case24 5年ぶりの再会
「へ~、おまえも女に目を奪われるってことあんのかよ。意外だな」とウイックはからかうような声で茶化す。
たしかにキクマは、向かいの歩道を歩く女に目を奪われていた。ウイックのからかいも耳に届かないほど、キクマは女に目を奪われていたのだ。
あまりの驚きように、不信感すら覚えるほどに。
「へぇ~、かわいい子っすね」青年鑑識官も鼻の下を伸ばし見惚れた。
「たく、あの女は俺の部下が先に目を付けたんだぜ。なに横取りしようとしてんだよ。おまえは彼女いないのか、あぁ!」ウイックは青年鑑識官の首をヘッドロックして、頭をこずく。「いでで……」青年鑑識は苦しそうにもがいた。
「この現場は俺に任せて、さっさと追いかけな。もたもたしてっと行っちまうぞ」
ウイックがそう話しているあいだにも、女は遠ざかっていく。
ウイックはキクマを諭すように、背中をたたいた。
「……おい、どうした。鳩が豆鉄砲を食ったよう顔しやがって……。速く追いかけろよ」
しかしキクマはウイックの言葉など、はなから頭に入っていなかった。無意識にキクマは車道を横断し、女のあとを追った。
人々にぶつかり罵倒されながらも、キクマは溺れ空気を求める哀れな人間のように人垣を掻いた。
女はキクマに気付くことなく、颯爽と遠ざかってゆく。
キクマはその女を知っていた。知り過ぎるほど、知っていた。五年前、家を飛び出したきり消息がつかなかった、その女をキクマは知っていた。
キクマは女の肩を掴んだ。息があがり、下手をすれば変質者と間違われても仕方がない
女は長い髪を、なびかせながら振り返った。
キクマの顔を見て、幽霊でも見たような青ざめた顔に女はなった。
そして女は震える唇でつぶやいた。「……お、お兄ちゃん……」
女は信じられない、というように動揺し、言葉を探しているようだった。そう、いま目の前にいる、女こそ五年前、家を出て行っていらい消息がとれなかった妹、「キクナ……」だった。
別人ではない、五年前より大人びているが、たしかにキクナだ。親の束縛から逃れるため、十九歳で家を飛び出したキクナだ。いま二十四歳になった妹。
「ど、どうして、お兄ちゃんがこんなところにいるの……?」キクナはばつが悪そうに、視線をそらす。
「おまえこそ! どうして、この街にいるんだ!」と叫ぶつもりはなかったがキクマは叫んでしまった。
キクマはもう二度と離すもんか、というようにキクナの手首をつよく、ツヨク、強く、つかんだ。
キクナは顔を歪めて、「お兄ちゃん……痛い……」とキクマの手を振りほどこうとした。
「あ……わるい……」と慌てて、キクマはキクナの腕を離した。放してから思う、たしかにこの腕の感触はキクナのものだと。
「どうして……」そこでキクマは言葉を探すように、一度息を飲み込んだ。そして改めて言う。「どうして……連絡してこなかったんだ。俺も、親父も心配してたんだぞ……」
キクナはうつむいた。まさかこんなところで、こんな状況で再び兄に出会うとは思っていなかった、という態度である。
「ごめんなさい……。連絡しなかったのは悪いと思ってる。だけど、連絡したら、連れ戻されるのは眼に見えてるもの……」キクナはそこまで行って言葉を飲み込んだ。そして吹っ切れたかのように力強い声で続ける。「わたしは家を存続させるためだけに、生きてるんじゃないもの。好きな人とちゃんと恋愛して家族を築きたいの」と自分に言い聞かせるように行って「お兄ちゃんだってそうでしょ! だから、お父さんのあとを継がないで、刑事になったんでしょ!」
今度はキクマの眼を見すえ、声を震わせ言い放った。
「連れ戻したりしない。ただ、元気でやっているかどうか、連絡してくれるだけでよかったんだ……。親父も、反省してる。もう、おまえを無理やり結婚させるようなんて考えてない。ただおまえに会いたがっているんだ……」
