case38 家族との一とき
あれから数日、チャップとミロルの怪我も、順調に回復しているようでニックも安心した。順調に回復しているもんだから、チャップは調子に乗ってこんなことを言い出す始末だった。
「もう怪我もだいぶん治ったし、そろそろ俺たちも仕事に出ようかな。ここ数日寝てばかりで暇なんだよな」
「駄目よ。まだ安静にしてないと、傷口が開いたらどうするつもり。せっかくここまで看病したのが無駄になっちゃうじゃない」
セレナはその度にチャップをたしなめた。
「ねぇ、ミロル。あなたはそんなこと思ってないわよね?」
セレナは睨みつけるように、ミロルに問うた。有無を言わせぬ迫力がセレナの眼には宿っていた。
ミロルは一瞬迷ったように顔を曇らせ、チャップとセレナの顔を見比べた。当然怒らせて怖いのはセレナである。
「ああ」とそんな意思がないことを短く答えた。
セレナは我が意を得たり、というようにチャップに微笑みかけた。「ほらね。ミロルもまだ安静にした方が良いって言ってるじゃない」
チャップは女々しい目でミロルをねめつけ、「この裏切り者」と愚痴った。ミロルは心の中で(しょうがないだろ、逆らわない方が賢明だ)と思った。
「そうだぜ、チャップ。仕事はオレたちに任せておけば良いって」
カノンが誇らしげに胸を叩きながら、話に割り込んだ。「ニックなんてよ、たった数日ですっげぇー上手くなったんだぜ」とカノンはまるで自分のことのように、誇らしげに言った。
「ミロルとチャップがいなくても、オレたち二人でやっていけるほどなんだぜ」カノンはまた調子に乗って、余計な一言を吐いた。
「はは、言ってくれるじゃないかよ」チャップは怒ることもなく、愉快そうだった。
「わかったでしょ、今はまだカノンとニックに任せておけばいいの」
セレナはそう言いながら、かごいっぱいにパンを持ってきた。年月が経ち、深い色合いになっているテーブルの上に、彼女はパンとジャガイモのスープをすべて並べた。
「さあ、食べましょ」
カノンがいつものように、何も言わず手を付けようとすると、「こら、あなたは何度いえば分かってくれるの?」とセレナもいつものように注意が入る。このやり取りが毎日の日課だった。
「ちゃんと祈りを捧げないと駄目でしょ」
「あのさ、オレはね。神様なんて信じてないの。もし神様がいるんだったら、何の罪もないオレたちにこんな仕打ちはしねえだろ?」
カノンは口を尖らせながら反論するのもいつもの日課だ。
しかし、カノンよりもセレナの方が一枚も二枚も上手、「神様じゃなくて、食べ物に祈るの。あなたの命をいただきますって」そう言いながらセレナは手を組んだ。
みんなセレナを見習い、手のひらを組んだ。カノンも肩をすくめながら、渋々手のひらを組む。いつも指揮をとるのはセレナである。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、あたしたちの心とからだを支える糧としてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」
ここにいる誰もがカトリックではないが、セレナは食事の度に祈りを欠かすことはなかった。
「アーメン」みんなはセレナの後に続いて、「アーメン」と唱えた。
食事が終わると、仕事の時間が待っている。ニックは気乗りしなかったが、食べていくためだと割り切り、毎日をこなしている。
「それじゃあ、行ってくるから。ミロルとチャップを頼んだぞ」
カノンはボロボロのカバンを肩に掛けて、セレナにいった。
セレナは眉間にしわを寄せて、「わかってるって、くれぐれも危ないことはしないでね」といった。
「分かってるさ、セレナは心配性だな」からかうように、カノンがいうと、セレナはわかってないわね、という目でいった。
「違うわよ。これ以上病人を増やされたら、看病が大変になるからよ」
これにはみんな、大笑した。
「本当にその通りだな」彼は顔をにやつかせながら、共感した。「看病する、セレナの方が大変だ」
「笑い事じゃないわ。本当に二人だけでも大変なのに、これが四人に増えたころにはもう終わりよ」
セレナは至って真剣にいうが、みんなからしたら笑い話にしか聞こえなかった。
しまいにセレナは不貞腐れて、「そう笑わなくったっていいじゃない。わかったわ。怪我をして帰ってきなさいな。あたしがみんなまとめて、看病してあげるわよ」とやけっぱちにいう始末であった。
みんなは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。これ以上からかい過ぎると後が怖いな、と誰もが思った。
「悪かったよ……。そんなつもりでいったんじゃないんだ……」カノンは申し訳なさそうに、声のトーンを落としてセレナに謝った。
するとセレナはクスクスと、「冗談よ。冗談、こんな冗談真に受けないでよ」と笑った。
「冗談で安心したぞ。セレナがいうと冗談も冗談に聞こえないんだよな」
言えてる言えてる、とみんな首を縦に振った。
「それじゃあ、行ってくるよ」カノンは手を振った。
「ええ、いってらっしゃい。本当にニックもカノンも怪我だけはしないでね」
彼もカノンも同時に、「ああ、分かってる」とハモリながらいった。
そして彼とニックは街に繰り出した。
「まったく、頼もしくなったよな。カノンもニックも」
チャップは父親が我が子を褒めるときのような慈愛に満ちた、目をかけ去ってゆく二人に向けてつぶやいた。ミロルは何も言わなかったが、しんみりとうなずいた。
「だってよ。カノンもはじめのころは、何も分からないガキだったんだぜ」とそこまで言って、「まぁ、今でもガキだけどよ」と付け足した。
「だけど、頼もしくなったよ」噛みしめるようにチャップはいった。
「そうね」とセレナもうなずいた。
「もうそろそろ、仕事を請け負ってもいいかもしれねえな」
チャップはぽつりといった。
怪訝に顔をしかめ、「何のよ……?」とセレナは心配そうに訊く。
「この前、言っただろ。会わなきゃいけない人がいるって」
「ええ……それでその人に会って来たんでしょ……それがどうしたの?」
「その人に仕事をもらったんだ。俺たちにしかできない仕事だ」
セレナは何の仕事をもらったのか訊こうとしたそのとき、「じゃあぼくも、仕事に行ってくるね」とアノンが椅子から立ち上がった。
「え、ええ、アノンも気を付けてね」
セレナはアノンを実の弟のように、可愛がっていた。出ていこうとする、アノンを抱き寄せ頭をなでた。アノンはセレナの背中に手を回し、されるがままになでられ、甘えた。
しばらくそれが続くと、「それじゃあ。行ってくるね」とアノンは出ていった。アノンが仕事に出ると、チャップは話の続きをはじめた。
「俺たちの怪我が治ったら、仕事を紹介してもらうことになったんだ」
チャップの言葉に、セレナの顔は曇った。
「危ない仕事じゃないでしょうね……?」
「危ない仕事じゃない」
チャップの瞳に嘘の色は読み取れなかった。それ以上セレナは訊かなかった――。




