8.残念なマーシェリン
パトリック様が呆然として手と膝をついてうなだれている。瞬殺だった。打ち込んできたパトリック様の剣を受け二撃目をはね上げ空いた胴に剣を叩きこんだ。身体強化魔法は掛けるまでもなさそうだった。
周りにいた騎士達も啞然としている。
「いくら何でも油断し過ぎじゃないのか?」
隊長が声を掛けるが、返事が無い。
「おい、怪我でもしたもか。」
隊長と副隊長が駆け寄る。怪我をするほど強く打ち込んだつもりは無かったが、模擬剣とは言えこんなもので叩かれたら大層痛かろう。私の腕輪には治癒の魔法円を記憶させた魔石を装備させてるので、癒しの魔法で痛みぐらいは和らげようと、腕輪の魔石に魔力を込め魔法を掛けようとしたら。
「それは癒しの魔法だな。大丈夫だ。癒しはいらない。」
ようやく立ち上がり、喋り始めた。
「隊長、申し訳ありません。怪我は無いと思いますが、完膚なきまでに心を折られました。」
「そうだろうな。油断もあったろうが、マーシェリンの剣の腕を見たら今のパトリックでは手も足も出ないだろう。」
「成人前の小娘と侮って油断して打ち掛かりましたが、一撃目を打ち合った一瞬で格の違いに気が付いて恐怖に打ち震えましたよ。」
「マーシェリン、すまなかった。君を侮り下に見ていた非礼を詫びよう。」
「いえ、そうお気になさらずにお願いします。」
「それと、俺にもう一度チャンスをくれないか。」
「チャンスですか、それはどのような?」
「君が学院を終え、騎士団に入団してくるまでの1年間に死に物狂いで鍛え上げておくよ。1年後に、もう一度手合わせしてくれ。」
「それはとても楽しみですね。でも1年後は私ももっと強くなっていますよ。」
「そ、それを超えて強くなって勝てたなら、求婚を受けてくれるだろうか。」
「それはその時に考えましょう。それよりもこの後の訓練に私も参加して貴方を鍛え上げてあげましょうか。いかがですか、隊長」
「それはありがたい。是非とも参加してくれ。」
周りに集まっていた騎士達が蜘蛛の子を散らすように離れていき、剣を打ち合い始めた。模擬剣を借りた騎士は倉庫らしい建物に向かって走って行く。場所を教えてくれれば自分で取りに行ったのに、申し訳ないことをした。
「さて、パトリック様、手合わせお願いできますでしょうか。」
帰りの道を歩きながら、思わず顔が笑みで崩れてしまう。今日は楽しかった。色々な人と剣を交えた。しかも現役の騎士達だ。中でもオルドリン隊長は強かった。何回挑んでも勝てなかった。私の中で新たな目標ができた。入団できるまでにオルドリン隊長を打ち負かせるぐらいにはなりたい。
パトリック様は・・・ うん、今日は頑張った。叩いても叩いても、立ち上がり向かってきた。最後は足腰立たずボロボロになって医務室に運ばれていったが、ちょっと見直した。ただの軽薄そうな男から頑張る青年に昇格だ。1年で私より強くなるというのは、望みが薄そうだが。
オルドリン隊長に、次回の対人戦闘訓練にも参加しないか、と誘われた時は嬉しかった。考える間も無く頷いていた。屋敷の庭で一人で剣を振っていても何も楽しく無かったから。
母に帰宅の挨拶をし、上機嫌な私を見て母も大層嬉しそうな顔で
「早くお着替えをしていらして。今日のお話を伺うのがとっても楽しみだわ。」
自室に向かい、侍女のルーベラに着替えを用意してもらう。演習場では随分と汗をかき埃で汚れたが、その場で洗浄魔法を掛けてきたので水浴びをする必要もないだろう。さっさと着替えて居間へむかう。
「今日はパトリック様にお会いしに行ったのでしょう?パトリック様はいかがでした。」
ああ、そうか。母の中では今日は、パトリック様がメインか。ちょっとほめておくか。
「訓練をとても頑張っていらっしゃいましたよ。私も早く騎士団に入団させて頂きたいと思いましたわ。」
「え?・・・ パ・・ パトリック様の縁談のお話は、どうなったのですか。」
突然母の顔が曇った。
廊下を、父が私の名を叫びながら走ってくる。ドアが勢いよく開かれ、
「マーシェリンッ!! お、お、お、おまえはっ! パトリック様に一体何をしたのだっ!! パトリック様が医務室に運び込まれたらしいと聞いて、容態を伺いに行ったら、おまえと剣術の訓練をしたというじゃないかっ。」
「はい、とても楽しい訓練でした。オルドリン隊長が次回も是非参加して欲しいとおっしゃっていました。」
「パトリック様はボロボロに打ち据えられて、医務室のベッドで気を失っていたんだぞ。」
