case10 制裁の程度
ジョンはわざとらしく、踵をコツコツ鳴らしながら近寄ってゆく。建物に反響した音は、想像以上に大きく響いた。この音に怯んで、逃げ出してくれれば儲けものだ、とジョンは思った。
しかし強姦魔は一瞬動きを止めたものの、今度は、救えるもんなら救ってやれよ、とでも言いたげな態度でさっきよりも大胆に、女を襲いはじめた。
人に見つかっても怯むことなく挑発的で、その大胆さは常習犯の証拠である。この強姦魔は、かなりの女を泣かせてきたに違いない。
はじめは争う気などなかったジョンの心が変わった。こいつはこの世に生かしていちゃ駄目だ、と。
ジョンは路地裏の入り口に立ち、「その女を離してやれ」と警告した。ジョンの言葉を警告と取ったかどうかは、定かではないが。通路の物陰から、低い男の声がした。
「死にたくなかったら、立ち去りな」
犯行現場を目撃されているというのに、強姦魔は怯むどころか逆に楽しんでいるようである。
「私が立ち去ったら、その女を離してやるのか」ジョンは挑発的に言い返した。
すると強姦魔は鼻で笑いながら、「ああ、終わったらな。だからあっちいってな」と不敵にいった。
どしてそこまで自信満々でいられるのか、ジョンは不思議で仕方がなかった。
「たす、け、てくだ、さい!」
というくぐもった女の声が聞こえた。男に口を抑えられているようで、つっかえつっかえで意味をなしていなかった。
ジョンは男のいうことを無視して、二、三歩前進した。月は雲に隠れ、あたりは闇に包まれた。常人には何も見えない暗黒。
しかし、夜行性動物のように夜目がきくジョンには、ハッキリと見えた。女は服を破られ、無残にも乳房があらわになり、男に組み倒されていた。
「た、すけて!」最後の力を振り絞るように、女は声を絞り出した。
「静かにしろよ! 何も殺そうとしてんじゃねーだろうが!」
ジョンは男の眼の前に立ち、見下ろした。
野獣のような鋭い眼つきでジョンを睨みながら、強姦魔は立ち上がった。ジョンよりも頭一つ分ほど身長が高かった。
「その正義感に殺されるんだよ。女を助けたって何の得がおまえにあるってんだ? あ?」
高圧的にそういって、強姦魔は懐に手を入れた。
強姦魔が懐から取り出した物は、折りたたみ式のナイフだった。
「そうか、分かった。助けて自分が女とやろってか! な、そうだよな。男が下心もないのに、女を助けるわけねぇーよな」強姦魔は下衆な笑みを浮かべながらいった。
「だったら、先ゆずってやるよ。な、その方がお互い、争わなくて良いだろ? 俺はおまえを刺さなくてすむし、おまえも痛い目を見なくてすむ。な、そうしようぜ。先にやれよ」
と、べらべらしゃべりながら、刃渡り7、8㎝ほどのナイフを強姦魔は大袈裟に見せびらかしてきた。
ナイフを見せれば、怖気づくとでも思っているのだろうか。きっと以前にも正義感のある誰かに、同じ提案を持ち掛けたに違いない。
そのときその人物はどうしたのだろうか。強姦魔の提案に乗ったのか、それとも、正義感を貫いて刺されたか。
まぁ、今考えるようなことではない。今考えるべきことは、この強姦魔は今までもこうして、犯罪を繰り返していきている、ということだ。しかし今回でこの男にも罰が下る。
こういう奴に限って威勢はいいが、弱い。しょせん力で女を従わせることしかできない、弱い奴なのだ。
スタスタとジョンは強姦魔に目と鼻の先まで、近づき右手を振り上げた。
強姦魔は突然の出来事を、呆然と立ち尽くして見ているだけだった。いや、頭が追いつかなかったのかもしれない。
砲丸をぶつけられたような衝撃が右頬を貫いて強姦魔は、はじめて自分が殴られたことを悟った。今まで反撃されたことなどなかったようで、油断していたらしく、受け身も取ることはなかった。
強姦魔は右頬を両手でおさえながら、背中から倒れ込んだ。しばらくの間、男は足をばたつかせながら悶絶していた。
「いっぃてー……!」
