case44 チャップとミロルの想い
日の光が空けた空間に降り注いだ。セレナが植えている、花々に日が降り注ぎ活きいきと喜んでいるようだった。
廃墟の中、セレナはチャップとミロルの包帯を取り替えていた。二人の怪我もほぼ治り、もう走ることもできるようになっていた。
しかし、怪我が治り切っていないのに、無理したら治った怪我が元も子もない。
そのことも含めて、セレナはきつく言い、でかけようとする二人を抑えていた。ここ最近は洗濯、掃除、に加え二人の看病と、とんでもなく忙しかった。
「もうそろそろ、みんな帰ってくる時間だな」チャップはポツリといった。
「ええ、そうね」セレナはミロルの腕の打撲痕を調べながら、無感情に相づちを打つ。
骨は折れていなかったおかげで、数日間の療養で痕もほとんと消えていない。セレナは一安心から胸をなでおろした。
チャップはテーブルの上に置かれていた、ボロボロの本を拾い上げた。パラパラとページをめくる。乾いた音が小さく聞こえる。
「これ読めたのか?」
チャップはまったく意味の分からない本をパタン、と閉じセレナに問うた。
「分からない文字ばかりで、殆ど読めてないわよ」
セレナはミロルの腕に包帯を巻きなおしながら無感情に答える。
「そうか……」チャップは何故か申し訳なさげにいった。
「どうして、あなたがそんな声をだすのよ?」
セレナはミロルとチャップの後ろをくるりと回り、椅子についた。
「勉強させてあげられなくて悪いな、って……思ってよ」
なんだそういうこと、と肩をすくめセレナはボロボロになっている本を拾い上げた。そして、表紙をなでる。ザラザラでいつバラバラになってもおかしくないような、古びた本。
「あなたが謝ることじゃないじゃない」
チャップは悲しそうに、顔を歪めた。
「セレナやカノン、アノン、ニックにはこの世界のことを勉強させてあげたいんだよ……」チャップは苦し気にいった。
「俺がまだ一人だったとき、ミロルが俺を救い上げてくれて……そのときミロルと俺は誓ったんだ。俺たちの家族になる奴らを幸せにしてやろうな、って……」
セレナはミロルの顔を見た。ミロルの顔は悲しそうに、澄んでいた。無口なミロルは昔のことを全然話してくれない。
チャップとミロルが二人で、あたしを助け、アノンとカノンを救い、ニックを連れてきた。だから今がある。
「だけど、こんなことを続けている以上、一生おまえたちは救われない……」
「何言ってんのよ……あたし達は十分幸せよ。十分救われているわ。チャップ、あなたちょっとおかしいわよ……。最近、家に籠っていたせいで気が滅入っちゃってるんだわ……」
「チャップは至って正気だぞ」
ミロルがチャップの代わりに答えた。昔、喉に負った怪我のせいで、ミロルの声は枯れたようにガラガラしている。
「いえ、チャップもミロルも気が滅入っちゃってるのよ……」
ミロルは首を振り、チャップの気持ちを代弁するようにいった。
「俺たちは家族の誓いを交わしてから、ずっと想ってたんだ。俺たちの家族には、ちゃんと勉強させて、ちゃんとした人生を送れるようにしてやりたいな、って……」
そんな話、セレナもはじめて聞いた。いつも面白おかしく、笑っていたチャップとミルロはそのようなことを思っていたのか、と。
「そ……」セレナはそこで一度言葉を飲み込み、うあずった声を静めて続けた。「そんなことないわよ。あたし達は今の状態で、十分幸せなんだから」
セレナの言ったことは本心だった。今のままで、みんながいる限り十分幸せだと、思っているのだ。きっとアノンも、カノンも、ニックも、そう思っているはずだ。
「だけどよ……」ふさぎ込んでいたチャップは、再び顔を上げてセレナの目を正面から見つめた。
「これから、先。十年、二十年先のことを考えたら、今のままの生活を続けていたら、街をうろつく浮浪者やマフィアと変わらない生活を送るのは眼に見えてるんだぞ」
苦し気にいうチャップの言葉をこれ以上、セレナは聞くのが辛かった。いつも陽気に場の空気を明るくしてくれていた、チャップは家族に押し隠してそんな辛い思いを抱え込んでいたのか、と思うとセレナは辛くて仕方がなかった。
「まだ先のことじゃない……。いま思い詰めなくても、何とかなるわ……」
チャップはミロルと目を見合わせた。
「ああ、まだ先のことだな」
「ええ、そ」うよ、とセレナは続けようとしたとき、「だけど、もう何年も努力してきてるんだ。これだけ、努力しているのに全然この肥溜めから抜け出せる活路が見つからないんだよ……。先のことだって言って、行動しなかったら、先なんて俺たちにはやって来ないんだ」
チャップは血を吐くような苦し気な声音でいった。
「未来を生きるために、今を変えなきゃならないんだ。――どんな手を使おうと」
チャップは己に誓うように強く、強く言い放った。
*
彼とカノンは女が注文してくれた。今まで見たこともないようなパンケーキを琥珀のように透き通ったシロップをかけて食べていた。
「うめ~! こんな旨いもんがこの世にあるのかよ!」
カノンはパンケーキを口いっぱいに頬張っていった。
女は紅茶の入ったカップを両手で包むように持って、「この世には、ほっぺたが落ちそうになるほど美味しいものが沢山あるのよ」と自分を誇るように答えた。
「みんなにも食べさせてやりたいな……」彼は自分たちだけが、こんな美味しいものを食べていることに、罪悪感を覚えずにはいられなかった。
「きみたち以外にも、仲間がいるの?」
女はカップをテーブルに置いて、小首をかしげた。
彼とカノンは顔を見合わせた。話てしまっていいのだろうか、と。カノンはコクリとうなずいた。大丈夫だ、と。
「ああ、オレ達には他にも仲間がいるんだ」カノンが女に告げた。
「そう」そこで女はしばらく押し黙り、思案気味に続けた。「きみたちは……その……ストリートチルドレンなの……?」
「そうだけど。何か文句ある」カノンは声を荒らげたり、表情を変えることはなかったが、心なしか喧嘩腰でもあった。
「いえ……そんなんじゃないわ……。ただ、君たちはまだ若いのに、凄いなって思っただけよ」女はテーブルの木目のような模様を見つめながら、優しくいった。
「何知ったようなこと言ってんの?」カノンは女の言葉が気に食わなかったのか、少し目を引きつらせながら低く、重い声でいった。
「あんたは、オレ達がスリで食ってることを知ってんだろ。なのに凄いなんて本当に思ってるのかよ? 知ったようなこと言うんじゃねえよ」
彼は女とカノンの顔をあたふたしながら、交互に見るしかなかった。なだめることができない、自分が不甲斐なくてならなかった。突然どうしたんだよ、カノン……? 褒められてるんだぞ?
「いえ、君たちは本当にすごいわ。自分の力だけで生きてるんだもの。それはわたしにはできないことだわ」
女は彼とカノンの目を交互に力強く見つめた。
「自分にできないことが、できる人を馬鹿にしてはいけないもの」
その言葉を最後に、三人が座っているテーブル席だけに重い空気が立ち込めた。そして、立ち去りぎわに女はいったのだ。
「君たちは本当にすごい!」と。




