94.ある疑い
99mphの球がグニャリと曲がる。
MLBの動画を見てショータは考える。
『これ、念力とか使ってないよね?』
自分が”能力”を使っている以上、他の人が使っていない保障はない。
何が凄いって、この投手防御率そこまで良くない。
念力を疑う球を投げているのに打たれるのだ。
打つ方にも能力者がいるかもしれない。
自分を考えてみてもレベルの高い打者はショータの投球に戸惑いながらも
バットに当ててくる。
『状況を想像して絶対打たれないと思っていたけど、凄い人がいるもんだ。』
単調に投げると結構打たれる。
次にショータはある恐ろしい疑惑に考えをめぐらす。
心の中がわかる人、居たらどうしよう。
自分以外の能力者、心晴と話して二人とも
人の見ている物が見えるだけで何を考えているか分からない事
心晴は視界に干渉できない事が解った。
心晴がウソを付いているとは思えなかった。
問題は他に能力者が居て考えている事を読まれた場合だ。
『美月といやらしい事したいって考えてるのバレたらどうしよう。』
ショータは悶絶していた。
いや、普通に考えて皆にバレているよ、というのは彼に酷である。
生まれて初めて彼を好きと言ってくれた人である。
少しも嫌われたくないのである。
(礼華は好きとは言ってくれなかった。先に意思表示しなかったショータが悪い)
すぐ隣の部屋にはある意味人の心の中が読める人物がいた。
専門は耳鼻咽喉科だが内科医として勤務している彼女はい
ショータの想像よりはるかに人の心理が読めた。
『ババアが壊したショータをなんとかここまで持ってきた。』
寝酒のウイスキーを飲みながら彼女は考えていた。
誰も恨まず、素直なままでいてくれて本当に良かった。
強い子で誰にも責任転嫁せず抱え込むから壊れる。
頑張らなくて良いよ、私がいるよ、愛しているよ。
これを教え込まないと何も始まらない。
ババアは愛情はあるが『ガンバレ、ガンバレ』だからな。
出来ない事を方法も教えず、ガンバレと言われても困るだろう。
”正座して正しい言葉でしっかり話すまで何回も繰り返し練習させる”
ショータのトラウマ、もうやめたい、でもおばあちゃんの
ために頑張らなければ!
おかげで手を強引に引っ張るとフラッシュバックが出る。
部屋に引っ張って行ったせいだ。
ババアは吃音矯正しようとして実に精力的にやったようだ。
最初から吃音だったと言い張っているが、原因が何かは
今さらどうでも良い。
見てくれが良い孫に喜び、育児を任されて舞い上がったのだろう。
かいがいしく、舐めるように世話をした。
利き手の矯正と吃音の関係は証明されていないが、大学の夏休み
思いついて久しぶりに帰った実家で見た甥は異常だった。
夕方だったが歩き方がおかしい。
『恥ずかしがり屋』だと言って顔を少し見せるだけで奥に隠す。
兄、義姉は最近寝顔しか見た事がないという話をしていた。
奥の部屋に行きババアから甥をひったくった。
もう4歳だぞ、騒ぎまくらないか?ニッコリ笑ってこちらを見て
ババアの方に目をやる。
『怖いよね?』ババアが甥にすがるように言う『はーーい』返事をする甥
目に力がない。
無性に腹がたった。このババアはこんな所がある、悪気はないのかも知れんが
自分の主義を人に押し付ける。
『他に何か喋れる?』聞いてみると目が泳ぐ、言葉はよくわかるようだ。
『あんよ、痛いでしょ?』私が言うと目が下に向き戻った肯定はしていないが
反応がある。
『いつから?』私はババアに言った。怒気がこもっていただろう。
『話し始めた頃から、何とか直そうと』正座させて話しかけ続けたらしい。
その後何を言ったか覚えていない。
反抗期にロックバンドをやった時以上の大声を上げた。兄夫婦に内緒にしてくれ
という話に叫んで返した。魂が溢れ出た。
兄夫婦、ジジイ、ババアを怒鳴り上げて、3年も家に帰らなかった自分も同罪だと
思った。甥をこんなにしたのは家族全員だ。
義姉は知っていたが壊れていた。
今も医師としてはショータに対応できるが、それ以外では涙を流しているだけだ。
実にぎこちない、ショータに大好きと言ってあげるよう言ってある。
兄は途方に暮れていた。昔から逃げる人だったが今も逃げている。
さて、ショータは何とかなるだろう。
問題はあの娘だな。”自分がいなければ”と頑張り過ぎだ。
無理な頑張りで疲れ切っているように見える。
ショータは癒しになるだろうけど壊れないか心配だ。
壊れても良い方に誘導すれば依存されてもショータは
対応できるだろう。
面倒みるか。
自分の面倒見なきゃ駄目なんだけどな。
彼女はジジイと呼んでいる自分の父のウィスキーコレクションを
略奪すべく、階下へ忍んで行った。