この女の目がなかったらこんな野獣、今にでも殺しているところだ。まったく運がいい犯人だ、とジョンは思った。しかし、命までは奪えなくとも手ぬるいままでは駄目だ。
ジョンは右頬をおさえて、のたうち回る強姦魔の顔にもう一度こぶしをたたき込んだ。こんどは左手で左頬に強打を浴びせる。
小枝が折れたときのような、ポキという軽快な音と共に、頬骨が砕けた感触がこぶしを伝わった。
これ以上殴ったらこいつは、確実に死んでしまうだろうな。ジョンは経験上、そのことが分かった。しかし、ジョンの鉄拳は止まらなかった。
しばらく、一方的な暴力が続き、ジョンの意識を取り戻させたのは、女の怯え切った声だった。「も……もうやめてください……!」
そこ言葉でジョンの動きは止まった。どうして自分を犯そうとした相手をかばうのか。この女も男を殺してしまいたいほど、憎いはずだろうに。
ジョンには理解できなかった。そこでジョンは初めてその女が、酒場でウエイトレスをしていた女であることを知った。
胸元から破られた服を両手で、かばうように掴んで胸を隠していた。
女からはジョンの姿はシルエットとしてしか、見えていない。ここはそれほどまでに暗いのだ。
「そ……それ以上、殴ったらその人……死んじゃいますよ……」女の声は震えていた。
助かったというのに、どうしてまだ震えているのだろうか?
そこでジョンは気付いた。この女は、この私に怯えているのだと。ジョンは着ていたブラウン色のコートを脱ぎ、女のはだけた服の上に投げた。
「そのコートは君にあげるよ。この男が目覚める前に逃げるんだ」
その言葉だけを言い残し、ジョンは裏路地から立ち去った。
それから、数日が経ったころジョンは再び仕事の関係で女が働く、酒場を訪れていた。
張り込んでいた男が帰り、ジョンも店を出ようとしたとき、女がジョンの元までやって来ていったのだ。
「先日は助けてくれてありがとうございました!」と、礼儀正しく頭を下げた。
ジョンは一瞬なんのことを言われているのか、分からなかった。困惑気味な顔を女に向けると、女は察してくれたらしく、言い直す。
「先日、あたしが襲われているときに助けてくれたのは、あなたですよね?」
ああ、そのことか。この女はあんな真っ暗な中、ジョンの顔を識別できたというのか。ジョンにはそのことの方が驚きだった。その驚きは口に出ていた。
「どうして、私だと思うんだ? 見えていたのか」
すると女は、少し頬を紅にそめながら、微笑んだ。
「声ですよ。あのときの声はたしかに、あなたの声でした」
迂闊だったな、と思ったころには遅かった。しかし、声だけで分かったというだけでは、腑に落ちない。
「声だけで分かるのか。似たような声の人間なんて、捜せばいくらでもいるぞ」ジョンがそう指摘すると、女はまるで刑事のように次から次へと証拠を上げた。
「あなたが私に掛けてくれた、コートです。いつもあのコートを着て来ているのに、今は着ていないじゃないですか」
ジョンは自分の服装を見下ろす。たしかにいつもはブラウン色のコートを着ていたが、今回は黒いコートだった。またも迂闊だったことを痛感させられた。
「ちょっと待っててくださいね。あのコート持ってきますから」そう言い残して、女が踵を返したとき、ジョンはいった。
「いや、いい。あのコートは君にあげたものだ」
すると女は振り返り、顔を少し紅くさせ嬉しそうにいった。「いいんですか。もらっちゃって?」
ジョンはうなずく。
それがその女との出会いだった。
気が付けば、ジョンは帰ってきていたようだ。アパートの一階突き当りが、ジョンの部屋だった。ジョンたち以外に、数人しか住んでいない、人気のないアパートだが、ジョンは気に入っている。
何より静かでいい。ジョンは赤いカーペットが引かれた通路を歩き、自分の部屋のとびらを開けた。とびらが開く音を聞きつけて女が、玄関まで出向いてきた。
「お帰りなさい!」
帰りを待ってくれている人が私にもできたのか、とジョンは何ともいえない気持ちになった。
「ただいま。キクナ――」




