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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case49 このままじゃ駄目なんだ

 チャップは訛った体をつま先から丁寧にほぐし、最後は首をグルグル回した。そして一回目がすむと、同じ動作を少なくとも五回は繰り返した。


 ミロルもチャップとは違う体操を、つま先から毛先までというように丁寧に五回は繰り返した。


「もうバッチリ回復したから、会ってくるよ」


 チャップは肩をグルグル腕試しをする格闘家のように回した。


「本当にもう大丈夫なの……?」セレナが心配して訊いた。


「大丈夫だって、ほら見てみろ」チャップはそういって、ウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねた。


「な、大丈夫だろ」とセレナにいってから、「ミロルも大丈夫だよな?」とミロルにも訊いた。


「ああ。大丈夫」とガラガラした声で、素っ気なく答えた。


「そう……それなら良かったわ……。もう本当に次から気を付けてよね」セレナは悲しそうに顔を歪ませて、低い声で二人にいった。


「今日からまた寂しくなるのね。大変だったけど、楽しかったわよ」


 セレナは元気よく言ってみせたが、口でいうよりどこか寂しさが含まれていた。


 みんなが帰ってくるまでいつも一人で待っていた、セレナからすれば大変だけど二人がいた日々は楽しくもあったのだろう。


「それじゃあ、おまえら行くとするか」


 チャップを先頭に四人はある人物に会いに行く。


 人通りの少ない、路地を歩きながらチャップはこれからのことを説明しはじめた。路肩には嘔吐の残骸や、人間のものと思われる糞がそこら中に転がっていた。


「おまえたちに運びの仕事をやってもらおうと思う」


 チャップは前を向いたまま低くいった。


「運びの仕事ってなに考えてんだよ!」カノンはチャップの言葉を聞くや否や、そう叫んだ。


 ニックは二人のやり取りについていけない。ミロルは付いていけているのだろうか?


「今回はヤバいもんじゃない。本当だ。依頼主も荒くれ者や、裏の人間じゃない。俺たちももうこんなスリで食べていくなんて、考えじゃ駄目なんだ」


 チャップは諭すように、しっかりとした声でそうカノンにいった。


 カノンは今までに見たことがないほど、憎悪に満ちた顔を浮かべた。


「なに! 今更そんなこと言ってんだよ! おまえが、おまえがオレたちに生きていく方法を教えてくれたことだろうが! 今更何言い出してんだよ。今までオレたちがやってきたことをすべて否定するのかよ!」


 チャップはそこで立ち止まり、振り返ることなく、「いや、否定してるんじゃない」といって、しばらく黙ってから、「まだ小さかった俺たちにはあれしか生きる道がなかったんだ。しかし今は違う。俺たちを雇ってくれるっていう人が現れたんだ」


「オレ達みたいな、クソガキを雇ってくれる奴なんてあらわれる訳ないだろうが……」


 カノンは否定的な言葉を吐いたが、声の奥底にはどこか肯定的な意味あいも含まれているように感じられた。


「あらわれたんだ。俺たちだから選ばれたんだよ」


「オレたちだからって、どういうことだよ……?」カノンは弱々しい女のような声で訊いた。


「この街の裏路地を知り尽くしている俺たちだから、選ばれたんだ。俺たちじゃなきゃ選ばれなかったんだよ」


 そこでチャップは、はじめて振り返った。チャップの目の奥には希望の光が満ち溢れていた。


「どうして……裏路地を知ってるからってオレたちが選ばれるんだよ……?」


 チャップはカノンを見すえた。

 カノンは怯んだ。


「裏路地を知ってるってことは、近道できるってことだ。近道できるってことは速く運べるってことだ。速く運べるってことは重宝されるってことだ。重宝されるってことは雇ってもらえるってことなんだ」


 チャップがそう力強くいうと、それ以上カノンは反論しなかった。

 それ以上反論してこないのを見届けると再びチャップは歩き出した。


 重くなった空気を変えようと、「運びの仕事ってなに?」と彼はチャップに訊いた。


「ああ、依頼主から託されたものを、指定された人物に渡す仕事だ」とチャップは簡単に答えた。


「そんな仕事があるのか」彼は子供のようにつぶやいた。


「ああ、どんな仕事だってあるんだよ。ヤバい仕事もあれば、人さまに喜ばれる仕事もある。どんな仕事だってこの世にはあるんだ」


「じゃあ、その依頼主って人のところに向かっているんだな」


「そうだ。依頼主のとろこに向かっているんだ」

 チャップは振り返り、温かい目で笑った。

「今日からはスリで食べるんじゃなく、人さまからもらった金で食っていくんだ。そうすれば、ちゃんと勉強ができるようになるんだよ。本だって読めるようになるんだ。みんなに勉強させてあげられるんだ」


 チャップは振り返りはしなかったが、どのような表情をしているのか見ずともよく分かった。きっと、未来を見つめているのだ。みんなのために未来を見つめているのだ。

 

「これからもスリを続けていれば、浮浪者になる未来は見えているんだ。だけど、いまならまだ立ち直れる。

 俺たちの目の前には地上に続く、蜘蛛の糸が降りてきたんだよ。このチャンスを逃がしたら、俺たちはスリでしか生きられなくなってしまうんだ」


 チャップはそこまでいってから、「カノン」と呼んだ。


「おまえならわかってくれるよな。俺たちがいままでやってきたことを否定してるんじゃないんだ。

 俺たちは、昔の俺たちには、ああすることが必要だったんだ。だけど、これからまともに生きられる未来があるなら、そっちの方がいいじゃないか」


 カノンは何も言わなかった。

 皆は黙ってチャップの後について行く。リーダーの後に皆はついて行くのだ。未来に導いてくれる、リーダーの背に――。

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