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風間の話から僕の話へ一旦戻りたい。風間に比べると、エピソードは弱いしつまらないけれど、勘弁して欲しい。
僕は女の子が苦手だ。嫌いでは無い、むしろその反対大好きだ。いや、大好きは気持ち悪いだろうか。
小学校までは、なんとも無かった。クラスの女子全員と仲良かった。お互い名前で呼びあっていたし、頻繁に遊んでいた。
異変が起きたのは、中学生の頃だ。仲の良かった女友達が、サッカー部の三年生と一緒に帰って行くのを見てしまった。
その子に対して、全く恋愛感情を抱いていなかった。ただ僕の胸は強く握り締められた様に、辛かった。
どうやって子供が出来るのか、とか女の子と男の子は成長に従って、身体つきが変わることは知識として把握していた。
いつかはこんな日が来ることも、覚悟していた。でも、そのいつかがこんなにも早く来てしまった事に、僕は絶望した。
その日を境に、その子を友達では無く、一人の女性として僕は認識し始めた。どこかよそよそしい態度で、その子を傷つけてしまったかもしれない。
中学卒業間際には、もう僕は普通に女の子と話せなくなっていた。男友達といる時は、リラックス出来るのに、女の子を前にすると、顔が真っ赤になって、吃ってしまう。
情けなかった。周りの友達が女の子と楽しそうにしているのを見て、心底嫉妬した。どうして僕は駄目なんだろう、と自身をなじった。枕を涙で濡らすこともあった。
これは卒業式の日に起こった出来事だ。式が終わって、僕達卒業生は校庭に集まった。卒業証書片手に団欒していた。
仲の良いグループで話している時だった。バレーボール部に所属していた女の子数人が、もじもじしながら近づいて来た。
当然、僕は心臓をばくばくさせていた。その頃は、女子が近くにいるだけで、満足に呼吸が出来ない体となっていた。
「俊。写真撮影しよう」
俊君は野球をしていて、背が高く、イケメンで、頭も良く、優しい、最高の男だった。当然僕も好きだった。
俊君は慣れた様子で撮影に応じる。周囲の友達が「ひゅー、ひゅー」とからかうので、真似をした。口を動かしながらも、目は死んでいたと思う。
写真撮影は、グループショットの後にツーショットが行われた。恥ずかしそうにしている子も居たが、結局その子も、はにかんだ笑顔で撮られた。
俊君と女の子達の顔は途轍もなく近く、自分なら気を失ってしまうな、と感じた。被写体である彼らは、青春漫画や映画に出てくる様な神々しさを放っていた。
その後、代わる代わる女の子がやって来ては、所謂人気の男子に写真撮影を頼んでいた。残された友達と話しているのだが、意識はそっちにしか行かなかった。
帰るという選択肢もあった。実際に、卒業式が終わると同時に、そそくさと帰宅する生徒も居た。僕は、その人達の気持ちが痛いほど分かった。自分もそちら側の人間だからだ。
それでも、帰らなかったのは、恐らく淡い期待を抱いていたのだと思う。あまり喋ったことの無い女子から写真撮影を求められる、という幻想を。
端的に述べると、そのような奇跡は起こらなかった。
分かり切っていたことだ。運動神経も並、頭脳も並、平凡な顔、どれを取っても、僕が女の子から好かれる条件は無い。
自分が女性でも、僕の様な異性は選ばない。絶対俊君派だ。
中学で拗らせた女性への思いは改善することないまま大学へ突入する。
何故か?
男子校に通ったからである。
女性に対して苦手意識を抱いたまま、僕は高校生活を過ごした。
びっくりするくらい、楽しかった。共学は華やかかもしれないが、自分には男子校の雰囲気が合っていた。
クラスメートは全員優しく、運動部、文化部関係なく、仲が良かった。球技大会は一丸となって、取り組んだ。あれは青春と呼ぶに相応しい。
とりわけ、僕が男子校を気に入っていた理由は、カップルを見なくて済んだことだった。当たり前だが、クラスに女子はいないので、同級生の大半は、彼女がいなかった。
ほんの一握りのモテ男だけは、彼女がいたけれども、教室内で、そんな話はしない。
恐らく、僕は子供過ぎて、複雑すぎる男女の関係を嫌っていたのかもしれない。
とにかく、僕は高校生活を満喫した。さて、ここからが問題だ。その間異性と全く関わることが無いまま、大学へ入学する事になった。
そうすると、どうなるか?
