case18 神風と実験
ジョン・ドゥに殺されたと思われる被害者の、犯罪歴を調べてみると面白いことに半数近くが灰色だった。
これだけでは断言できないが、被害者の多くは何らかの悪事をしでかしているのは、間違いではない。大抵の人間は自覚なしに犯罪を行っているけれど、ジョン・ドゥ事件の被害者たちは誰が見ても犯罪だと分かるレベルで、犯罪を行っていた。
つまりジョン・ドゥの標的としている人物には共通点があったということだ。これは大きな手掛かりになる。
あの街で評判のよろしくない人物を、マークしていればジョン・ドゥの手がかりをつかめるかもしれないのだから。大きな前進だ。
そんなことを考えながらキクマが署の薄暗い廊下を歩いていると、前方から見覚えのある、いけ好かない顔が近づいて来るのが分かった。向こうもキクマの顔を識別すると、普段は涼しい顔をしかめた。
「こんな朝っぱらから、あなたと出会うとはついてないですね」
出会って早々エリート感を全身からかもしだした、そいつは嫌味をいった。キクマは、「ふん」と嫌味ったらしく息を吐く。そう、その人物こそサエモンである。
「ああ、まったくなだ。こんな朝っぱらからおまえに会うとは、ついてねぇーな」キクマも嫌味ったらしく言い返した。
「ええ、まったく同感ですよ」サエモンは肩をすくめながらそういって、「で、どうですか。例のジョン・ドゥ事件の捜査に進展はありましたか」と訊いた。
どうして俺たちがジョン・ドゥ事件を調査していることを知ってんだ。キクマは感情の読み取れない、サエモンの眼を見返した。
「まだ俺たちが捜査を、任されたのは昨日だぜ」キクマは言い訳ではないが、そういった。
「まだ何の手がかりも見つかってないんですね」
こいつの口から出る言葉は、すべてが嫌味に聞こえるから不思議だ。言い返さないのは癪なので、売り言葉に買い言葉、キクマは言い返す。「いや、手がかりなら少しは見つかったぜ。おまえ達が今まで手がかりをつかめなかったのに、たった一日で手がかりをつかめたんだからいい方だろ」
「ほぉ、そうですか。それは良かったです。あなた達に任せて正解だったようですね」
「はぁ? 何が正解だったんだよ」
「あなた達があまりに、暇そうだったので私が頼んであげたんですよ。ジョン・ドゥ事件の捜査をね。あなた達に任せてやってくれと上層部に。私たちは今忙しいのでね。ジョン・ドゥ事件にまで手が回らないんです」
珍しく捜査を任されたと思ったら、サエモンが上に頼んでいたらしい。まぁ、そのことは別にいいだろう、暇だったのは本当のことなのだから。怒ることではない。
「忙しいって、おまえら何を調べてんだよ?」キクマは訊いた。
サエモンの顔が痛みを堪えるように、歪んだ。「MKウルトラ計画ですよ」サエモンは答えた。
「MKウルトラ計画?」キクマは空気の抜けたような声を出した。
「ええ、第三次世界大戦に備えてどこかの大国。あえて名前はいいませんが。が、極秘に人体実験を行っている施設が、この国のどこかにあるという情報が入ったんです。私たちはその施設を探しているんですよ」
「この国にあるのか」
「ええ、そのように言われています」
「何の人体実験なんだよ?」キクマは興味なさそうに訊いたものの、実際には少しだけ興味があった。
「感情や恐怖、痛みを感じないようにする。つまり、どういうことか分かりますね」サエモンはキクマを試すような低い声でいった。
しかしその声には、あなたなら分かるはずだ、という信頼のような意味合いも込められている。
「つまり人を殺すことをためらわない、最強の人間兵器ってか。面白れぇー話じゃねぇーか」キクマは笑みを浮かべながら答えた。感情をなくした人間ほど、こえー生物はいないからな」
「ええ、祖国のために自分の身をかえりみず、死んでくれる人間。――日本人の血を引くあなたなら、その恐ろしさが分かるはずです」サエモンは冷めた眼つきでキクマを見る。
「つまり神風アタックをしてくれる、人間をどこかの大国は作りてーってわけだろ。イカれてるな」
サエモンは何も言わなかった。ただ、サエモンの冷たい眼を見ていれば、なんとなくだが言いたいことが分かった。それ以上は、答えることができないのだろう。
「だとすると、その実験とジョン・ドゥは何らかのかたちで繋がってるかもな。なんせ、この事件も感情のないイカれた殺人鬼が行っているんだから」
「なくはない、話だと思いますよ」そういってサエモンは袖をめくり腕時計で時刻を確認した。「そろそろ、私は行かなければなりません。失礼します。まぁ、大丈夫だとは思いますが、くれぐれも気を付けてください」
サエモンは柄にもなくキクマの身を案じた。そして薄暗い廊下を、颯爽と立ち去った。いったい、なにに気を付けろと言っているんだ。
「たく、同期なんだから敬語を使うなよな。俺の方が疲れるぜ」キクマは遠のいたサエモンの背中に、いった。
ウイックのために特別に明け渡された、部署という大層な名の隔離室にキクマは入った。派遣という名目の厄介払いで落ちる部署。ここに落とされれば、出世は望めないのだ。
そんな隔離室で、ウイックは相も変わらず、特等席のソファーにふんぞり返り、タバコをふかしていた。ウイックの吸ったタバコで部屋の中は、霧に包まれたようになっている。
「遅かったじゃねぇーか」ウイックは鼻から煙を吐きながら、とびらに立ったままのキクマにいった。
「ああ、サエモンの奴とそこで話してた」
ウイックはまた白い煙を吐く。「あのお坊ちゃまくんか」ウイックはサエモンの父と何らかの太いつながりがあるようで、あのサエモンですらウイックには逆らえないようなのである。
キクマは持っていた書類を、テーブルの上に投げ出した。
ウイックは睨み下ろすように、書類を見た。
「ジョン・ドゥ事件の被害者と思われる、奴らの犯罪歴だ」
ウイックはタバコを人差し指と中指で挟んだまま、クリップで止めた書類をパラパラとめくる。「どうして、あれだけ調べるだけでこんな量になるんだぁ?」ウイックは気だるそうにいった。
「肝心なところだけ、教えてくれよ。おめーのことだから、目通してんだろ」読むのがめんどくさくなったようで、書類をテーブルに投げ出した。
「被害者の半数近くが、強姦、暴行、殺人未遂の前科持ちだな」
ウイックは灰皿に、タバコを押し付けた。「そうか、つーことは決まったも同然じゃねぇ―か。犯人は狂った正義感の持ち主ってことになるな」
ウイックは立ち上がった。珍しく行動が速い。いつもならナマケモノ以上にナマケているのだが、人は変わるものだ。その行動の速さから、ウイックもやる気になっていることが伝わってくる。
「極道をマークしていりゃあ、いつか愛しいジョン・ドゥに出会えるってことだろ。さっそく極道を見つけて、張り込んでみようじゃぇーか」
そういったウイックの人相の方が極道に見えた。つまりウイックをマークしていれば、犯人の方からやってきてくれるということではないか、と思うキクマであった。
*
「たくよぉ~、一足遅かったってわけか」そうかったるそうに、いってウイックは頭を掻いた。
二人が再び街にやってきたときには、街道のど真ん中を中心に囲うようにして人だかりができていたのだ。
人だかりの中央には真っ赤な血の池ができており、その血の池に浮いている死体となった男がいた。