case58 ため込んでいた想いからの解放
その日の夜、シスターヨハンナとスザンナが教会に帰ってきた。
ヨハンナとスザンナは毎日のように町や村を回り、貧しい人々に食べ物を施しているのだ。シスターヨハンナとスザンナは教会の裏入り口から、入ってきた。
「おかえりなさい。シスターヨハンナ」シスターベタニアはヨハンナという初老の優しそうな女性を見た。「シスタースザンナ」と続けてヨハンナのとなりのスザンナを見た。
スザンナはヨハンナよりも若い四十代くらいのたれ眼が優しそうな印象を見る者にあたえる女性だった。
「ええ、子供たちはどうだった?」とスザンナはおっとりとした静かな声で訊いた。
「今日も元気いっぱいでしたよ」
シスターベタニアは微笑みながら答えた。
「そうですか。子供たちは元気じゃないといけませんね」
上品に手のひらで口元を隠しながらスザンナは笑った。
そのときシスターヨハンナとキクナは眼があった。
「そちらはどなたですか?」
ヨハンナはベタニアに訊いた。
「あ、ごめんなさい。紹介が遅れて。こちらはキクナ・ランドーズさんです。用件があってわざわざ遠い街からお越しくださいました」
キクナは、「お邪魔しております」と手のひらを合わせ頭を下げた。
「はじめまして、キクナ様。わたくしはヨハンナ、こちらはスザンナと申します」
ヨハンナとスザンナも丁寧に頭を下げた。
ヨハンナとスザンナと共に長い廊下を進み、光が漏れる食堂に入った。食堂では沢山の子供たちが長テーブルを並べ、仲良く夕食を食べていた。おかずを奪い合うこともなく、仲良くだ。
子供たちがシスターヨハンナとスザンナに気付くと、「あ~、シスターヨハンナ! スザンナ! と一斉に二人を見た。席から離れ二人のもとへ寄る子供たち。
「さあ、先に食事を終えなさい。お行儀が悪いですよ」とヨハンナが優しく諭した。
笑うと目尻に小さなしわができ、優しいおばあちゃんという印象を見る者に与えた。
子供たちは、「は~い」と名残惜しそうにいって、再び席に着いた。
あれだけにぎやかな、子供たちは食事中静かでフォークやスプーンが食器を打つ音しか聞こえなかった。
食事を終えると、子供たちは率先して食器を片付けはじめた。
流し台に食器をかたずけ終えると、皆はいわれるでもなくテーブルを拭き、食器を洗い、食器を拭いて、片付けて、食後のお茶を作る者もいた。
キクナはその圧巻の光景を呆然と見ていた。食事を作るのはソネールさんというコックと助手のモカロさん、そしてベタニアの三人だけだ。
今日はキクナも手伝ったがいつもはたったの、三人でこの五十人近い子供たちの食事を作っているのだから、並大抵のことではない。
「いま食事の準備をします」
ベタニアはそういってスタスタとキッチンに消えた。
「子供たち偉いですね。言われなくても自分から進んで片づけをやるなんて」
キクナはテーブルを拭いたり、食器を洗う子供たちを見ながら、そうつぶやいた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんが進んでやってくれるから、小さい子供たちは見習って自分からやってくれるようになったんですよ」
手のひらで口元を隠して微笑みながらスザンナはいった。
「やっぱりお兄ちゃん、お姉ちゃんがしっかりしてると、小さい子供は見習うんですね。わたしなんて小さいときは反抗ばかりしてましたよ」
キクナは苦笑いを浮かべた。
「ええ、本当に助かっています。今の時代は教会もどこもかしこも、人手が足りませんからね。なのに恵まれない子供たちは増える一方ですから。手が回りません」
スザンナはおっとりした声でいったが、心なしか声にどうしようもない現状への嘆きを含んでいたように聞こえた。
「ところでキクナ様は夕食お食べになりましたか?」
スザンナは重くなってしまった空気を払しょくするように、明るく訊いた。
「あ、いやまだ食べてないんです」
そういったそのとき、キクナの腹の虫が鳴いた。
赤面しながらお腹をさするキクナ。
「大丈夫ですよ。いまごろキクナ様の分もあの子が用意していますから」