突然、大人に変化した同級生の女性にびびる、が正解だ。
薄茶色の髪の毛、ばっちし決めているメイク、ヒール靴、マニキュア、可愛らしい服、口紅、全てが刺激的だった。
僕は良くも悪くも、純粋でうぶだった。キャンパス内を歩く、女子大生の絢爛さに怯えてしまった。
長々と女性苦手エピソードを語ってしまったが、そんな僕が飲み会に行った時の話をしたい。二年生に上がった、夏の頃だ。
前述した様に、サークルや同好会には入っていなかった。しかし、一年生から継続して受講しているフランス語クラスの九人で、居酒屋に行くこととなった。
そういう席は苦手だったが、場の雰囲気を壊すことは、最も恐れていることなので、笑顔で参加の旨を伝えた。
午後六時集合であったが、一時間前の五時には到着していた。別に楽しみだから、という理由では無い。電車の遅延や、予期せぬ事態に備えて家を早く出たのだ。
十分前になると、ぱらぱらと集まり始めた。普段の授業に来る順番だ。遅刻が当たり前の岡田君は、やはり五分遅刻した。
「おう、みんな集まってるな!」
岡田君は悪びれる様子も無く、率先して店に入って行く。イケている順にぞろぞろと続き、最後尾は僕が務める。一番最初に着いて、店に入るのは最後、これも僕らしかった。
予約していた場所には、四人用テーブルが二台置かれて、木の簡易椅子が九個用意されていた。
岡田君が我一番に端の席に座り、他の人達も次々と自分の席に座る。
座席はこの店に入る前から決まっていた。岡田君のテーブルには、親友でフットサルサークルに所属している新田君、ダンス部、おしゃれでシュッとしている本田さん、広告サークルのメンバーで、男女問わず人気で美人の玉川さんが必ず座る。
もう片方のテーブルには、言い方は悪いが余り物が座る。
「飲み物何にする〜」
本田さんが、快活な声で場を仕切る。僕を除く男子陣はビール、女性陣はレモンサワーだった。僕はお茶をお願いした。
「え!神田君、飲めないのー?」
「うん。弱くてね…はは」
「勿体無いね!私、これがなきゃやってられないよ」
「出た!優香の酒豪キャラ」
新田君が、すかさずツッコミを入れて、本田さんと戯れる。もう、関心は僕には向いていなかった。
別に、お酒が飲めない訳では無い。両親共に飲めるので、体質的には問題無かった。けれど、飲みたく無かった。お酒を飲んで意味が分からないことを話している人や、性格が変わる親族を、幼い頃から見て来たので、飲みたいと思えなかった。
だから、勿体無い、人生を損している、という人間には、無性に腹が立つ。放っておいてくれよ。心から、そう思う。
「かんぱ〜い」
岡田君の音頭で、全員のジョッキが挨拶をする。からん、からん、こん。僕だけ、湯呑み茶碗なので、音が鈍い。
一口入れると、ほっとした。お茶のあったかさは、心に沁みる。僕の遺伝子は茶に反応していると思う。
「神田君、お茶好きなの?」
山本さんが、ゆったりとした口調で話しかけて来た。彼女はおっとりとした子で、この中では一番話しやすい。
「うん。祖父母と一緒に暮らしているからか、毎日飲んでいるよ」
「へ〜、そうなんだ。私も次頼もうかなぁ?」
「なになに?二人で、ご隠居トーク?」
割り込む様に、川田君が話に入って来た。僕の見立てでは、彼は山本さんのことが好きだ。
「まあ、そんな感じかな?」
山本さんが僕に目線を送りながら、同意を求めて来た。
同じテーブルの川田君、川上君から鋭い視線が向けられた。どうやら川上君も山本さんを気になっているらしい。
当たり障りのない様に、乾いた笑いで返答した。
昔から人の機嫌を伺いながら、生きて来た為か、何と無く人物相関図を頭の中に描ける様になった。
岡田君と玉川さんは、最近距離が特に縮まった気がする。玉川さんは、岡田君のビールの減りを確認しては、注文している。恐らく、二人は付き合っている。オープンにしていない辺り、初期段階だろう。
前述した様に、川田君と川上君は、山本さんを狙っている。
