い……と言われている。産まれてくることが叶わなかった水子、口減らしに殺された赤ん坊、病気や怪我で死んだ幼子、数え十五の成人に至らずに死んだ者。……色々だ」
「…………」
「死んだ子供の全てが座敷童になる訳ではないよ。でも、どうして一度はこの世を去ったはずの魂が、こちらの世界で『座敷童に生る』のか、あの世に行ったままの大多数の子供と、座敷童になる子供では何が違うのか、……私も知らない」
稔流は気付いた。さくらが、あやめの花嫁行列を見送りに行く気になったのは、まだ花嫁になれない座敷童である自分を悲しく思うことよりも、あやめという長年の友人の幸福を見届てやりたいという心を選んだからだ。
でも、稔流に付いて来て欲しいと言ったのには、もうひとつ、別の理由があったのだ。
それは、今まで稔流が気になりつつも無理に暴きたくないと聞かずにいた秘密を、さくらが明かしたいと思ったからだ。
――――さくらの正体を、俺に打ち明けたいと思ったからだ――――