たれ眼がちな眼を細めて、スザンナは微笑む。
子供たちがいなくなった食堂の長テーブルに、六人は向かい合い食事をとった。ベタニア、スザンナ、ヨハンナ。そしてキクナを含む、コック二人でだ。
子供たちがいないと、まるでこの世から音というものがなくなってしまったのではないかと、錯覚するほど食堂は静寂に包まれた。出された料理はとても美味しく、キクナはおかわりが欲しかった。
けれど欲張るわけにはいかない、そこはグッと我慢する。
コックたちはみんなの食器を進んで片付けてくれた。
「シスターヨハンナとスザンナ」
ベタニアは真剣な眼差しで二人に切り出した。ベタニアの眼差しに気付き、二人は真摯に答える。「何ですか」
「実はキクナ様は子供たちを引き取ってもらうために、今日やって来たのです」
ヨハンナとスザンナはお互いに目と目を見合わせた。
「キクナ様の子供をですか?」今度はキクナに訊いたようだ。
キクナは答える。
「いえ、違います。わたしが住んでいる街で知り合った子供たちです。その子たちはいわゆるストリートチルドレンで、親がいないんです……。生きるためにスリをして暮らしています」
キクナは正直に答えた。
スリをして暮らしていると打ち明けられて、困惑しない大人はいないだろう。けれどヨハンナとスザンナは顔色一つ変えなかった。
「ここにいる子供たちの中にはかつてスリやゆすりを行っていた子供もいます」
ヨハンナは長テーブルの一点を見つめながらいった。
「つまりその子供たちを引き取って欲しい、ということですね」
「はい、その通りです」
それから重い空気が流れた。
「お願いします。シスターヨハンナ! その子供たちを引き取りましょう」ベタニアがキクナに加勢する。
「食費や部屋数、人件。なにからなにまで手いっぱいです……」
シスターヨハンナは重々しくつぶやいた。
そんな……キクナは浮かれていた気持ちが一気に沈んだ。
「どこの施設も満タンです。これ以上子供たちをどこも引き取ってくれないでしょう」
シスターヨハンナは続ける、「大戦の影響で親を失くした子供たちが、溢れかえっているのです」
聞く者の心を締め付けるよに、彼女はいった。
救えると思ったのに……。ヨハンナの口調を聞く限り、厳しそうだ……。
キクナは子供たちをどうすれば、救えるのか……考えた。
シスターヨハンナが言うようにどこの孤児院や教会も満タンで、引き取り先など見つかるはずがない。
人に聞いた話で、ここだけが唯一子供たちを受け入れてくれるかもしれないと、言われたのだ。
しかしシスターヨハンナの話を聞く限りでは、厳しい。
キクナは諦めかけていた。
そのとき、「その引き取って欲しい、という子供たちは何人ですか?」とヨハンナが訊いた。
「え」キクナはあっけに取られ、空気の抜けた声が出た。
もう一度ヨハンナが訊く。
「引き取って欲しい、という子供たちは何人ですか」
キクナはやっと彼女の言葉を理解した。キクナは考えた。いったい何人の子供たちが一緒に暮らしているのだろう。三人、四人。あのカノンと呼ばれていた子供の話を思い出す。
家族がいるといった。
あのメモを拾ってくれた子とカノン。それから家族をニ、三人、いや多く見積もって四人はいるんだろう。
キクナはあやふやな声で、「五、六人です」と答えた。
そのあまりの多さにシスターたちは驚いたようだ。せいぜい二人か三人だと思っていたのだろう。
シスターたちの反応を見る限り、やっぱり駄目なんだ……と思った、がしかし、「分かりました。その子たちを引き取ります」と思いもしない奇跡が起きた。
「本当ですか!」キクナは椅子を倒さんばかりに立ち上がった。
「ええ、わたくしは嘘を付きません。子供たちを連れてきてくだされば、引き取りましょう」
キクナは涙がでそうなほど嬉しかった。
何度も、「ありがとうございます。ありがとうございます」とお礼をいった。
これだけでは言っても表しきれぬ、感謝の気持ちでいっぱいだった。
キクナは今までため込んでいた塊が、解き放たれるように泣いた。
やっと背負い込んでいた負担がなくなったこと以前に、子供たちを救えることが嬉しくて泣いていた――。




