case36 議員の警護
部屋の四隅には、百戦錬磨のSPたちが目を光らせ蟻の子一匹通ることはできそうになかった。まるでベルサイユ宮殿のように煌びやかな、装飾品が室内にはあるれかえっている。
高そうな壺や、ソファー、絵画、絨毯、シャンデリア、書棚、何から何まで高そうだ。もし下手をして壺でも壊そうものなら、自分の金では到底弁償できないだろうな、とキクマは思った。
「で、私に何の御用ですかね」
そういま目の前のソファーで足を組み、カエルのようにふんぞり返っている男こそ、評判のよろしくないピエール議員その人であった。
「あんた、命を狙われてるかも知んねえぞ」
ウイックはなんの前触れもなく乱暴に言葉をぶつけた。ウイックは目上の人間だろうと、丁寧語を使ったためしがないのでキクマは聞いていて毎回冷や汗ものだった。
口が悪いことで評判のキクマでも、目上の者に対する心構えはわきまえているつもりだ。しかし、ウイックはそんなわきまえを持っているわけもなく、「あんた、色々と悪い噂がたってるなぁ」と表現や口調を和らげるでも、遠回しにいうでもなくストレートにいった。
「何なんだ! あんた達は!」
ピエール議員はカエルのような顔を真っ赤に昂らせて、がま口を開いた。キクマはこれはまずい……と慌てて、「あんたは黙っててくれ」とウイックを制し、語り手を変わった。
「申し訳ありません、うちの馬鹿! が」と馬鹿の部分を強調する。「この人の言うことは、間に受けないでください」とキクマは詫びた。
「私に話があったんじゃないのか」ピエール議員は少し怒りを解いた。
「はい、実は最近世間で騒がれてる、殺人鬼のことでなんです」
ピエール議員はがま口を横一文字に、引き結んだ。大きなイボが額にぷっくりできていて、本当にイボカエルのように見えた。
「ああ、あの殺人鬼のこか。ジャック・ザ・リッパーなんぞと騒がれてる奴だな」
ピエール議員はやけに高圧的に答える。いくら議員だからとはいえ、頭が高いにも限度というものがあるのではないだろうか、とキクマは少し腹が立った。
しかしキクマはその感情を押し殺して続ける。「ええ、そうです。そのジャック・ザ・リッパーのことでちょっと、分かったことがありまして」
カエルの眉間にしわが寄り、方眉をしかめた。
「その話と私にどのような関係があるというんだ? 警察が勝手にやってくれればいいだろう」
「はあ」キクマはどう切り出そうか、考えた。下手なことは言えない。「実はですね」なるべく声のトーンを落とす。「ジャック・ザ・リッパーは、あなたの命を狙っているかもしれないんですよ」
ふてぶてしく引き結んでいた、唇を歪めピエール議員の顔が曇った。
「これはあくまでも私たちの憶測ですので、深くは考えないでください」
キクマはそう前振りして、「そのジャックのことを私たちはジョン・ドゥと呼んでいるのですが、そいつが標的に選ぶ人間にはある規則性があるんです」言葉を選びながらいった。
「規則性?」ピエール議員はガラガラ声で反復した。
「ええ、その規則性が正しければ、次はあなたが狙われる可能性が高いんです。すぐにではなくても、遠くない未来に高い確率で狙われるでしょう」
「その規則性とは何かね……?」不安げにピエールは訊いた。
その質問に答えられるわけもなく、「それは機密情報なので、部外者にはお答えできません。ご了承ください」とこれ以上ないであろう最良の返答を返した自信がキクマにはあった。
「命を狙われているんだったら、私には知る権利があるだろう」
議員は納得がいかないようで、そう言い返した。
「いえ、どうしても教えるわけにはいかないんです。わかってください」
教えるわけにはいかない、というよりかは教えたら後々厄介なことになる心配があって教えられないのだが。きっぱりとキクマがいうと、議員は渋々という顔で、「わかった」と了承した。
「ということで、あなたが次の標的にされている可能性が高いんです。最近、おかしなことでもありませんでしたか? 例えば誰かに跡を付けられているだとか、不審な人物を見ただとか?」
ピエール議員は少し黙ったあとで、「いや、ないな」と答えた。「それに、私は一人で行動しないんでね。行動するときは、いつもSPが一緒だよ。もし不審な人物がいれば彼らがすぐに気付くさ」議員は横目にSPたちを見ながらいった。
「一人で行動できない理由でもあるのかよ?」ウイックが横から口を挟んだ。
あからさまに、議員は顔を歪めた。ここで機嫌を損ねてはまずい、キクマは、「だから、あんたは黙ってろって言ってんだろうが!」と鬼の形相でウイックを睨んだ。
さすがのウイックもキクマの眼つきの悪さにはかなわず、不貞腐れたようにしょぼんと押し黙った。
「申し訳ありません。この馬鹿が……」
キクマはウイックの頭をひっつかみ、無理やり下げさせた。頭を下げた状態で、キクマはウイックを睨む。心の中で(あんたは何を考えてんだ! せっかくのチャンスを踏みにじるつもりか!)という思いを込めた眼を向けた。
「というわけですので、これから安全が確保されるまで、私たちをそばに置いてくれないでしょうか?」
ピエール議員しばらく考えたすえ、「まあ、いいだろう。しばらくの間そばにいたまえ」と渋々了承した。
「ありがとうございます」とキクマがいったとき、「しかし」と議員が付け足した。
「しかし、といいますと?」
「付きまとうのは、この屋敷だけにしてもらいたい」議員は鋭い目で二人を見すえながらいった。
「どうしてでしょうか……? 共に行動しないと、いつジョン・ドゥが狙ってくるかわからないじゃないですか」
「私にも仕事がある」
ピエール議員はカエルの形相で、二人を睨んだ。それ以外の言葉は付け足さなかった。
「やっぱり、あんた探られちゃまずいことでも隠してんじゃねえのか?」
ウイックは懲りずにまた口を挟んだ。即座にキクマはウイックをねめつける。しかしウイックは不敵な笑みを浮かべて、議員を見つめているだけだった。
「と、まぁ、そんな気がしただけだ。深い意味はないよ」
ウイックはおちゃらけたようにいった。しかし今さっきのウイックの口ぶりは、冗談をいっているようには聞こえなかった。
キクマは冷や汗をぬぐいながらウイックを見た。しかしまあ、そばに置いてもらえることになった。ひと先づ作戦は成功だ。これで屋敷を調べることができるのだから。




