3.翔太の落胆
とっても素直で優しい翔太君の独白です。
僕は射沢翔太 15歳 小学生4年の時から多摩ネィキッズにいる。
家からグランドまで車で一時間位かかるんだけど、お祖父さんとお祖母さんが大きな車を買って
送迎してくれていた。
お父さんお母さんは二人とも仕事で家にいない事が多いから
家で習字のお教室やってるお祖母さんと、時間に余裕のあるお祖父さんが僕の面倒を見てくれている。
僕は左利きで産まれた。将来字を書いたり食事する時に困ると心配したお祖母さんが一日中つききりで
矯正してくれた。
おかげで今ではお箸も筆記具も右手で何の違和感もなく使えて感謝している。
お祖父さんは昔高校野球で甲子園に行った事がある。
その時の動画を見せてもらった事がある。
凄いカッコイイ。僕もやりたいと言ったら物凄く喜んでくれて
『俺のできなかった全国制覇を』と
全面協力してくれるようになった。
コネを使ってW実業に僕を売り込んでくれた。
そして今日、精一杯アピールした。悪くは無かったと思う。でも。
呼ばれてW実業の監督に挨拶に行ったとき緊張してしまい派手に吃音が出てしまった。
小学校の時に「ドモタ」って呼ばれていた時みたいになってしまった。
野球は声でコミュニケーションを取らなければいけないスポーツだ。
いざという時意思疎通できない奴はダメだろう。
W実業監督は少し動揺した後は優しく対応してくれたけど、僕のイメージ最悪だろうな。
頑張ってくれたお祖父ちゃんの顔を潰してしまった。本当に申し訳ない。
子供の頃からがんばったけど僕の野球人生は終わったんだな。
野球をやる、特に投手として向いている性格ではありませんね翔太君。この後どうするのでしょうか。