case30 物凄い悪い奴
「おまえにも、色々あったんだな」ウイックは両手を組んで、感心するようにいった。青年鑑識官の方は泣いている始末だ。若いのに、涙もろい奴だ。
「キクマよぉ。そんな正義感振りかざしてないで、おやっさんの跡を継いでやれよ」ウイックは父親の意見を代弁するように説教じみた口調で、キクマにいった。あんたが説教できる立場かよ、とキクマはいってやりたかったが、いってどうにかなる話ではない。
「おまえが継いでいれば、妹も無理やり結婚させられることはなかったんだろ」
「そうだろうな」
その点だけは、キクマも後を引いていた。もし、自分が親父の跡をおとなしく継いでいれば、キクナは家を飛び出さなくて済んだのだ。
しかし、今ごろ後悔しても後の祭り。後悔しても、過去には戻れないのだ。なら、後悔するだけ損だ、というのがキクマの考え方だった。
「刑事なんてよ。誇れる仕事じゃねぇーぞ。正儀を振りかざして、人間の人生を踏みにじるんだからな。夜道で襲われても知んねぇからな」
そういったウイックの口調はまるで、ガキ大将が子分に教えを諭すような浅はかさがにじみ出ている気がする。
たく、この男が説教しても締まらないな、と思うキクマ。
「おい、ハシト! 引き上げっぞ」ベテラン鑑識官は、荷物をまとめていた。引き上げるようだ。
そして誰の名前を呼んだのかと思えば、「はい!」と、青年鑑識官がテキパキとした、軍人が上官の命令にしたがうときのような、ハッキリとした発音で、〈はい〉と応じた。
「それじゃあ、ウイック警部、キクマ刑事、面白い話を聞かせてくれて、ありがとうっす」
上司には、手本のような言葉遣いをしているが、キクマとウイックには馴れ馴れしい言葉で話す、ハシトであった。
死体はとうに回収された後で、被害者が倒れていた一か所だけ煉瓦色に着色されていた。鑑識官たちが去ったあと、ウイックはボリボリと頭を掻いた。
「だから、おまえも女を娶って、おやっさんの跡を継いでやれって。女ができれば、男は腰が据わるもんだぜ」
どうして、そこから女の話しになるんだ。キクマは呆れた。
しかし、そのあと、ウイックは思い出したかのように、「あ! けど、おまえのその仏頂面じゃあぁ、『え~なにあの顔の怖い仏頂面のおっさん、こわ~い』って、女にゃあぁ、モテんわな」とキクマの顔を指さしながら、腹を抱えケタケタ笑った。
この世の中のいかなる物事の中で、人に指をさされるほど腹立たしいことはないのではないだろうか。そう思えるほど、キクマは腹が立った。
噴火直前の活火山を感じ取るように、キクマの苛立ちを感じ取ったのか、ウイックは即座に笑みを消し、「冗談だよ。冗談……冗談も通じねぇ~奴だな。だから、女が……じゃなくて、友達いねぇーんだぞ」とウイックは必死にキクマの機嫌を取った。
「と、ところでよ」
ウイックは話題をそらした。都合が悪いときに、ウイックがよくやる手である。眼をしばたたかせているので、それがよく分かった。
「ジョン・ドゥだよ。ジョン・ドゥ。あいつの捜査に戻ろうぜ。評判の悪い奴を張り込むんじゃなかったか……。いい加減、その怖い眼はやめてくれ。寿命が縮まっちまう」
ウイックは自分の両二の腕を抱くように掴みブルブルと震えた。
「元からこの眼なんだよ」とキクマは鋭い目でウイックを睨んだ。
「そうだったか」ウイックは、「ははは」と作り笑いを浮かべた。
「それじゃあよ。あの蛇の目みてーなマスターがいた店に、殴りこんでみっか。柄の悪そうな奴らがあそこなら、捨てるほどいるぞ」
ウイックが再び、蛇の目のようなマスターがいる店を訪れると、マスターは苦い顔をして、二人を出迎えた。
「昨日の今日で、早いですね……」嫌味ったらしくマスターはいった。
「なんだよ。遊びに来ちゃいけねぇーてぇーのか? この店は客を選ぶのかよ」と何故かウイックは喧嘩腰に答える。
この男は喧嘩がしたいのかもしれない。やるなら、一人でやってくれ、そして、辞職してくれ、と願うキクマ。
「いえ……そんな滅相もない……」
マスターは手を揉みながら、必死にウイックの機嫌を取る。ウイックは、「わかりゃーいんだよ。わかりゃーな」と悪の笑みを浮かべた。マフィアか、この男は、と疑いたくなるほど慣れている。
警察に入る前は、きっとどこかのファミリーに入っていたに違いない。
「で……本日は、どんなご用件でしょうか……?」
ウイックは乱暴に、カウンタ席に座った。その勢いで、「とりあえず、酒!」といいそうだな、と思った。
「この辺りに、極悪人っているか」
ウイックが何を言っているのか、分からないらしくマスターは困惑気味に眼をしばたたかせた。「極悪人といいますと……?」
「文字通りだよ。物凄い悪い奴」ウイックは一音一音をハッキリ発音しながらいった。
マスターは肩をすぼめた。「はあぁ……、物凄い悪い奴ですかぁ……」
「そう、物凄い悪い奴だよ」
マスターはしばらく考えるように、腕を組んだ。「ん~」とうなりながらだ。物凄い悪い奴という情報だけで、悪い奴を特定できるのだろうか。
「ちなみに、どんな悪い奴でしょうか……?」
やはり、それだけの情報で特定などできるはずもなく、マスターはウイックを怒らせないように慎重に問うた。
「だから、物凄い悪い奴だよ。それだけ言えば分かるだろ」
それだけで分からないから、マスターは問うているのだろうが、おまえがそのことを分れ、とキクマは思う。
「例えば、殺人を犯したことがあるやつとかだ」マスターが哀れに思い、キクマが横から口をはさんだ。
「殺人を犯したことがある人ですか……」
マスターが押し黙ると、「あんたなら知ってるだろうが。この店、マフィアも出入りしてんじゃねぇーのか。だったら、殺人の経験がある奴をたくさん見てきただろうが。違うか?」
マスターは決まり悪そうに、答えない。心当たりがあり過ぎて、答えられないのか、心当たりがなくて、答えられないのか、その、どちらかだ。
「殺人じゃなくてもいい、評判の悪い奴を知らないか」
平坦な声でキクマは再び口をはさんだ。マスターはそれでもしばらくの間、迷い、考えているようだったが、ようやくその口を開いた。
「評判が良くないって言ったら……」
マスターは上半身をカウンターテーブルに乗り出し、告げ口をするかのように小声で、「良い話を聞かない、議員がいるんですよ……」と告げた。




