case56 セレナの心中
街が静寂に包まれた夜。ランプの灯りが室内を温かく照らした。
橙色の淡い光が、コンクリートの壁に陽炎をつくる。いつ消えても、おかしくない儚い光が、煌々と輝いていた。
「最近の仕事はどう?」
セレナが不特定の誰かに問うた。
彼らはお互いに顔を見合わせた。仕事はどう? と訊かれてもどう答えればいいのだろうか。これといって大変な仕事ではない。いや驚くほど簡単な仕事だ。
「どうもしないよ。すごくよくしてもらってる」
彼が皆を代表して答えた。
セレナは、「それならいいんだけど……」と何故か納得がいかないようにいう。
「どうしたんだよ。セレナ最近変だぞ……?」と彼は片方の眉を歪めて訊いた。
セレナはしばらく黙っていたが、答えないのも申し訳ないと思ったらしく、「いや、そんな簡単にお金って稼げるものなのかなって、思っちゃって」とそこで一旦区切り呼吸を整えてから、「もしかしたら悪いことをさせられてるんじゃないのかな……って?」
聞き取れないような低い声でいった。
しかし狭い室内のコンクリートに反響し、想像よりも大きく聞こえた。
「悪いことってなんだよ?」
言葉を紡いだのはチャップだった。心なしかチャップの声はいら立っているようにも聞こえた。
「あ……いや、だって手紙や書類を届けるだけでいっぱいお金がもらえるなんて変よ……」
セレナはいいにくそうに答えた。
チャップは顔を歪ませた。
「何が変なんだよ。変な所なんてないちゃんとした仕事だ」
「だけど運んでいる書類の中身は知らないんでしょ……。もしかしたら、その書類には悪いことが書かれているんじゃないかな……?」
チャップは、「そんなことあるわけないだろ」と少し声を荒らげセレナの話しに耳をかそうとしない。
「あなた達が選ばれたのも、書類の中身を知られる心配がなかったからなんじゃないかな……」
「それ、どういう意味だよ……。俺たちは街のことを知っているから選ばれたんじゃなくて、字が読めないから、選ばれたっていうのかよ?」
セレナは押し黙り、それ以上その話には触れなかった。
「そうね……ごめんなさい。おかしなこと言って。あまりにおいしい話だから……。つい疑っちゃって……」
そこまでいってセレナは言葉を探すように数秒押し黙った。
「だって手紙を運ぶだけでお金がもらえるなんて……おかしいわよ……」
そのことはニックも気にはなっていた。
きっと彼だけではなく、カノンもミロルも気になっているはずだ。
しかしチャップに付いてゆくと決めた以上、誰も反論はしなかった。
「あれは俺たちにしかできない仕事だから金がもらえるんだよ」
チャップは押し切るように言い切った。
しかしセレナも負けてはいなかった。
「それは分かってるけど。どうしてチャップたちじゃなきゃダメだったのかな……? 手紙を運ぶくらい誰だってできるじゃない……」
セレナがいうことは、どれも正論だった。
誰もがそのことは気になっていた。
手紙を運ぶくらい誰だってできるのだ。たしかに自分たちは速いかもしれない。しかし速いといっても、些細な違いだ。それにあの優男は急いでいる様子などみじんも見せない。
そうなれば、セレナがいうように、書類の中身を知られる心配がないからではないだろうか……。
「俺たちが裏路地を知っていて速いからだよ」
チャップはそれ以上何も答えなかった。
「そう……分かったわ。おかしなこと言ってごめんなさい……」とセレナは煮え切らない声で返事を返し、押し黙った。
その日は険悪な空気の中眠りに落ちた。
翌日の朝、彼らはラッキーの屋敷に向かった。執事に応接間まで通され、しばらく待っているとラッキーが姿をあらわした。
「よく来てくれたね」といってラッキーは彼らの向かい側のソファーに座った。そしてラッキーは長い足を組んだ。
「ケーキを用意しているから食べてから行くといい」
ラッキーがそういったのを合図にしたかのように応接間のとびらが開き女中がワゴンを引いて入ってきた。
ケーキを運んできたのは以前と同じ仏頂面の無表情な女だった。
女中は無言でケーキとお茶をテーブルに並べて行く。ワゴンに載せていた皿をすべて並べ終えると女中は無言で下がった。
「さあ食べてくれたまえ」
手のひらでおし進めながらラッキーはいった。
彼らは遠慮することなく言葉に甘え、スプーンを手に取ったときだ。応接間のとびらが再び開き、「ご主人様」と彼らを出迎えた執事が姿をあらわした。
「なんだ?」
興味なさげに応じるラッキー。
「屋敷の周辺をうろつき回っていた、子供を捕まえましたがどうされましょうか」
屋敷の周辺をうろつき回っていた子供? とは誰のことだろうか。彼はスプーンに伸びた手を引っ込め、執事を見た。
「放して! 放しなさいよ。あたし何もしてないじゃない!」と甲高い子供の声が聞こえた。少女の声だ。
この声は。彼は皆に目配らせした。
皆も目をずんぐりと見開き彼をみた。
「通しなさい」
ラッキーは執事に命じた。すると、とびらが全開に開き執事に腕を後ろ手につかまれた少女が入ってきた。
「セレナ!」
同じタイミングでみなは叫んだ。
「君たち知り合いかい?」
ラッキーはあっけに取られた顔で問う。
彼らは眼を見合わせた。
「はい、俺たちの家族です」とチャップが答えた。
「どうやって来たんだよ?」顔を歪ませてチャップは後ろ手に腕をつかまれたセレナに訊いた。
ラッキーは小さく挙手した。執事はラッキーの意図を感じ取りセレナを放した。セレナはつかまれていた手首をさすりながら、鋭く執事を睨んだ。
「もしかして付けてきたのか?」
チャップが責めるように訊くと、セレナは顔をそらした。どうやら跡を付けてきたようだ。
「まあいいじゃないか」
そういったのは意外にもラッキーだった。
「レディーには優しく接してあげるべきだよ」チャップにそう言ってから、「こっちに来て座りなさい」と今度はセレナに向けていった。
「ゼージェ君、ケーキを一つ頼んでくれ」
ラッキーの言葉を聞くや否や執事は、「かしこましました」と尻からとびらに消えた。どうやらあの執事の名前は、ゼージェというらしいことが分かった。
セレナは室内を険しい目で見据えながら、その場に突っ立っていた。
「おい、セレナ……! 座れよ……」
声を潜めながらチャップはセレナを叱咤した。
しかしセレナは反抗するように突っ立たまま座ろうとしない。
「おいったら……!」
チャップは何度もいった。
しかしセレナの意志は変わらなかった。
「まあ、いいじゃないか」ラッキーはチャップにいった。「お嬢さん。今日はどんなご用件で参られたのですか?」ラッキーはあくまでも紳士的に訊く。
セレナはラッキーを睨むように見据えた。
そしてゆっくりと歩みより、ラッキーの斜めとなりに座った。
ピリピリとした緊張感が静寂な室内に張り巡らされる。いったいセレナは何をしに来たのだろうか。彼らは緊張の面持ちでセレナを見守った。
ラッキーは感情の読み取れない優しい微笑みを浮かべた。
「お嬢さんはチャップ君たちの家族なんだね」
無表情にラッキーを見すえるセレナの瞳は鋭く、冷たかった。ラッキーは笑みを崩さず、あくまでも紳士的に話を続けた――。