一番厄介なのが、新田君だ。彼は本田さんに度々アプローチしている癖に、山本さんを見る目が完全に男のそれだ。いつか、それが問題を起こさない様に、僕は祈るしかない。新田君がどうなろうが、知ったことではないが、自分の生活スペースはいつまでも平穏であって欲しい。
軽音サークルの星さんと僕だけが、人物相関図から除外されている。星さんの名誉?を守る為、言及すると、彼女は軽音サークル内に彼氏がいる。だから、そういう意味では、真のはぐれ者は僕一人ということだ。
お酒が入って来て、次第にみんなの声が大きくなってくる。岡田君と玉川さんは、二人だけの空間に酔い痴れって、時折目線を合わせては、幸せそうに笑っている。心の奥底から、どす黒い感情が湧き出てくる。人が幸福なのがムカつくって、僕も性格が悪い。
新田君は本田さんを口説きにかかっている。
「優香って、顔可愛いよな」
「ほんと!嬉しい」
「高校とかモテたでしょ?」
「それなりかな。優一は、やばかったでしょ」
「否定はしない」
「しろよ〜」
「だって、毎月の様に告白されていたからね。同級生からだけじゃなく、先輩や後輩からも」
「うわ、やば!」
「サッカー部のエースだったからね。俺のファンクラブとか出来ちゃって、それに他校の女子生徒も入っているの。試合の差し入れが多すぎて、困ったよ」
「生意気〜!」
本田さんが新田君の脇を小指で突いて、彼が仰け反る。お返しに、と新田君が本田さんのお腹をくすぐる。事故を装って、たまに胸辺りを触っているのが遠くから見てもバレバレだ。
こちらのテーブルでは、川田君と川上君が山本さんと会話をしようと必死だ。二人とも、一度僕や星さんをクッションにしてから、山本さんに振る。
「星さんって、好きな食べ物ある?」
「オムライス」
「お、いいね。山本さんは?」
「神田君は、好きなアニメとかある?」
「スポンジ・ボブ、ベン10とか、アメリカのアニメは結構好きだよ」
「スポンジ・ボブかぁ。山本さんは」
流れ作業みたいに、僕と星さんをあしらってから、本命に行く。都合の良い道具にされている。
「スポンジ・ボブ!」
山本さんの目が光り輝いた。川上君と川田君は、自分達には見せなかった、山本さんの興奮ぶりに、唖然としている。
「私も好きなの!今でも見ている。友達からは、大学生にもなって幼児アニメ?って、苦言を呈されるの」
「おんなじだ。僕は親から」
「辛いよね。お気に入りのキャラは?」
「サンディが好きだな。あの世界で、唯一の陸上生物でしょ」
「確かに!私はプランクトン」
「え!珍しいね」
「悪役だけど、憎めないでしょ?」
「そうだね。たまに協力もするし」
アニメ談義は段々と過熱して行った。すっかり他の人々を置き去っている。川上君と川田君が、あからさまに嫌な顔をしている。
「もうアニメの話はここら辺にしておこうよ」
山本さんは、まだプランクトンについて語り足らなそうであったが、了承してくれた。
「神田君も山本さんも、本当にアニメが好きなんだね」
川田君は、引き攣った笑顔を浮かべている。
「話題は変わるけどさ、神田君は彼女居たことある?」
急な舵取りだ。現在形ではなくて、過去形な所に若干の悪意を感じる。
「無いよ。全く」
「まじ!」
川上君が目を見開いている。
「そんなに驚くことかな?」
「ことだよ!中、高、一度も居なかったって、ことでしょ。そんな人生楽しく無いよ」
随分な物言いだ。酒が入っていることもあって、川上君は刺々しい。自分の価値観を疑わない人は苦手だ。そういう人は、他人にまでそれを押し付けてくるから。
「私も居たこと無いよ」
山本さんだ。川上君と川田君は、しまった、という感情を露見させている。
「彼氏居たこと無いけれど、充実しているよ」
柔らかな口調だが、確実に山本さんは怒っている。
「そういうことで、人を判断するのは、私嫌いだな」
そう言って、山本さんはぐいっとレモンサワーを飲んだ。
常に穏やかな彼女からの「嫌い」、は結構響いたらしい。川田君と川上君は、愛想笑いを浮かべながら、口数が少なくなった。