case23 ジェノヴェーゼファミリー
「頸動脈を切られたことによる、出血多量ですね」ベテランの鑑識官という雰囲気をかもしだした、初老の鑑識官が書類を見ながら被害者の死因を報告した。
「誰が見たって明らかだよ」ウイックは突っぱねるようにいった。
「まぁ~華麗ですよ。一寸の迷いもなく、スパッとね」ベテラン鑑識官は、手刀をつくり自分の頸動脈をリストカットしてみせる。
「こりゃーあァ、決まりだな」
「模倣犯の可能性は捨てきれませんが、まぁジョン・ドゥで決まりでしょうね」ペンでこめかみを書きながら、鑑識官は煮え切らない返答で応じた。
「あ、きたきた」と鑑識官は向かいから小走りで駆け寄ってくる青年を見つけるとそうつぶやいた。鑑識官の部下らしき青年が、べつの書類を持っている。
青年鑑識官の方はベテラン鑑識官の気だるそうな態度とは違い、はきはきとした自分の仕事にやりがいというものを持っている、という初々しい態度であった。
「で、この男は前科もちだったか」ウイックは青年鑑識官に問うた。
「はい!」青年鑑識官は敬礼するように、背筋をピシッと伸ばし返答した。
「いちいち、改まらなくていいから、早く教えろ」とベテラン鑑識官は持っていたペンを、空で振りながら青年鑑識官を急かす。
「はい! 強制性交等罪の前科があります! 僕が思うに、常習犯であります!」
青年鑑識官は丁寧すぎて、逆に不自然な話しかただった。強姦の前科持ち。十分ジョン・ドゥの標的になりえる。キクマが物思いにふけっていると、ウイックが横腹を小刻みに三回つついた。
「なんだよ?」とキクマは苛立ち気味に鋭く睨み返した。
「おまえもあの若い鑑識を見習えってんだよ」
キクマは元気はつらつな、青年鑑識官に視線をやった。「どういう意味だよ?
「分かってんだろ。あの青年みたいに上司を敬えってこったよ」
キクマは自嘲的な薄ら笑いを浮かべた。
「何だァ~! その薄ら笑いわよォ! 俺を馬鹿にしてんのか!」ウイックは額に青筋を浮かべ怒鳴る。
「いや、馬鹿にしてんじゃねぇ。ただ、あんたを尊敬する俺の姿を想像したら笑えただけだ」
「意味は同じじゃァーねぇーかよ!」
ウイックはネチネチネチネチと愚痴った。
そこに青年鑑識官が話に割り込んだ。
「良いじゃないっすか。僕はお二人の関係うらやましいっすけどね」
まるで人懐っこい犬を彷彿とさせられる態度で青年鑑識はいった。初老の上司と接するときとはえらい違いだ、とキクマは思った。
「いーや、部下にタメ口で話される上司の立場を考えてみろォ。みじめ以外のなにものでもないじゃ~ねぇか……」
ウイックはオーバーに手振りを交え、涙も出ていないのに袖で眼をぬぐった。この男を上司として尊敬するのは、不可能だとキクマは再認識した。
「てか、何で鑑識のあんちゃんまで、俺と馴れ馴れしく話してんだよ? あの、おっさんみたく、尊敬を込めて話してくれていいんだぜ。――何でもいいからよ、俺を敬ってくれる部下が欲しいんだよ!」
青年鑑識は見るものを和ませる微笑みを浮かべて、「アハハ、課が違うっすからね。だけど、僕は警部を尊敬してるっすよ」とウイックの肩をポンポンとたたいて励ました。
「ホントかよ……泣けること言ってくれるじゃねぇ―か。俺もこんなジャップじゃなくて、おまえみたいな部下が欲しかったぜ。今からでも遅くねぇ、俺が上に頼んで刑事課に入れるように頼んでやるからうちに来いよ」
こんな上司を尊敬しろというほうが無理な話だろ! とキクマは内心突っ込んだ。
まぁ、この青年の方がこいつの部下に、向いているかもしれないがな、とキクマは思った。
