case31 政治家なんざぁー
「その議員のことを調べてみるかぁ。だけどよ、議員を相手にするのは、後々めんどくせねぇーよなぁ」ウイックは心底めんどくさそうにいった。
今回ばかりは、ウイックの気持ちも分からないではない。キクマも相手が議員となると、面倒くさいというよりかは、厄介だという感情は湧く。
「どうするよ。辞めるか」ウイックは両手を頭の上で組みキクマを横目に見る。
「あのマスターの話しだけじゃ、分からねえだろ。他の奴にも話を訊いて、マスターの話が本当のようだったら、張り込んでみるしかねえだろ」
キクマはそう言って、ウイックを諭す。そうは言ったものの、できることなら議員だけには関わりたくないものだ。ウイックがいうように後々厄介なことになる。
出世は望んでいないので、その点は心配いらないのだが手を回されて地方に飛ばされるのだけは勘弁してほしい。
続いて、二人が訪れたのは丸太のような太い腕をして、スキンヘッドのマスターがいる、あの店だった。
「らっしゃい!」威勢のいい大音声が二人を出迎えた。
マスターはテーブルの上を布巾で隅々まで拭いていた。
体に似合わず意外と几帳面な性格なのかもしれない。そう思えるほどに汚れ一つ見当たらず、鏡のようにピカピカだ。
拭き掃除が終わった後に、改めてキクマとウイックの顔にマスターが向き直ると、「あ、あんた達、昨日来た人だね」と人懐っこそうに笑った。
どうやら二人のことを覚えてくれていたらしい。数分しかいなかったが、人に顔を覚えられるのは悪い気はしない。
「よう! マスター。元気にしてたか!」とウイックはまるで幼馴染のような、親密さでマスターにいった。
つくづく、この男のコミュニケーション能力は凄いと思わざるを得ない。自分には欠けている能力なので、いうのは癪だが助かっているのはたしかだ、とキクマは認める。
「おうよ! 俺はいつでも元気よ」
「そうかよ。そうつは良かったなぁ」と言いながら二人は笑いあった。このまま、肩でも組んで飲みにでも行きそうな勢いだ。いやここは酒場なのだから飲みに行く必要はないのだ。飲もうと思えば棚には沢山の酒があるのだから。
「で、今日は何の用だ」
マスターはテーブル席の椅子に座って、肘をついた。時間があるというサインだろう。改めて店内を見渡して見ると、客は一人もいなかった。回転前なのだろうか。ただ客が入っていないだけなのだろうか。まあ丁度いい、しばらくは話を聞けそうだ。
「ああ」といって、ウイックもマスターの向かい側の椅子に座った。ちょうど、テーブルを挟んで向かい合っている状態だ。
「議員っているだろ」ウイックは唐突に質問をぶつけた。
「ああ、議員っているな」戸惑うことなく、マスターは反復した。突然、何の前触れもなくそんな話をされたら、戸惑うのが普通だと思うのだが、このマスターは違った。
やはり、この男は体格からして普通ではないのかもしれない。
「ここに来る前ポスターで見たぜ。あいつって議員だよな」
「街中いたるところに貼ってある、あのポスターに映っている人物は議員だなぁ」
この二人の会話は、噛みあっているのか、噛みあってないのか分からない、不思議な感覚だった。
キクマには分からなくても、この二人の世界では分かっているのならべつに良いのだが。
「その議員のことでよ、悪い噂聞かねぇーか」
ウイックはマスターに顔を近づけた。むさい男同士が、雁首をそろえるのは、見ていて気持ちのいいものじゃないな、と思うキクマ。
「ここだけの話なんだがよ」そこまでいってマスターは誰もいない店内に一度目を走らせた。「悪い噂しか聞かねぇーんだよ」マスターの方もウイックに顔を近づけ、頬と頬が重なりそうなほどだ。
「ホントかよ。今はそのことを調べてるんだよ。教えてくれ」
「てぇーと、あんた達は警察の人間なのか? てっきりマフィア何かだと思ってたぜ」マスタはウイックとキクマを、交互に見ながらいった。
「ああ、そうだ。俺たちは刑事だ」
そういって、ウイックは拳銃でも出すかのように、懐から手帳を覗かせ開いて見せた。その姿は怪しい奴にしか見えない。怪しい奴と私服刑事は紙一重ということだ。自分たちはスーツを着ているのだが。
「ジャック・ザ・リッパーのことを調べてたんじゃないのか?」
「ああ、そいつのことを調べるために、この議員のことを調べなきゃなんねぇーんだよ」
マスターは考え深げに、「色々あるんだなぁ~」と感心した様子でいった。
「ジャックと、議員は裏で繋がっているってことか。まぁ~、たしかに、政敵になりそうな邪魔な奴を裏で始末している、なんて噂があるくらいだからななぁ~」
そこまでいって、マスターはしまった、と思ったのか慌てて口をつぐんだ。噂だとしても、そんな噂が上がるほどに、あの議員の評判はとんでもなく、悪いらしい。火のない所に煙は立たぬ、というやつだ。
「それ本当かよ!」
口をついて出てきてしまったことは、取り返しがつかない。渋々、マスターは、「ああ、噂だけどな」とさっきよりも小さい声でいった。
「実はよ。ジョン、あ、俺たちはジョン・ドゥって呼んでるんだけどよ。そいつが標的にするのは、悪い奴だけなのかも知んねぇ―んだ」
民間人に、どこまで捜査状況を打ち明けるべきか。少しは捜査状況を話さないと、大抵の人間は情報を提供してくれない。
「ああ、そういやぁー昨日の兄ちゃんも、そんな話してたな。あの話本当だったのか」マスターは手をポンとつき、納得したようにつぶやいた。
昨日の兄ちゃんとは、あのカウンター席に座っていたあの男のことだろうか。あの不思議な男のことに違いない。
「次にジョン・ドゥが狙うのは、その議員かも知れねぇーんだ。だからその議員の悪い噂と住所を教えてくれねえか」
マスターは顔を歪めた。ただでさえ渋い顔が、干しアワビのように、くしゃくしゃになった。
「あんたに、教えてもらったことは例え、拷問されたとしても言わねぇーから。議員の悪い噂を洗いざらい、話してくれよ。な! 頼むこの通りだ」そういってウイックは手のひらを鼻さきで合わせて、拝むようなポーズをとった。
マスターは、「しゃーねぇーな」とかったるそうに前置きして、「言っとくが、これは噂だぜ。真相のほどは確かじゃねぇ」と話してくれる気になったようだった。
「ああ、噂でいいんだ。噂で」
噂が立つということは、噂になるだけの訳があるのだから。
「さっきも言ったようによ。殺し屋を雇って、政敵を暗殺してるだの、息子の犯罪を隠ぺいしてるだの、政治資金の横領だの、愛人を無下に扱っているだの、上げれば切りがねえな」
「まぁ、政治家なんざぁー、みんな似たようなことをしてるだろうがな」ウイックはそう揶揄した。マスターも、「違いねえ」と笑いながらうなずいた。
「屋敷中に沢山の護衛隊を毎日、日夜、置いてるもんだから、そこまでしないといけない、つまり命を狙われることをしてるんじゃねぇーかって、よく店に来た客たちが話してるさ」
マスターは段々、饒舌になりため込んでいたストレスを解き放つように色々なことを教えてくれた。その、どれもが真相のほどは定かではないというが、まるで見てきたように現実味を帯びた噂ばかりだった――。




