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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
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file05 『怪物伝説』

 目覚めた、私は目覚めた。こんなに辛いのなら、目覚めなければ良かった。

 こんなに辛い世界なら、目覚めなければ良かった。

 こんなに苦しいなら、目覚めなければ良かった。辛く苦しい世界で私は目覚めた。

 トロ―キンは時間をかけて、息を整える、まるで深呼吸のような大きな息を、吐いて、吸ってを繰り返した。

 

 バートンたちはトロ―キンが落ち着くのを待つあいだ、風が花壇に咲く花を揺らすのをボーっと観察していた。


「落ち着きましたか?」


「え、ええ、大丈夫です……」


 そういったトロ―キンの額には大粒の汗が浮かんでいた。汗は鼻筋を流れ、薄い唇に消えた。

 

 心なしか、顔色も白く見える。明らかに貧血の症状だ。

 昔のことを思い出させたことがきっかけで、気分を悪くさせてしまったのだろうか。


 もしそうだとしたら、悪いことをしてしまった。キクマはともかくバートンは面目ない気持ちになる。


「ごめんなさい、気分がお悪いようでしたら、出直しましょうか?」


「いえ……大丈夫です。もう直りました、続けさせてください」


 キクマの問いに、額の汗をぬぐいながらトロ―キンは答える。顔色はまだ悪いが、先ほどのような異常さはなかった。これなら、話を聞けそうだ、とバートン一安心。


「心配させて、ごめんなさい……。昔のことを思い出すと、体調が悪くなるんです。だけど、もう大丈夫、話します。――えー、どこまで話しましたかね?」


 トロ―キンはバートンとキクマに問う。バートンは、「怪物に襲われたのは」のところです、と教えた。

 

トローキンは大きく、頭を上下させながら、「そうでしたね。ごめんなさい。あの時のことを思い出すと、気分が悪くなるなってしまって……」と、額に浮かんだ脂汗を袖で拭う。


「その話の続きです――獲物が獲れないので、二人の仲間は帰ろうと言い出しました。獲れないときに無理して、狩りを続けても、獲れない日は獲れないんです。しかし、もう一人の仲間が帰って来ないと、僕たちは帰れません」


「どうしてですか?」


 バートンが相づちを打つ。


「あの時代は電話なんてありませんでしたから、もし、先に返って入れ違いになってしまったら、遭難しかねないのです」


「確かに、そうですね」と、自分の浅はかさを恥じ入り、バートンは黙り込むんだ。


「僕たちの間では、笛で連絡を取り合っていたのですが、いくら笛を鳴らそうとも、その一人は帰ってきません……」


「笛の届かないところまで離れてしまったのでは」


 キクマが訊く。しかし、トローキンは首を横に大きく振って、それを否定する。


「僕たちは笛が届かなくなる、まで離れたりしません。だから僕たちは山の中で怪我したか、崖から落ちたのではないかと考えました……。僕たちは何時間も探し回りました。喉が枯れるまで彼の名前を呼びました。ドネリ! ドネリと」


 そこでトローキンはまた黙り込んで、話始めるまで数秒かかった。


「暗くなるまで、捜したけど、見つからず……その日は渋々帰りました……。夜の森を歩き回ったら、僕たちまで危険ですから、仕方ない判断です。そして、翌日の早朝から僕たちは村の仲間たちと森中を手分けして、しらみつぶしに探し回ったのです。空が、薄っすら橙色(だいだいいろ)に染まり始めたとき、彼は見つかりました……」


「見つかったのですか!」


 バートンはつい、声が出た。トロ―キンの言ったことが予想外だったからだ。バートンはてっきり、そのいなくなった彼はそのまま見つからなかった、と予測していた。


「ええ……見つかりました……むごい姿で……発見しました。何に襲われたのか、体中ズタズタにされて、肉がえぐられていました。動物に食べられたのか、はらわたが引っ掻き回され、見るも無残な姿で見つけました……」


「トローキンさんは、今回の事件とその、二十年前の事件と同一犯の仕業だと思いますか?」


 バートンは重心を前に倒し、肘を膝について、両手を組んだ。そして組んだ両手を唇の前に掲げる。


 考えるときのバートンの癖だった。キクマはその姿を何かの小説で読んだことがあるような気がしてならない。そう、世界一の名探偵のあのポーズに見える。


「そこまでは分かりません……だけど、その可能性はあると思います……。もう、二十年以上前のことなので、犯人が生きているかも分かりませんが」


「犯人が狼や、熊のような獣なら、死んでいるかも知れませんが、怪物なら分かりませんよ。この村には怪物の伝説があると聞きますから」


「はい、この村には怪物の伝説があります。だから、彼がズタズタにやられたとき――村の者たちは真っ先に怪物を疑いました」


 トローキンの横顔を見ながら、バートンは、「怪物伝説を教えてもらえますか?」と切り出す。


「ええ、僕が知っている範囲ならお話してあげましょう」


 トローキンは子供に絵本でも読み聞かせるように、落ち着いて、それでいて強弱の付いた感情のこもった声で語りだした。


 トロ―キンの目には何か、鬼気迫る強い光が宿っている。

 怪物に取り憑かれたような強い目力があった。


「言い伝えでは1764年のことです。いまから、二百年前のこと。一人の女性が狼に似た獣に襲われたのです……。しかし、その女性は殺されることはなかった、言い伝えでは放牧していた牛に救われたそうです」


 放牧されていた、牛に救われた。

 バートンは、牛が怪物から人間を救う光景をイメージできなかった。牛より、犬の方がまだ頼りになるのではないか、とバートンはデモンを思い浮かべながら思う。


「その女性が生きていなかったら、怪物伝説は広まらなかったでしょう。そして、女性は怪物の姿を事細かに伝えてくれました。牛のような巨体、尖った鼻、胴体は太く剛毛で覆われている体。前身は赤みがかった、毛に覆われており、背中には黒いぶち模様があったそうです」


「その説明で想像すれば、化け物が出来上がりますね。狼の特徴と一致しませんし」


 バートンの組んだ両手のすき間から、くぐもった声が反響した。

 横目でトロ―キンを見つめている、顔は好奇心旺盛な子供のようだった。

 

 バートンは一度、集中すると手に負えない、好きにやらせておけばいいのだ。


「そうです……どんな動物の容姿にも当てはまらない、だから怪物なんです」


「キメラ、ですか?」


「キメラ、確かにその名前が一番的を射てますね」


「その事件は終わったのですか?」


「いえ、女性を引き金にしたように……恐怖が始まりました……。次の犠牲者は子供でした。まだ二十歳にもなっていない女の子です。その女の子もラッセルさんの様に内臓を食い破られていたそうです」


 トロ―キンは苦虫を嚙み潰したように、嫌悪感に満ちた顔をした。思い出すのも嫌なはずなのに、トロ―キンは語り続ける。


 なるで、語らなければ悔いが残る、とでも言いたいような血反吐を吐く語りだ。その、覇気に気おされて、バートンもキクマも何も言えない。


「他に誰が襲われたのですか?」


「ほとんどが、女や子供です。頭が良いのでしょう、弱い者を狙い続けました。そして、化け物の噂は王様の耳に入りました。化け物討伐隊が結成されたのです。村人たちも協力して、山狩りが行われたのです。その頃の人々は一安心したことでしょう。これで助かる、と」


 バートンは、トローキンの語尾に引っ掛かりを覚えた。


「ん? 化け物の恐怖は終わらなかったんですか? 討伐隊の力を借りても」


 トロ―キンはまるで見て来たように、眼球を上にやり伝説の続きを語り始める――。

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