キクマはしばらく二人のやり取りを無言で見守っていたが、「で、この被害者は強姦罪の前科があるんだな」と痺れを切らせ訊いた。
「ええ、一件だけしかないですけどね。その一件も、裏からの圧力と、金で一週間も経たないうちに釈放ですよ。裏についている組織が、大きいもんだから強姦し放題。常習犯ですよ」と怒った犬のように鼻に皺を刻み、「この被害者、マフィアなんです」と言い放った。
「だから被害にあった女性も、示談とかですましたんじゃないすかね。まぁ、相手が相手だから、報復を恐れて届け出をだせない女性が多かったと思いますが」
「どこのファミリーだ」キクマはすかさず訊く。
青年鑑識はいいにくそうに数秒、眼をキョロキョロさせ意を決した。「ジェノヴェーゼファミリー……」と青年鑑識官は呪いの呪文でも唱えるような、まがまがしさで答えた。
「よりによって、ジェノヴェーゼファミリーかよ。こいつは厄介な組織が相手だな、おい」ウイックは苦虫を嚙み潰したような、苦笑いを浮かべた。
1890年代にジュゼッペ・モレロという男が、マンハッタンのイースト・ハーレムを拠点に強請や紙幣偽造など組織的な犯罪活動を展開し、ハーレムやリトルイタリーにいたシチリア系ギャングを取り込んで一大勢力を築いてできた、モレロ一ファミリーを源流に持つ。犯罪組織がジェノヴェーゼファミリーだ。
「自分たちの家族を殺されたんだから、ジェノヴェーゼファミリーも、犯人探しに躍起になるでしょうね。もう、組織内では知れ渡っているでしょうから、ジョン・ドゥを捜してますよ」青年鑑識がつぶやいた。
「ああ、この犯罪がジョン・ドゥの仕業だったら、ジョン・ドゥもただじゃすまねぇーだろうな。怪物を倒すには、怪物ってか。面白くなって来たじゃねぇ―か」ウイックは腹の奥から、クククと声を漏らした。
「刑事さんたちも早くジョン・ドゥを捕まえないと、家族を殺され闘志を燃やす奴さんたちに、先越されちまいますよ」
「まぁ、しっかし競争する相手が悪いよなぁ。どっちかが殺し合って、結果的に自滅してくれりゃあ、それでいいんじゃねぇーか」しまいにウイックは、やけを起こしたのか、投げやり気味いう。
「いやいやいや、自滅って戦力差が違い過ぎるでしょ!」冗談はよしてくださいよ、といいたげに青年鑑識は手を振りながら答えた。
「いや、あんちゃん分かってねぇーよ」
その前にあんたは分かってんのか、と突っ込みを入れたくなるのをキクマは何とかこらえた。
「常識的に考えて、ジョン・ドゥも人間ですよ。最新兵器を常備してる、ジェノヴェーゼファミリーには勝てないでしょ」
「いや、あんちゃんは分かってねぇーよ。――数人の人間が軍隊並みの戦闘力を有しているっていう、おとぎ話みたいな話が本当にあるんだよ」
そういったウイックの表情は、いつになく真剣そのものだった。
その表情にキクマも、青年鑑識官も言葉を失う。
「第一次大戦の陸上戦で、鬼人の如き活躍をした奴を俺は知っている。そいつには、銃火器なんざぁー効かないのさ。敵国は敬意と言う名の恐怖を込めて、そいつを大戦の怪物と呼んだのさ」
ウイックは過去を回想するときのようにいった。
キクマはからかい気味いう。「まるで、見てきたような言い方だな」
「見てきたもなにも、実際に見てたんだからな。おまえは知らねぇだろうが俺は大戦の時代、陸軍で活躍してんだぜ」
ウイックは胸をそらして胸を張る、というよりも出っ張った腹を強調しているように見えた。
しかし絶賛の返事が帰って来なかったことが、不服だったのか、「おい、どうしたんだよ。褒めてくれてもいいん……」とウイックが言いかけたとき、キクマはある女に唖然と視線を奪われていた。




