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80.そろばん塾

 「おはようございます。」


 目が覚め瞼を上げれば、マーシェリンが俺を覗き込んでいる。


 「おはよう。あれ? ここは、テント?」

 「救護用テントで突然意識を失われて、そのまま野営地に泊まることになりました。冷え込みも厳しくなっておりまして、ペガサスでお運びしてショウ様のお体に支障があってはいけませんので。」

 「そうか、また寝ちゃったか。」

 「お食事もされずにお休みされましたが、すぐにお食事されますか。」


 そうだ、腹減ってたんだよ。食欲より睡眠欲が勝ったのか。睡眠欲を満たした後は、食欲が腹の中で叫びを上げる。

 ググゥ~~   は、腹が減った。


 「何か食べよう。」


 食堂用テントまでマーシェリンの腕に抱かれて運ばれた。腹が減って歩いて行く気力がなかった。

 野営地の中には待機組の騎士が昨日より少ないようだ。昨日、待機していた4隊のうち2隊が森へ討伐に出て、2隊がそのまま待機していると、マーシェリンが教えてくれた。


 テーブルにつき、マーシェリンが食事を運んでくれる。またスープとパンだ。野営地なんだからしょうがない。料理人がいるわけじゃないし、スープがあるだけましなんだろう。領都からスープとパンを運べる距離だから助かっているようだ。ひどい時には固いパンと干し肉、水だけで済ますらしい。

 俺も歯が生えそろえば、そのくらいの食事でも文句は言わないんだけどね。


 パンを小さくちぎってもらってスープに浸す。十分にふやけて柔らかくなったパンをスプーンで口に運ぶ。

 うまいっ。腹が減ってりゃ何でもうまいっ。

 アステリオスが入ってきた。森へ行ってたんじゃないのか。 


 「ショウ、昨日は随分と働かせてしまったようだ。すまなかったな。そしてご苦労だった。」

 「いや、気にしなくていいよ。やれることをやっただけだしね。」

 「いやいや、騎士団としてはあれだけの魔獣を相手に死人が出なかったのだ。ショウの働きに感謝をする。」

 「まだ終わってないんだよね。森の中の『カラードアント』の討伐をやってるみたいだし。」

 「ああ、それもじきに片付くだろう。毎日2隊の騎士隊を投入して、巣のあたりを重点的に森の中の『カラードアント』を探しているのだ。計画では7日間、捜索及び討伐を続ける。その後は隊を減らし1隊で7日間捜索。発見できなければこの作戦は終了だ。」

 「じゃあ、俺は治癒要員として、もう一日ここにいた方がいいかな。」

 「いや、今日はそこまでの怪我人はもう出ないであろう。今日出ている隊に蟻との戦闘経験者を入れてある。これから先も新しい隊を投入する場合はそのようにするつもりだ。」


 そうすると、もう俺はいらないか。帰って城でのんびりしよう。作戦終了までは騎士団はここに居座るだろうし。

 さすがに騎士団がいる時に、山頂部で【建築物創造】を実行したらまずいだろうね。



 やることもなく、城内をぶらぶらとあてもなく歩く。あてもなくとは言っても、筋力トレーニングのためにも歩くことは重要な仕事だ。

 『カラードアント』の討伐の時は、ほとんどコナンで動いていたからあまり歩いていなかったんだ。


 魔獣が出るのを怖がって、野営地にはいっさい顔を出さなかったアシルがくっついて廻る。


 「ショウはずっと山に行っちゃってるから、あたしはさみしかったんだよ。」

 「え? 子供部屋で人気者になってたんじゃなかったのかよ。」


 アシルは、ウルカヌスやアルテミスとお友達になったおかげで、俺がいない間ずっと一緒にいたらしい。子供部屋まで付いて行って、他の子供達みんなと友達になった、と自慢してた。


 「別に人気者ってわけじゃないよ。みんなとおしゃべりして楽しかったってだけだよ。」 「俺の筋トレに付いてこなくても、子供部屋へ行ってもいいんだぞ。」

 「せっかくショウがいるのに、ショウと一緒にいたいじゃない。」


 気分次第で好きなところへ行ってるのに、今日は俺に付いて廻りたいらしい。まあ俺に付いてくるのも、アシルの気分なんだろうけどね。俺は全く構わないが。

 おや? こっちは外に出る通路か。中庭に出た。中庭をテケテケと歩いて行く。

 花や木が綺麗に手入れされた中を歩いていった先に、テーブルと椅子を発見。

 俺頑張ったよね。かなり歩いたよね。ここで休憩してもいいよね。あ~疲れた。運動不足が如実に表れている。

 椅子によじ登ろうとしたら、マーシェリンがひょいと持ち上げて座らせてくれる。


 「ショウ様、お茶を持ってきておりますが、ここでお茶にしますか。」

 「うん、いいね。おやつもある?」

 「はい、ございます。」

 「あたしは? あたしの分もあるの?」

 「アシル様の分も用意してきましたよ。」


 収納のウエストバッグから出されたものがテーブルの上に広げられる。

 ポットからティーカップに注がれたお茶を、マーシェリンがフーフーして冷ましてくれる。

 アシルはお茶には目もくれず、テーブルの上に立ったまま陶器の器の中身をすくって口に運んでる。スプーンに乗っていたものは、どうやらプリンっぽい物のようだ。

 大人用の椅子にちょこんと座ってるもんだからテーブルの上が全く見えない。

 プリンっぽい物ならまたもや、アドリア―ヌのレシピであろう。俺が食べられるおやつとして選んでいるんだろうけど、気温が低くなっているこの時期に外で食べるものじゃないと思うんですけどっ!!

