file04 『トロ―キンの証言』
私は目覚めた。暗い、暗い、視界が開き、私は目覚めた。
これが私が生まれて初めて、持った記憶。
暗い、暗い、記憶。
私を産んだのは、獣と女だった。獣と人間の間に、私は生まれた。
キクマとバートンは村の遊歩道を並んで歩いていた。
バートンはモーガンが言っていた、ことをすべて手帳に記している。
バートンの字は誰にも読めない、暗号のようになっているのだ。まるで宇宙人の文字だった。
紛失しても、誰も読むことはできないことだろう。いや、見つけたものは気味悪がって、持ち帰ろうなど思わない。
つまり、読めないぐらい原型のとどめていない、字だということだ。
「デモンって、デーモンを短縮した名前ですかねー」
バートンはダルそうな、目をして、ダルそうな声でいった。両手をポケットに突っ込んでおり、背筋が曲がって猫背になっている。
キクマは、(こいつといたら、俺まで気が滅入る)と、内心思う。
「デモンか、そんなの俺に分かる訳ないだろ。気になったんなら、聞きに戻れ」
「今聞きに戻ったら、デモンに殺されるかも知れませんよ」
バートンは冗談で言っているのか、本気で言っているのか、分からない口調で言った。
「あの犬、賢いな」
「犬はみんな賢いですよ。それにデモンはシェパードだ、賢い犬トップテンに入りますよ、たぶん。人間のいうことをよく理解しているし。教えれば人間だって殺す兵器になります」
「婆さんを疑っているのか」
キクマは両手をポケットに突っ込んだまま、横目でバートンを見て問う。
「まだ分かりませんよ。だけど、無いとは言えません。人間は犬に殺人を教えて、生物兵器にだってしてますからね」
「婆さんが、あの犬に人間の殺し方を教えている可能性もあるってことだな」
バートンはキクマを見下ろし、再び前を見て続ける。
「まあ、モーガンさんが犬を調教してラッセルさんを襲わせた。ないとは言えませんね。だけど、あの人がそういうことをするようには見えませんけど」
「人間は見た目で判断しちゃあ、いけねぇーが。俺もあの婆さんは犯人じゃあねぇと思うな。――だが、何かあの婆さんの言っていることが気にかかる」
「気にかかる? と、言いますと」
バートンは道のど真ん中に立ち止まって、問い返した。
すると、キクマも数歩、先で立ち止まり、「刑事の勘だ」と、不敵な笑みを浮かべて答えた。
「またそれですか」
バートンはさらにダルそうな声を出して、歩き出す。キクマは何につけても「勘だ」と、言うのだ。
しかし、バートンは知っている、キクマの勘は馬鹿にできないことを。
*
「誰も歩いてないですねー」
バートンは村の家々を見渡しながら、いう。
この村の家の屋根はモーガンの家に負けないぐらい、カラフルだった。三角屋根、赤、青、緑、黄、どの家も虹色だった。その中でもモーガンの家の屋根がひと際、目立っているのだから、相当なものだ。
そうして、散歩気分で村の中を歩いていると、村の中央広場に着いていた。レンガで、円形に花壇が作られて、色とりどりの花が植えられている。
そして、木の椅子が円に沿って並べられていて、ここは村人たちの憩いの場になっているのだろうことが分かった。
天気が良かったら、ここに村人たちが集まっていて、聞き込みも楽だったことだろうな~、と悲観するバートン。
嘆いても仕方がない、バートンは諦めず広場を見渡した。すると一人だけ、誰かが椅子に座っているのを発見する。
その人物は初老を過ぎたくらいの、男だった。ベレー帽をかぶり、タバコをくわえている。
男はタバコを旨そうに吸っていた。バートンはタバコを吸わないので、タバコを旨そうに吸っている人の気持ちは分からない。
それに、タバコを吸ってみたいとも思わなかった。
一度でも吸ってしまうと、辞められなくなるかもしれないから。
辞められる人は辞められるだろうが、それは意志の強い人間だけだ。バートンは自分のことを意志の強い人間だとは、思っていない。だから、危険な物には始めから手を出さないのだ。
「あのー、お聞きしたいことがあるのですが」
バートンは男の前に立ち、問いかけた。男はバートンを見上げ、目が合う。青い瞳をして、無精ひげが生え、肌は健康的な小麦色に焼けている。長い年月の歴史が男の顔に深みを持たせていた。
「僕に何か御用ですか?」
男はタバコを人差し指と、中指ではさんだまま答えた。男の手はごつごつしていて、肉体労働者だと一目でわかる。それに、たくましい体つきだ。
「はい、今朝起きた事件をご存じですか?」
バートンのセリフを聞いた途端、男は急に訝かしげな目をバートンと、となりにいるキクマに向けた。
「あ、怪しい者ではありません、僕たちはこういうものです」
バートンは懐から刑事手帳を取り出して、男に見せた。
男は目を細めて、手帳に貼ってある、写真とバートンとを見比べる。二、三度手帳とバートンを見比べてから、男は再びタバコを吸った。
「何か事件のことや被害者のことを知っているのであれば、教えていただけないでしょうか?」
男はタバコの煙を吐いた。
リング状になって、プカプカと空に消える。その煙のリングをバートンはボーっと、消えるまで見つめていた。
そして、男はタバコの火を地面で消すと、ようやく言葉を発した。
「僕は何も知りません、けど、ラッセルさんを襲ったっていう怪物の話なら知っています」
バートンとキクマは無意識に背筋を正していた。
高圧的に男に近づき過ぎてしまい、男はとなりの席をすすめてくれた。
「本当ですか! えーっと」
「トロ―キン。――カニバ・トロ―キンです」
「トロ―キンさんですか。僕はバートン・テイラーです。こちらは僕の上司のキクマ・ランドーズと言います」
キクマは軽く頭を下げた。
そして、花壇を背景にして、二人は木で作られたベンチに座った。
「あー、その、ラッセルさんを襲ったという、怪物のことを教えてもらっても良いですか?」
トロ―キンは足を組み変えて、背筋を伸ばし、やけに落ち着き払っていた。
バートンとキクマは急かさず、待つ。
捜査において相手を急かすと、ろくなことにならないと知っているからだ。そして、数分過ぎた。静かな広場には鳥の鳴き声だけが、聞こえるのみ。
トロ―キンは静かに、語り始めた。
「あれはもう二十年以上前のことです。僕が初めて、あの怪物を見たのはまだ若い、三十代の頃でした。――僕は猟師をしていて、僕を入れた四人の仲間といつも狩りをしていたんです。いつものように狩りに出た日のことです。あの日は空が曇り、もうすぐ雨が降ろうか、という天候だったのを今でも覚えています」
そこで一旦、トローキンは黙り込んだ。再び語り出したのは一分以上経ってからだ。
「その日は獲物が見つからず、もう帰ろうか、と仲間内で話していた時です……」
「トロ―キンさん……? どうされました?」
トロ―キンは吐き気をこらえるかのように、背中を丸め、頭を抱えた。息が荒れているのが、二人には分かった。
「怪物に襲われたのは……」
トローキンは震える声を必死に抑えながら、いった。