case43 お茶を飲みに行こう?
ニックがカノンとの待ち合わせ場所に戻って来たとき、目を疑った。カノンが捕まっていたのだ。いったい、何があったのだろうか。
一瞬“逃げ„という考えが頭をよぎったが、カノンを置いて行くわけにはいかなかった。それに、何より不思議だったのはカノンは全然、暴れていない。
「待ってたぜ!」カノンは彼に向って叫んだ。
ニックは警戒しながら、歩き出した。二人の元まで行くと、カノンの腕をつかんでいる女を憎々し気に観察した。
背中までの黒髪。白の服と黒いロングスカートのモノクローム調。きりりと切れた瞳。ほんのりとだが、アジア系の顔立ちを思わせた。
「い、いったい……何があったんだよ……?」
ニックはカノンに説明を求めた。
カノンは掴まれた手首を肩をすくませながら一瞥し、ニックを見た。
「へましちまったんだ」そうカノンは情けなさそうに笑った。
横で聞いていた、女は二人が話し終えるのを見計らっていたように、「君、わたしのこと憶えてないかな?」と自分を指さしながら訊いた。
ニックは戸惑った。この女は何を言っているのだろう? っと。どこかで会ったことがあるのだろうか。まったく、憶えていない。
彼が押し黙ってしまうと女は、「あの落ちた紙を拾ってくれたじゃない。あれね。すごく大事な物だったの」とまくし立てた。
彼は自分の記憶の引き出しを、猛スピードで開けはじめた。そして、引き出しの中から見つけた。
「ああ、あのときの……」
あれは拾ってあげたのではなく、スリを誤魔化すためだったのだが……。勘違いしてくれているのなら、それに越したことはない、と彼は考え、「それがどうしたの……?」と関連性の説明を求める声を出した。
「わたしね。きみにであったら、お礼を言おうと思ってたんだ」
そのときカノンは声をあげた。
「なあ、合わせてやったんだから、もう手を放してくれよ」と女につかまれた手をぶらぶらと揺らした。
「ああ、ごめん。そうだったわね」と女をカノンの手首を放した。
「じゃあ、改めて、あのときは本当にありがとうございました」
女は頭を下げた。長い髪は肩をなで、重力にそって流れ落ちた。子供相手にここまで丁寧なお辞儀を、彼もカノンも見たことがなかった。
五秒ほど頭を下げてから、女は顔を上げた。
「え、あ、ああ……。うん、分かったよ……」
彼はどう応じていいのか分からず、あたふたとカノンに視線をチラチラ送った。カノンは顔をそむけた。
「そ、それじゃあ……。気が済んだなら……おれ達はこれで失礼するよ……。カノン、行こう」
ニックはカノンの名を呼び、踵を返そうとしたそのとき、「あ! ちょっと待ってよ。まだお礼してないんだけど」と女はニックの背中に声をかけた。彼は立ち止まった。
もしかして、この女は自分がスリを働こうとしていたことを知っていて、泳がしているのではないだろうか。と疑いもしたが、女の無垢な顔を見ていると、どうもそうではないようだ、と分かった。
「まだ、何か用なの……?」ぎこちなく、振り返りながら訊く。
「ええ、このあと時間あるかしら?」
ニックはカノンとアイコンタクトを取った。カノンは肩をすくめるだけで答えをくれない。
「おれ達は忙しんだ……」ニックは嘘を付いた。もう、仕事も済み帰ろうと思っていたところだったのだ。
「うっそだ~」女はすべてを知ってるんだよ、というような目で彼を見た。「本当だって!」ムキになって、抗議する。
「いくら忙しくても、一時間ほどは時間取れるでしょ」
彼はまたカノンを見た。カノンは笑っている。自分が戸惑う姿を見て、面白くて仕方がないという顔だ。
しかし、カノンが知らない人間の前でこうも笑うことはない。きっと、この女は悪い奴ではないのだろう。
「一時間くらいだったら……暇だけど」
女は顔をほころばせ、笑った。「そう、じゃあお茶のみに行きましょうよ」
彼は耳を疑った。てっきり警察に連れていかれるのだと思っていたが、そうではないらしい。
「それじゃあ、早速行きましょうよ」
女は数歩、歩いてすぐに立ち止まる。
「あれ? どうしたのよ。行くわよ」
「ニック、行って来いよ」カノンは笑いをかみ殺すような、震える声を出して彼をうながす。
「何言ってるのよ? きみも一緒に来なさいよ」女は即座にいった。
「え! オレも?」自分を指さしながらカノンはいった。
「ええ、そうよ。あなたも」
なんやかんやで、女に道案内されながらあるカフェの店先に着いた。ニックもカノンも戸惑った。
お茶を飲みに行くというのは、市場で売っている飲み物を買うことだと思っていたのだ。しかしワンランク違った。
女のお茶飲みに行こうと、世間のことを何も知らない少年たちの、お茶飲みの感覚にはづれがあった。
女は洒落た白樺のとびらを開けた。「さあ、中に入って」女はとびらが閉まらないように、抑えてくれている。彼とカノンは同時に目を見合わせコクリとうなずいた。
「なにボケっと突っ立ってるのよ? 普通はね。男の子がわたしにとびらを開けてあげるものなのよ」と嫌味ったらしくいって、「早く入ってよ」と急かされ、二人は渋々店内に入った。
女が店の奥のテーブル席に着いたので、二人は慌てて女の前に背筋をピンと伸ばして座った。
白樺の木材を使った店内は朝の太陽の光を浴びたように明るく、花が所狭しと生けられてあった。お客の顔ぶれも上品で、理知的だ。店を切り盛りしているのは、まだ若い女だった。
緑のエプロンをしていて、酒場などのマスターたちと違い上品で優しそうに、微笑んでいる。
二人はどうしようもなく、場違い感を覚えた。自分たちのような人間が入る場所ではないと、そう思った。