 冷まされたカップを渡され、ズズズっとすする。

 ほぁ~、あったまる。人肌より少し熱め。この気温にはちょうどいい。


 「ねえ、ショウ、おやついらないのっ。」

 「それを狙って付いてきたのか。」

 「失礼ねっ、ショウと一緒にいたかっただけだよ。」

 「じゃあ、おやつは我慢しろ。」


 テーブルに手をつき、うなだれるアシル。


 「おやつ一つで、この世の終わりみたいな顔してるんじゃないよ。そもそも、そのおやつが二つしかないってことは、俺とマーシェリンの分しかなかったんだからね。それをアシルがもらえたのは、マーシェリンの優しさなんだよ。」

 「ええっ。そうだったのっ? ご、ごめんよー。マーシェリン。」

 「アシルも食い意地ばっかじゃなくて、そういう優しさを持ちなさいよ。ということで、残ったおやつはマーシェリンが食べていいよ。」

 「私は結構です。ショウ様が召し上がって下さい。」

 「そんなの食べたら寒くなっちゃうでしょうがっ。いりませんよっ!!」


 上からアドリアーヌの声が聞こえてきた。ここは、アドリアーヌの執務室の下に見える中庭だったのか。


 「ショウ、暇そうね。ちょっと来てくれないかしら。」

 「いや、俺は忙しい。」

 「なに言ってんのよ、お茶してるだけじゃない。」

 「筋力トレーニングの合間の休憩時間だ。」

 「筋トレなんか後にして、手伝って欲しいのよ。」

 「どうせ、ろくでもないこと押し付けようとしてるんだろ。」


 俺とアドリアーヌのやりとりが聞こえたらしく、あちこちの部屋のバルコニーから多くの人が顔を出してくる。

 これは目立ってしまうぞ。しょうがない、歩いて執務室まで向かおう。


 「アシル、おやつは食べていいよ。

 マーシェリン、行こう。」


 廊下を歩き、階段をえっちらおっちら上り、そんな俺にマーシェリンが、


 「お急ぎでしたら私が抱いて走りますが。」

 「いや、俺は急いでないよ。」

 「え、でもアドリアーヌ様が、」

 「俺が急いでいないからいいんだよ。」

 「そうでございますか。」


 急がない俺の歩調に合わせ、マーシェリンがついてくる。ようやく扉の前に立つ。軽くノックをしてみよう。


 コンコン・・・・・・・・


 「ふむ、誰もいないようだ。帰ろう、マーシェリン。」

 「いますよっ!! 声を掛けなさいよっ!!」


 アドリアーヌの強い語気と共に、荒々しく扉が開かれる。

 ん~、この機嫌の悪さは、あれか? 男の子が干渉してはいけない案件とか、


 「違いますよっ!! 失礼ねっ。あなたっ、心の声がダダ漏れよっ!!」

 「えっ、声に出てたっ? って、何をそんなに機嫌が悪いのか知らないけど、その憂さ晴らしを0歳児にぶつけてどうするのさっ!!」

 「憂さを晴らしたいわけじゃないわよっ!! ショウに助けて欲しいのよっ。」

 「どうせ、事務仕事の手伝いでもさせようと思ってるんでしょ。それだって0歳児にお願いする事じゃないよねっ!!」

 「なっ、なんで分かったのよっ。」

 「『カラード』討伐のゴタゴタで事務仕事がたまりまくって、ヒステリー起こしてるんじゃない。」

 「そ、そうね、その通りよ。ショウは計算は得意よね。」

 「人並みにはできるよ。でも、やらないよ。」

 「そこをお願いっ!! あなたが何か困った時には助けてあげるから。」

 「俺が助けてる方が多くない?」


 そうは言っても、助けておいて損はないと思っているのも事実ではあるが。助ける事に、今この場で交換条件をだして飲んでくれるのかな。


 「じゃあ、助ける代わりに、王女様の来訪をお断りしてくれるとか。」

 「う、そっ、それはできないわ。何か、他には・・・・・  」

 「じゃあ、森での魔獣討伐の作戦は、あと14日間ぐらいで終わらせる予定らしいけど、作戦終了後は野営地を撤収してしばらく立ち入り禁止にして欲しい。」

 「それも、アステリオス様に相談してみないと・・・  」

 「あそこまで使い勝手のいい場所にしたんだよ。アステリオスに相談したら、騎士団にいいように使われるだけのような気がする。領主権限で、立ち入り禁止と決めてくれればいいんだよ。」

