case57 命ある者たちを貶めるようなことは
子供たちが緑で生い茂る広大な大地を駆け回っている。あの子たちもここで暮らすことができれば、どれほど幸せになれるだろうか。キクナは想像をめぐらせ考えた。
「子供たちを引き取るとは、どういうことでしょうか?」
シスターは心なしか顔をしかめ、丁重に訊く。
たしかに、この切り出し方だったら誤解を招く、ということに悟った。
キクナもどう切り出そうか慎重に考える。
「えっとですね。街で知り合った子供たちがいるのですが。その子たちには家族がいなくて、その……」
そこまでいってキクナは口ごもる。人の物を盗んで暮らしている、など打ち明ければ、断られはしなかったとしても、良い顔はされないだろう。と思ったのだ。
「どうされました?」シスターは小首をかしげた。
キクナは眼を泳がせ、言葉を探す。
シスターは根気よくキクナが話してくれるのを待っていた。どれほどの時が流れただろうか。数秒、数十秒、数分、それほどの時が流れたように感じられた。
まるで下界から忘れ去られてしまったかのように、教会の時間はゆっくりと流れた。そのとき勢いよくとびらを開く騒音が静寂を破った。
勢いよく開いたとびらから飛び込んできたのは子供たちだった。砂ぼこりで泥んこになり、青草の汁が付いた服は所々、緑に染められていた。
「どうしたんですか、そんな格好で」
シスターは責めるようにではなく、諭すように優しく訊いた。
三人の男の子がいたずらっぽく笑いながら、シスターに歩み寄る。
どうやら後ろ手に何かを隠しているようだ。男の子たちはクスクスと笑いをかみ殺そうとしているが、我慢できないようで笑みがこぼれる。
シスターは怪訝気味に眉を下げた。そのときだった。
「シスターベタニア。ほら」といって先頭に立った男の子が手を突き出した。
その手にはトカゲがにぎられていた。
一瞬キクナは叫び出しそうになったのを、すんでのところで堪えた。しかしシスターはといえば、顔色一つ変えずに、「放して御上げなさい」とさっきよりも強く男の子たちを叱咤した。
シスターベタニアが驚かなかったことが、驚きだったらしく男の子たちは眼を見合わせ困惑気味にあたふたとなった。
「どうして驚かないの? 女子たちはこれみせたら『キャーキャー』いって逃げてったのに……?」
男の子の一人が不思議そうにシスターベタニアに訊いた。
うんうん、と他の男の子たちも知りたいとばかりに首をふる。つられてキクナもふっていた。
「どうして驚く必要があるのですか?」
シスターベタニアは質問し返した。それには男の子たちもたじろぐ。どう答えていいのか分からず、黙り込んだ。
「驚く必要も恐れる必要もありません。トカゲだって虫だって、鳥だって、動物たちは主がお創りになられたわたくし達の仲間です」
そこで一旦シスターベタニアは言葉を区切って、男の子たちを見つめる。男の子たちは不思議と目をそらした。
「どんな異形の姿をしていようと、わたくし達とは姿形は違えど命を持っていることは皆同じです。だからあなた達」
シスターベタニアは言葉を和らげながら、それでいて芯のある強い声で、「命ある者たちを貶めるようなことは絶対にしないでください」そういって彼女は微笑んだ。
男の子たちは皆シスターベタニアの目を見つめ、「はい、ごめんなさい」と素直に謝った。「そのトカゲを逃がしておやりなさい」
「はい」三人は同時にいった。
そしてドロドロになった地面に足跡だけを残して、とびらに消えた。
子供たちが去ったあと、再び時が止まったように静寂が訪れた。
「元気いっぱいですね」キクナは微笑ましくいった。
「はい。子供たちは元気じゃないといけませんね」シスターベタニアに笑った。
「シスターベタニアってお呼びしてよろしいですか」
「ええ、そう呼んでください」
「シスターベタニアが子供たちにおっしゃられたこと、胸に響きました」
キクナはありのままの気持ちをシスターベタニアに打ち明けた。
