5
僕は人生初の彼女が出来た。授業の時間以外は、山本さんと過ごすことが多くなった。祝日も二人で動物園や、水族館などのありきたりなデートスポットへ行った。自然に風間と会う機会は減少した。当の本人は、「やっと神田にも、俺以外で昼飯を一緒に食べる人が出来たか」と寂しがる様子は無かった。
「ねえ、聞いている?」
脳内空間から、現実へと戻される。ベンチの隣には、風間ではなく、山本さんが座って居る。
「ごめんね。考え事していた」
「神田君って、いつの間にか自分の世界へ飛んで行っちゃうよね」
平坦な口調で喋る。怒っているのか、不思議がっているのか、どちらか判別出来ない。
「そうなのかなぁ」
「そうだよ。遠くの一点を見つめてさ、意識があるのか分からない。そのまま吸い込まれて、居なくなってしまいそう」
「面白い考えだね」
風間だったら、どう答えるだろう。
「ほら、また」
慌てて彼女に目線を合わせる。今度は間違いない、怒らせてしまった。形の良い眉がきゅっ、と跳ね上がって、口元が固く結ばれている。
「私と一緒に居ることは、つまらない?」
「滅相もない。楽しいよ」
必死に声を届けようとする。一言、口から発せられる度に、彼女は悲しそうな顔になる。もがけばもがくほど沈んで行く。
「そんな感じには思えないよ」
何か言わなくてはいけない。それは分かっているのに、もう言葉が浮かばなかった。準備をしていた半開きの口は、ただ滑稽に映るだけだ。
山本さんは深い溜め息を吐いた。それは、意図的では無い。そうでもしないと、やっていられない、そんな感じだった。それが余計、僕の心臓を抉り取った。
彼女は腕時計を確認して立ち上がった。
「もう、次の授業だ。じゃあ」
いつもなら「またね」が付随していた。彼女の後ろ姿が他の学生と重なっていく。
「何をやっているんだ」
空を仰ぎ見た。薄暗い曇天、僕を非難している様に感じる。
その日以来、彼女は僕に連絡をしてくれなくなった。二日、三日、経つと不安になって、こちらから連絡をしようと、試みた。でも、どう伝えれば良いのか、困惑した。また同じことの繰り返しになる気がしたからだ。
八方塞がりである。恋愛体験皆無の僕は、どうすれば良いのか、さっぱりだ。いや、これは恋愛以前の問題だ。
何故、彼女と一緒に居る時に、別の事を考えてしまうのだろう。この前は風間のことだったが、他にも色々な事を反芻している。例えば、何故戦争が起きるのだろう、とか。普通の人は考えないのだろうか、僕は気になってしょうがない。
このもやもやを解消したい。それには、風間が必要だった。
久しぶりに会った風間は、髪を茶髪に染めていて、ザ・大学生、といった感じだ。
「よお、長らく会わなかったけど、最近どうよ?」
「…あまり」
「山本さんと、上手くいっていない感じか?」
「そうなんだ。それで、風間に相談したくて」
「彼女とベタベタして、俺を放っておいて、上手くいかなくなったら、俺に相談かぁ?俺は便利やじゃねえぞ」
軽い調子で言うが、中々痛い所を突かれる。
「ごめんよ。ゼミとか、バイトの関係もあって、忙しいの」
「マジに受け取るなよ。それで、どうして上手くいっていないの?」
「山本さんに、僕が時々自分だけの世界に行っちゃうって、言われた」
「自覚は?」
「ある。二人で話している時にも、たまに。それこそ、この前は風間の事を考えていた」
何の気なしに、言ってしまったが、瞬時に後悔した。
「おいおい、彼女と過ごしている時に、俺のことを考えるって、気持ち悪いな」
「いつもではないから!」
意味不明な弁解をして、余計変な空気になる。
「と、とにかく、謝りたいんだけど、どうこの気持ちを表現したら良いのか、困っているんだ」
「それに謝っても、また自分の世界に入っていたら、同じことの繰り返しだしな」
ふーむ、と風間は顎をしゃくった。
「そもそもさ、どうして彼女と一緒に居る時に、他のことを考える訳?」
「僕さ、一人で過ごす時間が多かっただろ?」
「俺以外に友達いないしなぁ」
「そそ。それで、時々寂しくなるの。そう言う気持ちを、空想に浸ることで紛らわしていた訳」
「ははぁ、今でもその慣習が抜け切らないと」
頭を抱え込んで、息を吐く。
「んああ!どうすれば良いんだ!」
「山本さんと過ごす時間を減らせば良いだけだろ」
簡単なことよ、そう続けた。
「一人の時間を増やしたい、そう言うの?」
「どう伝えるかは、自分で考えろよ。でも、そういうこと」
「どうかなぁ…」
「あのな、お前は山本さんに、気を使い過ぎなんだよ。お客様か?違うよな。神田と山本さんは、恋人な訳だろ?もっと、自分を曝け出しなって」
いつになく、風間は熱を帯びている。
「そ、そうだね」
気迫に押される形で、頷く。
「あ、勿論その前に謝罪な。ここで大切なこと、それは何でしょう?」
急遽テスト形式になる。恋人への謝罪、一番重要なことは…
「分かった!誠心誠意謝ることだ」
ぶぶー、手を胸の前で、大きくばってんにする。
「それは、当たり前。正解はプレゼントでした。恋人から贈り物をもらって、嫌がる子なんていない」
「何を送れば良いの?」
「どこまでも受動的だな。神田は何をもらったら嬉しいと思う?」
異性どころか、友達にすらプレゼントを、長らく送っていない。全く分からない。
「花とか、チョコ?」
新鮮さの欠片も無い。
「安牌だな。でも、気持ちがこもっていれば良いか」
思わず胸を撫でる。風間に認めてもらうと、率直に嬉しい。これを聞くと、絶対調子に乗るので、本人には言わない。
「後は、愛の言葉だな」
予期せぬ展開に、口から唾が飛んだ。円を書くように、液体は風間の手に付着した。
「うわ、汚ねえ!何すんだよ!」
ハンカチをぽっけから出して、丁寧に風間の手を拭く。
「ごめんよ。まさか、愛の言葉なんて出てくると思わなかったから。冗談だよね?」
「マジ、大マジ」
冗談を言っている顔ではない。顰め面をして、精一杯抗議をしてみる。
「そんな顔したって、無駄だからな。山本さんのこと、好きなんだろ?」
その質問はずるい。
「好きだよ。僕には勿体無いくらい、良い人だ」
「なら、想いを届けないと。迷っていると、他の男に取られるぞ」
脇腹を突いてくる。とてもこそばゆい。
「ちょ、やめて。そこ、敏感だから」
「ほれほれい、宣言しろ。山本さんに、想いを伝えるって」
こういう時、風間のしつこさは半端ない。
「わ、分かった。伝える、伝える。だから、もうそれ以上は」
ようやく解放してくれた時、僕はぜいぜい喘いでいた。
「よし。覚悟は決まったな。おとこになる時だ。男じゃないぞ、漢だ」
風間は空中に漢の文字を書いた。
「今のご時世、そういう気遣いは大切だからな。週刊少年ジャンプも、性別は関係ない。少年の心さえ持っていたら、女性だろうが、おっさんだろうが、ジャンプっ子だ」
どや顔の風間はこの世界で生き生きとしている。