 「分かったわ。でもなんで立ち入り禁止なのよ。」

 「【建築物創造】をやりたいんだよ。」

 「そうだったわね。家を建てたいって言ってたわね。分かったわ。条件をのみましょう。」

 「手伝うのは騎士団の作戦終了までだからね。で、何を手伝えばいいの。」

 「この机に山積みになった帳簿書類の検算ね。山ごとに部署が違うから、絶対に混ぜないでね。」

 「マーシェリン、この書類の束をそっちのテーブルに運んでよ。」

 「かしこまりました。」


 運んでもらったテーブルの上に乗せてもらい、書類を確認し始める。お行儀が悪いと言われてもしょうがない。椅子がないんだから。


 「椅子ならあるわよ。

 リベルドータ、収納から出してあげて。」


 そうだ、アドリアーヌは収納で持ち歩いていたんだ。俺も俺専用椅子は異空間収納に入れて持ち歩くようにしよう。

 椅子に座って書類確認・・・・・ したからといってこれをどうしろってんだっ!! こんなもの筆算でやってられるかっ!! 電卓は無理としてもそろばん欲しいだろ、これはっ。

 魔力放出、そろばん形成、軸と玉が固定されないように、【魔力固定】・・・・・ できた。いいんじゃないか? 玉を弾いてみる。パチパチ おおー、懐かしい音だ。


 「ちょっとっ、そんなに簡単にそろばんを作って・・・・・ 使えるの?」

 「個人事業主をなめるなよ。電卓なんか無い時代から帳簿計算をやってきたんだ。必須アイテムはそろばんと決まっていたんだ。」

 「私はあまりそろばんになじみがなかったんだけど、私でもできるかしら。」

 「学校で教わってるはずだから、使ってみれば思い出すんじゃない? どうぞ、使ってみて。」

 「ありがとう、お借りするわ・・・・・  ショウ、これ間違えてるわよ。」

 「え? どこが?」

 「上の玉が5でしょ。下の玉が1、それが5個あるって事は10になって上の位に繰り上がらないじゃない。下の玉は4個じゃないの。」

 「ああ、そうか。俺は普通に五玉を使ってたな。学校で教えてたのは4個か。」


 魔力放出、そろばん形成、下玉4個、【魔力固定】・・・  子供達が使ってたそろばんはこれか。うん、見たことあったな。


 「はい、どうぞ。あげるよ。」

 「そう、これよ。ありがとう。でどうやって使うの。」

 「10になって上に繰り上がることがわかってるなら、足し算はできるんだよね。」

 「え、ええ、足し算ぐらいならなんとかなると思うわ。」

 「帳簿の集計みたいだし、足し算しかないんじゃない? それができるんなら、昔からよく聞く言葉を教えてあげよう。『習うより慣れろ』これにつきるね。」


 俺は5玉を使って手元の書類の集計を始める。

 腕が短くて手が小さい。手を伸ばして遠くの玉をはじこうとすると、手前の玉が動いたり。

 うが――――っ!! かんしゃくが起きるぞ。

 コナンでやるか。いや、コナンの指は太いからな~ そろばんには向かないだろ。

 いっそ魔力の触手でやってみるか。そろばんなんて親指と人差し指、2本しか使わないんだから。

 たった2本の触手に全神経集中。

 パチパチパチパチ、おっ、おおっ、おおおお――――っ!! いけるっ、いけるぞっ!!


 あまりにも懐かしい感触だ。間違えないように、慎重に、慎重に。

 一枚の集計が終わった。合計は・・・・・ 合っているようだ。次・・・・・・・



 アドリアーヌの執務室へ通い始めて、10日ぐらいで事務仕事はほぼ片付いたようだ。最初こそ久しぶりのそろばんで悪戦苦闘したが、慣れれば集計の早さは筆算の比では無い。アドリアーヌでさえスピードが上がり、そろばん大絶賛だ。

 事務仕事を手伝わされている護衛騎士達は、私も私もと、そろばんを欲しがった。

 騎士団の作戦終了まで、アドリアーヌの執務室がそろばん塾になってしまった。

 彼女たちも教えれば、すぐに覚えて感謝感激雨霰である。

 そんな中で、書類など一切我関せずを通していたマーシェリンが、そろばんに興味を持ったようなので、ちょっと教えてみた。驚いたことに、文字を追う事が大嫌いだったマーシェリンが、そろばんをはじきながら数字を追う事に嵌まったようだ。誰よりも早い速度で数字を追い、玉をはじいていく。

 これでアドリアーヌの事務仕事要員が一人増えた。しかも超絶スピ-ドの。これは人よりも抜群に早い反射神経速度を持つマーシェリンのなせる技か。

 計算仕事で呼び出されるような事があったら、すぐにでもマーシェリンを差しだそう。

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