「どれだけ姿形は違えど、人間と同じように恐怖も感じるし、痛みだって感じます。喜びや悲しみだって感じるでしょう。
動物たちだけではありません。草木にだって命はあります。命をもてあそんではいけません」
シスターベタニアはキクナの目を見つめいった。
「ええ、まったくその通りです。命をもてあそぶ人がいたらわたしはその人を許せないでしょう」
キクナは静かな口調で応じたが、心の中では命をもてあそぶ、人たちへの怒りで煮えくり返っていた。
そしてしばらくのあいだ子供たち一人一人の話をシスターベタニアに聞かせてもらった。
今さっき入って来た男の子たちは、メロ、マロ、ツサといってここで一番活発な男の達だということ。
草原の上でおままごとしている五人の女の子たちは、ユア、リリー、アニーテ、ファニー、ムニラ。広げたシートの上で人形をあやしているのがユア。リリーはお父さん役なのか、新聞を広げて読んでいる。
アニーテは何の役を演じているのかは分からないが、泥や葉っぱ、石ころで何かを作っていた。
何だろう? とキクナはしばらく考えた。
泥団子を作っているが、泥団子ではない。そのとき閃いた。料理を作ってるんだ。
だったらユアは兄弟役なのかもしれない。
ファニーはクマのぬいぐるみを可愛がっていた。クマはペットかな、そうに違いないきっと犬だ。とキクナは納得する。
そして最後のムニラは何をしているんだろう? シートの外を歩きまわっている。それも何周もだ。散歩かな? どれだけ考えようともムニラの役柄だけは一向に分からなかった。
そして草原を走り回っている男の子や女の子。
木影で本を読んでいる子供たちや、ハンモックで昼寝をしている子。
小川で釣りをしている子供に多種多様な子供たちが共生していた。
「あ、そういえばキクナ様の要件を聞きそびれていましたね」と子供たちの話がちょうど終わったそのとき、シスターベタニアが突然いった。
そのために来たキクナでさえも、そのことを忘れていたのだ。
何だか申し訳ない気持ちになった。
「えっと、子供たちを引き取って欲しい、とおっしゃられていましたね」
シスターベタニアは落ち着きのある、澄んだ声で訊いた。
キクナは正直に話すことを決めた。
「はい、わたしが街で知り合った子供たちはスリをして暮らしているのです」
キクナはシスターベタニアの顔をうかがった。
シスターベタニアは表情を変えずに、黙ってキクナの話を聞く。キクナは続ける。
「だけど悪い子供たちじゃないんです。住むところさえあり、愛してくれる人さえいれば、悪いこともしません」
言葉に出して説明すると、今まで自分でも理解できなかった感情がわかったきがした。
そうよ、悪いのは子供たちではなく、「悪いのは環境なんです……。ここみたいにいい環境なら、子供たちはもう二度と悪さをしません」とキクナは精いっぱいの想いを込めて訴えた。
シスターベタニアは眼をつむり。
そしてゆっくりと開きキクナを見た。
「わたくしだけでは決めることはできません。シスターヨハンナとスザンナにも話を聞かなければ」
「お願いします。お願いします……」
キクナは涙をこらえながらそれでも訴えた。
「キクナ様」
頭を下げるキクナにシスターベタニアは優しくいう。
キクナは顔を上げた。
「わたくしは駄目だとは言っておりません。わたくしはその子供たちを引き取りたいと思っています」
「本当ですか!」
キクナはここに来て一番の音声で訊いた。
けれどそこで思い至る。ベタニアがいう、シスターヨハンナとスザンナが良いと言ってくれなければ、この話ははじまらないのだ。
「だけど安心してください」
シスターベタニアは顔をほころばせいう。
「ここの子供たちをみんな引き取ったのは、シスターヨハンナとスザンナです。きっと、いえ絶対にそんな子供たちが苦しんでいるなら、駄目とは言いません。喜んで聞き受けてくれるでしょう」
その言葉でキクナの心は軽くなった。「ありがとうございます」キクナは薄っすらと涙を浮かべ、微笑んだ。
外で子供たちが遊んでいる。ああ、幸せそうだな、とキクナは思った――。