そこまでいって、キクナが抱えるように持っている紙袋に視線を落とした。りんごや野菜が顔を覗かせていた。買い物帰りなのだろう。
「どんな顔でお父さんに、会ったらいいの……?」キクナは涙をこらえるように、震えるか細い声をだした。
「そんなに思い詰めることなんてない。何食わぬ顔で、帰って『元気にしてた』って言ってやれば、親父も喜ぶさ」なだめるように優しい声でキクマは答えた。
「ええ、そうね……」とキクナは顔を歪ませ煮え切らない、YESともNOとも取れない声音で返事を返す。
キクナは地面に視線を落とし挙動不審に、「わ、わたしそろそろ、帰らないと……」とまるで逃げるように切り出した。
キクマはキクナの持っている、紙袋とキクナを見比べながら、「誰かと同棲してるのか」と探るように訊いた。
キクマが問うと、キクナは眼をそらし答えなかった。こいつは昔からそうだ、嘘を付けないもんだから、答えづらいことになると視線をそらす。視線をそらした、ということは認めたようなものだった。
「いや、忘れてくれ。俺がそこまで干渉することじゃないな……。――この街に住んでるんだよな?」
「ええ……」とキクナは小さく答えた。
目が泳いでいるが、嘘ではないらしい。「そうか。じゃあ、またいつでも会えるよな。気が向いたら親父に会ってやってくれ」
キクマは慌てて懐をまさぐり、手帳を取り出した。手帳にかけていた、黒い万年筆のキャップを外すと、キクマは何も書かれていないページを探し出し文字を走り書きした。
「俺がいま住んでる家の住所だ」といって、ページを破りキクナに渡した。
キクナは戸惑いながらもページを受け取ると、チラリと眺めて丁寧に折りたたんだ。失くさないように、折りたたんだ紙切れをポケットにしまった。
今回はこれ以上場をもたせる自信がなく、キクマは引き上げることにした。キクナがこの街に住んでいると分かっただけでも、大きな収穫だったのだ。
焦る必要はない、またいつでも会えるのだから。
「それじゃあ、元気でな」
「ええ、お兄ちゃんこそ元気でね。また、落ち着いたらお兄ちゃんに連絡するね」
キクマは背中を向けたまま手を振った。ウイックと青年鑑識官の、そしてベテラン鑑識官までもがボールを追いかける犬のような、好奇心旺盛な眼でキクマを見ていた。
「おまえも意外と、積極的なんだなぁ! 見直したぞ、おい!」とキクマが戻ってきてすぐにウイックは叫んだ。
キクマは無視を決め込もうとするが、三人はそれを許してくれない。物欲しそうな眼でキクマを囲んだ。
「メモ渡したようだが、デートの約束でもしたのかぁ、え? おい、教えろって」
もしこれが本当にデートの約束だったとしても、こいつに教えれば邪魔されることが目に見えている。これがデートならこいつにだけは、拷問されても教えない、とキクマは心に決めた。
「もったいぶらないで、教えてくださいよ~」と青年鑑識官はブンブン尻尾を振る犬のように訊く。
このまま答えなければこれから何日もこの尋問が続くだろう、教えて困るようなことでもない。キクマは諦めて答えた。「俺の妹だよ」
「あのべっぴんが、おめーの妹だぁ~。なんだその冗談、ナポレオンが実は女だった、ってくれぇー無理があるだろうが」そう言いながら、「冗談はいうもんじゃねぇーぞ」とキクマの背中をたたいた。
「本当だよ。あいつは、母親に似たんだ。俺は父親似だ」
三人はお互いに顔を見合わせながら、開いた口が塞がらないようだった。まったく、いい年した男三人が色恋の話で盛り上がるのは、滑稽である。
「てぇーと、ホントなのか……?」ウイックはまだ信じられないといいたげにつぶやいた。「ああ、本当だ」とキクマはハッキリと断言した。
キクマは今までの経緯を簡単に説明しはじめた。




