case32 幸せからの暗転
みんなは朝早くにでかけた。チャップ、ミロル、カノン、そして新しい家族ニックは仕事に行っている。まだ幼いアノンにできる仕事は靴磨きだ。みんな働いている。アノンの靴磨きの腕は街一だと謳われるほどなのだ。
みんなが帰ってくるまで、セレナは一人で留守番だった。
女の、しかもまだ十を少し過ぎたばかりの、自分にできる仕事などないことはよく理解していた。できることと言えば、体を売ることだけなのだ。それは十二分に分かっていた。
若い女を求めている男はそこら中、いたるところに腐るほどいる。街に出て、声をかければ数分もしないうちに自分を買いたいという男があらわれるだろう、ということをセレナはよく理解していた。
女は若いというだけで、価値があるのだ。若ければ若いほど、価値があるのだ。幼女が好きな変態などそこら中にいる。
裏を返せば、幼女が好きなのは変態ではなくなるだろう。
体を売るなんて絶対に嫌だ! そんなことになるくらいなら死んだ方がましだ。とセレナは強く想った。
だから、セレナにできる仕事と言えば、部屋の掃除をして、洗濯をして家族を支えることだけなのだ。例え家事とは言え一人で担うには、手に負えないほどの仕事量だったが、セレナは頑張れた。
家族のためになら、どんな大変な仕事でもセレナは頑張れたのだ。
朝、井戸に水をくみに行く。それが終わると、六人分の洗濯物を川に洗いにいき。一度では運びきれないので、三度ほど往復しなければならない。冬は手がかじかみ、あかぎれをよく作っていた。
洗濯が終わると、部屋の掃除。建物の見た目は悪いが、室内は綺麗だ。セレナが毎日掃除をしているから、たとえ隅々まで探したとしても蜘蛛の巣一つ見つからない。
床に指を這わせても、埃もつかないほどだ。
掃除が終わったあとは、簡単な料理を作った。レシピなど知らないから、料理ともつかないオリジナルの料理をこしらえた。
みんなからの評判はいいときもあり、それほど良くないときもある。少しは字が読めるが、書けはしないのでレシピが取れない。その時々で料理の出来栄えも違ってくるだ。
すべての仕事を終わらせても、誰も帰って来ないときは花に水をあげて時間をつぶした。街の花壇などから、花の種を取ってきてセレナは自分が作った花壇に蒔いていた。
種が育ち今では綺麗な花を咲かせている。鼻歌を歌う。街中で聞いた、名も知らぬ歌。歌詞を知らないから、リズムだけを口ずさんだ。
セレナは物言わぬ花たちが好きだった。水が花弁を滴り、生き生きと輝いた。
そんな花たちを愛で時間をつぶしていると、「セレナ姉ちゃん。ただいま」と、アノンが天真爛漫な笑みを浮かべ、手を振りながらセレナのもとへ駆けてきた。
セレナは立ち上がった。うるさいより静かな方が好きだが、うるささにも色々あって、家族仲良く賑やかにはしゃぐうるささは好きだった。
「靴磨き、どうだった?」セレナは微笑みを返しながら訊いた。
「うん~、まあまあだったよ」
「そう、怪我なく帰ってきたくれたことが何よりよ」セレナは小首をかしげ微笑んだ。
するとアノンは頬を紅に染め、恥ずかしそうに、「セレナ姉ちゃん、お腹空いてない?」と訊いた。
べつに、空いてはいなかったが、「少し、空いたかな」とセレナは答えた。アノンの顔は一段と輝いた。
「これ、セレナ姉ちゃんに買ってきたんだ」とアノンはカバンから薄い紙包みを取り出しセレナに見せる。甘い香りを紙包みから感じた。
「なあに、これは?」セレナは小首をかしげながら訊く。
「チョコレートだよ。靴磨きで稼いだお金で買って来たんだ」アノンは自分の戦果を報告するように誇らしげにいった。
セレナは自分を指さしながら、「あたしにくれるの?」と訊いた。
セレナがそう訊くと、アノンはセレナの手にチョコレートをにぎらせた。「セレナ姉ちゃんのために買ってきたんだ。だから食べてよ」
セレナはアノンの顔と、チョコレートを見比べた。「あなたは食べないの?」
「うん、僕は街で食べたから。セレナ姉ちゃん全部食べていいよ」
セレナは紙包みを真ん中から二つに割った。
片方を、アノンに差し出す。
「僕は食べたからいいよ」眉根を歪め、アノンは首と手をブンブンと振った。
「一人で食べても美味しくないわ。こういうのはね、二人で食べるから美味しいのよ」
首を振っていた、アノンはチョコレートとセレナの顔を見比べ、戸惑いながらも、差し出されたチョコを受け取った。
「ありがとう、セレナ姉ちゃん」
眼を細め、頬を染めながらアノンは微笑んだ。花壇に座って、二人でチョコレートを食べた。頬の裏側が痛くなるほど甘かった。
「兄ちゃんたち遅いね」アノンは指についた、チョコレートを舐めながらいった。
「本当ね。何かあったのかしら……」セレナも少し不安になった。心なしか嫌な予感を感じ取った。
空は夕日に染まり、いつもならもうとっくに帰ってきている時間だった。しかし、今日は遅い。何かあったのではないだろうか? どれだけ心配しようとどうすることもできない。
「捕まっちゃったのかな……?」
セレナの胸騒ぎが伝染したかのように、アノンも顔を曇らせた。
「それはないわよ……。チャップたちは、捕まるような人じゃないわ……」
セレナは、「そう信じたいわ」と言葉を付けたしたかった。しかし、そんなことを言えばアノンを余計に不安にさせてしまう。本当の気持ちを押し殺しセレナは平常を装った。
「だけど……遅いね……」
「そうね……」
そのとき、入り口に人影が見えた。四人が並んでいる人影だ。段々、アノンの顔が歪み曇った。セレナの顔も曇った。
足を引きずっているように見える。いや、足を引きずっていた。カノンとニックが、ミロルとチャップに肩を貸してこちらに歩いて来る。
慌てて、アノンとセレナは、四人のもとへ駆け寄った。
いったい……どうして……何があったの……。擦り傷を作って帰ってくることは今までにも沢山あったが、こんな姿で帰ってきたことなど、一度としてない。
顔は腫れ上がり、体中が赤紫色に、変色していた。二人は言葉を失ってしまった。いったい、チャップとミロルに何があったというのだろうか……。