case27 少年たちの抗争
チャップの眼の前に立った少年は、少年らしからぬ下衆で、卑猥で、残酷な笑みを浮かべた。昨日パンを恵んでくれた男とはまた違った恐怖を覚えた。
この少年は平気で、人をおとしめることができる人間だと……彼は感じた。
「おめぇーたちがわりぃーんだからな。俺たちの縄張りに勝手に入った。おめぇーたちがわりぃーんだからな」
少年は潮が引くような薄ら笑いを浮かべる。このあとに、波が押し寄せることを予感させるような、だ。
「はぁ、ここでやるってぇーのか。おまえたちもただじゃ済まねぇーぞ」チャップは少年に負けないような、冷たい笑いを浮かべて対抗する。
少年は八重歯を覗かせた。まるで物語などで、現れるドラキュラのような血の通わない、怪物に見えた。
「ちゃんと、頭使え、頭。おめぇーたちは、四人。俺たちは、六人。それに武器もある。圧倒的に、俺たちの方が有利だろうが」
そういって後方を塞いでいた、少年たちが威嚇するように鉄パイプを鳴らした。
「それでも、俺たちに勝てるって思うか」
「やれるもんなら、やってみろよ! おまえが俺に勝てたことあったかよ!」チャップの言葉を聞いた途端、少年の眉間に青筋が浮かんだ。
「おい、やれ」少年はあごをしゃくって、後方にいる部下らしき少年たちに合図を送った。
それを合図にチャップも声を張り上げた。「おい! 分かってるなぁ!」
その言葉は誰に向かって発せられたのだろう、彼は後方から迫ってくる、五人から距離を取りながら、頭をめぐらした。
後ろの少年がカノンに鉄パイプを振り上げた。カノンはすんでのところで、かわしたが地面に叩きつけられた、鉄パイプは人でも殺しそうな勢いがあった。
「殺すなよ。痛めつけるだけだ」と少年は言ってからニヤリと不気味な笑みを浮かべた。「まぁ、腕の骨を折るくらいは許してやる、がな」
少年のその言葉にためらいはなく、本気だ、ということが否が応でも伝わってくる。
「俺とミロルが隙を作る、おまえたちは隙をみて逃げろ!」
そうチャップは声を張り上げた。逃げろって言っても、どうすれば良いんだ。彼は右も左も、敵に囲まれた通路をせわしなく見ながら、思った。
そこで、彼は自分の浅ましさに、思い至った。自分は家族を見捨てて逃げることを考えている。
一時は本当に死のうとまで考えたのに、自分の命惜しさに家族を捨てて逃げることを考えている。
チャップとミロルは、鉄パイプを持った少年たちともみ合った。しかしいくらチャップとミロルだろうと、六人の相手を一挙に引き受けるのは不可能だ。
チャップとミロルの攻防をボケっと見ていると、彼の手首が物凄い力で引っ張られた。
「なにボケっとしてんだ! 逃げるんだよ!」といって彼の腕を引っ張ったのはカノンだ。
彼は今にも泣き出しそうな眼で、二人を見た。ミロル、チャップ何をしてんだ、おまえたちも一緒に行くんだよ、と。
しかしその願いはかなわず、彼はカノンに引かれるかたちで逃げ出した。こんなスムーズに、逃げ出せるものだろうか……。
彼はその場をあとにしてから、その疑問が黒い入道雲のようにモクモクと湧いてきた。あの状況で逃げられるわけないじゃないか。あの少年たちは、おれたちをわざと逃がしたんだ……。
彼はやっとそのことに思い至った。
そのことに気付いてから、「な、な、何で逃げるんだよ! か、家族を置いて……?」と突っ張り言い放った。
カノンはゆっくりと歩みを緩め、仕舞に立ち止まった。
「なぁ……? 本当に逃げちゃっていいのかよ……。今頃、チャップもミロルも酷い目に遭ってるんじゃないか……?」彼は興奮でつっかえる声を必死に発した。
カノンは振り返ることなく冷たく言い放った。「あいつらも、殺しまではしない。気がすんだら、解放してくれるさ」
彼はカノンのその言葉に地獄の業火のような怒りが湧いた。どうして、家族が酷い目に遭っているのに、どうして、そんな冷静でいられるんだよ……。
痛みを分かち合うのが家族ってもんじゃないのかよ……。
「ど、どうして、そんな冷たいんだよ! おれたちを体を張って逃がしてくれたんだぞ!」そう言いながら彼はカノンの胸倉をつかんだ。
「オレたちが戻ったって、どうすることもできないだろ今戻って、チャップとミロルの気持ちを無下にするのかよ」カノンは顔をそらし感情のこもらない声で応じた。
「痛みを分かち合うのが家族ってもんだろ!」彼はどこの本にでも書いているような、深みのない言葉を吐いた。
「昨日入って来た奴に、何が分かるって言うんだよ! あいつらには、あいつらの考えがあるんだよ!」そこまでいって、カノンは言葉をつぐんだ。
決して口に出してはならない、言葉を口にだしたときの、どうすることもできない罪悪感を帯びた顔だ。
「すまん……言い過ぎた……。そんなつもりはなかったんだ」
彼は感情を顔に出さないように、必死に意識を集中させた。
たしかに、おれはまだ昨日は入ったばかりなのだ。偉そうに、指示できる立場ではない。
なのにこの気持ちは何なんだ。この、心を締め付ける痛みは何なんだよ。家族っていうのは、時間が作るのかよ……。
「分かってくれ……な……あいつらだって、殺したりはしない……。殺してしまったら、後々大変だからな」
カノンは彼の肩を両手で、強くつかんだ。カノンの手を伝って、カノンの悲しみが伝わってくるようだった。
ああ、そうか、カノンも逃げたくて逃げたわけじゃないんだ。おれよりも、辛かったはずなんだ。だけど、おれを逃がすために、心を鬼にしてくれたんだ。彼はカノン、チャップ、ミロルの心に気付くことができた。
「本当に……本当に……大丈夫なんだな……。殺されたり、しないよな……」
彼は泣いていた、自分の不甲斐なさに、家族が受けている、痛みに、カノンの想いに、気付き、彼は泣いたのだ。
カノンは彼を抱きしめた。
人に抱きしめられるなど、はじめての経験かもしれない。殆ど、同い年なのに、今だけはカノンの方がお兄ちゃんのように大人びていた。
「ああ、大丈夫だ。少しは痛めつけられるだろうけど、殺されたりはしないよ……」カノンの声はこの世のどんなものよりも、優しく聞こえた。
彼はカノンの腕の中で泣いた。涙を堪えることができづ泣いた。カノンも彼につられるように泣いた。二人の少年は肩を抱き合いながら、仲間の痛みを思った。