母の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「それはパトリック様が私に挑んできて、私を超えたいと願ったのですから、私自身が手を抜く訳にはいかないでしょう。」
とうとう母が悲鳴を上げるように叫んだ。
「縁談の話はどうなったのですかっ!!」
「パトリック様は1年後にもう一度、私に挑むと、パトリック様が勝てば求婚を受けて欲しいとおっしゃっていました。」
「その時には貴女はパトリック様に花を持たせてあげるのでしょうねっ!!」
「花を持たせるというのがどういう意味か分かりませんが、大丈夫です。1年後に挑まれても必ずや返り討ちにいたしましょう。」
「そうでは無いでしょうっ!!貴女のような頭の弱い子をもらっていただける奇特な方は、もう現れないかもしれないのですよっ!!」
ゴンッ!と頭を殴られたような気がした。頭が弱い? 誰が?・・・ 私か?・・・ たしかに学院では落第寸前で、補講補講の末にようやく単位をお情けで貰っている感が強い。
「そっ、そんな、・・・ 娘に向かって頭が弱いだなんて・・・ 」
「その通りではないですかっ!! 頭の中は、座学をおろそかにして、剣術のことしか考えていないでしょうっ!! 来年は貴方はもう15歳なのですよっ!! 成人なのですよっ!! 貴女の廻りのほとんどのお嬢様方は、もう嫁ぎ先が決まっているのではないのですかっ!!」
とんでもない剣幕で母が捲くし立てている間、オロオロとしていた父がようやく口を開いた。
「問題はそんな事じゃない。ペレスターノ侯爵家の三男のパトリック様を、足腰立たなくなるまで打ち据えたのだぞ。侯爵家の圧力で爵位返上を言い渡されたら、我がバートランド子爵家はもうお終いだ。」
「すぐにっ、貴方はすぐに謝罪の手紙を書いて下さい。そっ、それと、侯爵家に謝罪に伺う日の御都合を、」
「お父様もお母様も、落ち着いて下さい。」
「落ち着いてなどいられませんよっ!! 貴女のせいで、このバートランド家が終わるかもしれないのですよっ!!」
「騎士団では爵位の上下で無理強いはしないと、オルドリン隊長がおっしゃっていました。」
「私は騎士団にいるのではないっ!! 文官として城で働いているのだっ!! もうお前は部屋で座学の勉強をしていなさいっ!! もう剣術は禁止だ―――っ!!」
部屋を追い出されてしまった。しかも剣術禁止を言い渡されて。
オルドリン隊長と次回の訓練の参加を約束しているのに・・・ 明日にでもオルドリン隊長に相談してみよう。
今読んでいる書物はこの国の歴史の本なのか? 目は文字を追っているのに、内容が全く頭に入ってこない。昼間の疲れか、苦手な書物を読み始めたせいなのか、机に向かったまま私の意識が・・・ 途切れた。
爽快な朝とは言い難かった。机に突っ伏したまま夜明けまで寝ていたのだから、ひどい顔になっていると思う。身体中が痛い。ルーベラが起こしに来る前に顔を洗っておこう。
部屋のドアを開けてたら、タイミングの悪い事にルーベラがノックをしようと手を上げている。顔を見合わせて、ルーベラがとても残念そうな顔になり溜息をついて、
「お嬢様、お部屋でお待ちください。そのお顔を奥様に見られたら、またお叱りを受けますよ。今お湯とタオルをお持ちしますから、お顔を整えてからお部屋からお出になられた方がよろしいでしょう。」
「そっ、 そんなに酷いのですか?」
バートランド子爵家に長く仕えているルーベラは父よりも年上である。産まれた時からずっと面倒を見てもらっているから全く頭が上がらない。
「淑女のお顔ではありませんよ。」
昨日から『頭が弱い』だの『淑女の顔では無い』だのと、酷い言われようだ。このまま剣術禁止を押し付けられたら、私は立ち直れないぞ。
ルーベラがベッドに仰向けに寝た私に、お湯に浸したタオルを絞り、顔に被せてくれた。
ふー・・・ 気持ちがいい・・・
「少し、お口の横から頬のあたりをこすった方がいいですよ。よだれの跡が付いておりますから。」
は、恥ずかしい。たしかに『淑女の顔では無い』と言われてもしょうがない。
なんとか見れる顔になったらしい。ルーベラが私の顎をつかみ左右に振り、よろしいでしょう、と頷く。すぐに着替えを済ませ食堂に向かえば、もう既に家族は朝食を終えたようで誰もいなかった。一人で黙々と朝食を摂りながら、今日はどうしようか思いを巡らす。
やはりパトリック様に逢って謝罪をするべきか・・・ 昨日の父の剣幕では、バートランド子爵家の存続の危機みたいな事を言っていたような気がする。
パトリック様に逢う前にオルドリン隊長に相談しておこうか。