case40 キクナとストリートチルドレン
酒の臭いが家具や壁に染みつき、息を吸うだけで酔いそうだった。店内は賑わい、怒号が飛び交う。柄の悪い男たちや、娼婦らしき女たちが店内のあちこちで、どんちゃん騒ぎをしていた。
よくも話のネタが尽きないものだ。もうかれこれ、一時間以上もとなり席の客たちはしゃべりっぱなしだった。
ジョンはカウンター席で一人、ウイスキーの水割りを酔わない程度に舐めながら、テーブル席を陣取る男女の集団を観察していた。
人数は五人。派手な格好をした女二人。そして、男が三人だ。三人ともチャラチャラして、顔中にピアスをしていたり、タトゥーを入れている者もいる。
リーダー格らしき男はカエルのような顔をしていて、ジョンが探し求めていたターゲットだった。議員の一人息子。もうかれこれ、数日間男を張り込んでいる。
カエルの息子がいつ一人になってくれるか、眼を光らせながらも殺気は殺し、ひたすら待つ。
五人組は堂々とマリファナをふかして、ハイになっている。マスターも黙認しているらしく、黙々とグラスをピカピカに拭いていた。
「どうするよ。今から何して遊ぶ」
ジョンは聞き耳を立てた。雑音でごった返している、店内でも犬のように耳の効くジョンなら聞き分けることができた。
「そうだな、女でも探しに行くかぁ」
カエルの顔をした男が、となりの女を抱き寄せながらいった。
「わ、ひっど~い。あたし達がいるのに~」とカエル男に抱かれた女は媚びるような声を出す。
「ちげえよ。おまえたちはメインディッシュだって」
カエル男もカエル男で、女と同じような媚びるような声で女をなだめた。聞いている方が恥ずかしくなる会話だった。
「で、どこで女を調達すんだよ」
顔面ピアス男は、盛りの付いた猫のような興奮ようでカエル男に訊いた。鼻息で鼻につけたピアスが上下した。
「道端を歩いてる女でもさらうか」
「大丈夫なのかよ」
顔面ピアス男はそう言いながらも、舌なめずりをして興奮を隠せなかった。
「俺様を誰だと思ってんだよ」
胸を張って、カエル男は足を組み変えた。
「あんたの力じゃねえぇだろ」
顔面入れ墨男が、からかい気味にそういうと、「は? 親父のおかげだっていうのか? ちげぇーよ。親父の力は俺のもんなんだからな」と性懲りもなく声高に言った。
そこでジョンは心の中で反論する、つまり親のすねをかじり、自分の力だと有頂天になっている馬鹿じゃないか、と。
「だ、だけどよ。いくら、おまえの親父が権力を持っててもよ。さらった女の家族か親族が訴えて来たら、めんどくさくなんねえか……?」
「家族と一緒に住んでいねえ、女を捜すんだよ。それで、女が逃げようって気を起こさないために、薬漬けにしちまえばいいんだよ」
男がいっていることに躊躇いはなかった。まるで前にも同じ方法で女を攫った経験があるように。
「そうすれば、逃げようなんて思わなくなるぜ」
カエル男は下品にわらった。
きっと、今までにもこの五人で、悪さを働いていきたのだろう。五人まとめて、始末してしまおうか、と思ったが過剰な報復は失敗を招く恐れがある。やはり、カエル男が一人になるのを待つしかないだろう。
「薬、持ってんのかよ?」
顔面入れ墨男はマリファナを肺一杯に吸って、吐いた。
「そのことは心配しなくていい。ラッキーさんに言えばいくらでも手に入る」
カエル男の話を聞くと、顔面入れ墨男はにたりと笑った。
「で、決行はいつにする?」
顔面ピアス男は体をもぞもぞさせながら訊く。
「薬が手に入りしだいだな。明後日には手に入れてみせるさ」
決行は早くて明後日。それまでには、仕留めなければならない、とジョンは決意した。カエル男が一人になったときにだ。
しかしここ数日、常に張り込んでいるが、この男が一人になったためしがない。本当に決行日までに仕留められるのか。ジョンは最善の方法を考えた。
*
市場は人々で賑わっていた。威勢のいい大音声で、商売人が商品を紹介している。
その声につられ、主婦と思わしき女性たちが店に駆け寄って行く。そんな微笑ましい日常の光景を眺めた。
キクナは市場を歩いていた。夕飯の材料を買うためだ。キクナはメモ書きを見ながら、市場を順に回っていたときのこと、以前であった男の子を人垣の中で見つけたのだった。
友達らしき茶髪がかった髪の少年と一緒になにかを、話し合っていた。キクナは人垣を掻き分けながら、男の子に近づいてゆく。あのときメモを拾ってもらったお礼をしっかり言わなきゃ、と。
しかし少年たちの話し合いは終わり、別れた。
だめ、見失っちゃう、人垣に紛れて男の子の姿が消えた。今さっきまで、男の子が立っていた場所にキクナがたどり着いたときには、男の子たちの姿はなかった。
キクナは周囲を一回転して、見回した。しかし、ときは遅し男の子の姿はどこにも見当たらなかった。見失ってしまった……。キクナはしょんぼりしながらも、買い物の続きを再開した。
それから、キクナはメモに書いていた、買い物を終えたとき、背後で女性の裏返った声がした。
「誰か! その泥棒を捕まえてぇ~!」っと。
キクナは振り返った。後ろから男が猛スピードで、こちらにかけてくるのが分かった。キクナは泥棒と自分の距離を測りながら、距離を詰めた。
泥棒が横を通りかかったときキクナは足を突き出し、泥棒の足を引っかけることに成功した。泥棒は前のめりに倒れ込んだ。
「ありがとう! お嬢さん!」そう叫びながら、太った女の人が駆け寄ってきた。
運動不足らしく、ほんの数メートル走っただけで息があがっている。
路上に散らばった三つの財布をすべて拾い上げて、女の人に、「あなたが取られたのは、どの財布ですか?」と三つの財布を見せた。
「ええ、その赤い財布です」
女性は右端の赤い財布を指さした。キクナは赤い財布を女性に返した。女性は何度も頭を下げ、お礼を払おうとするので、断るのが大変だった。
「さてと」キクナは倒れている男に歩みより、「この財布を持ち主に返しなさい」と仁王立ちで立ちはだかった。
「何すんだよ!」
男は肩を怒らせながら立ち上がった。よく見ると、その男はまだ少年と呼べるほどの子供だった。そのとき、キクナは思い出した。
「あ! あなた、あの男の子と一緒にいた子でしょう!」
キクナは少年が逃げ出さないように、腕をつかんだまま問うた。訝しみながら少年は、「は? あんた何なんだよ! 離せよ!」と腕をブンブン振った。
「あなたと一緒にいた、男の子はどこにいるの?」
男の子は無理やり、腕を引きはがそうとするが、キクナは見た目以上に力が強いらしくびくともしない。
「いてぇーよ! 放せって!」
「分かった、放してあげるから。その代わりさっきあなたと一緒にいた男の子に会わせてよ。あのときのお礼を言いたいの」
真顔でキクナはいった。少年は眉根に深いしわができるほど、顔をしかめ訳がわからない、という風な眼でキクナを見た。