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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case10 制裁の程度

 ジョンはわざとらしく、踵をコツコツ鳴らしながら近寄ってゆく。建物に反響した音は、想像以上に大きく響いた。この音に怯んで、逃げ出してくれれば儲けものだ、とジョンは思った。


 しかし強姦魔は一瞬動きを止めたものの、今度は、救えるもんなら救ってやれよ、とでも言いたげな態度でさっきよりも大胆に、女を襲いはじめた。


 人に見つかっても怯むことなく挑発的で、その大胆さは常習犯の証拠である。この強姦魔は、かなりの女を泣かせてきたに違いない。


 はじめは争う気などなかったジョンの心が変わった。こいつはこの世に生かしていちゃ駄目だ、と。


 ジョンは路地裏の入り口に立ち、「その女を離してやれ」と警告した。ジョンの言葉を警告と取ったかどうかは、定かではないが。通路の物陰から、低い男の声がした。


「死にたくなかったら、立ち去りな」


 犯行現場を目撃されているというのに、強姦魔は怯むどころか逆に楽しんでいるようである。


「私が立ち去ったら、その女を離してやるのか」ジョンは挑発的に言い返した。


 すると強姦魔は鼻で笑いながら、「ああ、終わったらな。だからあっちいってな」と不敵にいった。


 どしてそこまで自信満々でいられるのか、ジョンは不思議で仕方がなかった。


「たす、け、てくだ、さい!」


 というくぐもった女の声が聞こえた。男に口を抑えられているようで、つっかえつっかえで意味をなしていなかった。


 ジョンは男のいうことを無視して、二、三歩前進した。月は雲に隠れ、あたりは闇に包まれた。常人には何も見えない暗黒。

 しかし、夜行性動物のように夜目がきくジョンには、ハッキリと見えた。女は服を破られ、無残にも乳房があらわになり、男に組み倒されていた。


「た、すけて!」最後の力を振り絞るように、女は声を絞り出した。


「静かにしろよ! 何も殺そうとしてんじゃねーだろうが!」


 ジョンは男の眼の前に立ち、見下ろした。

 野獣のような鋭い眼つきでジョンを睨みながら、強姦魔は立ち上がった。ジョンよりも頭一つ分ほど身長が高かった。


「その正義感に殺されるんだよ。女を助けたって何の得がおまえにあるってんだ? あ?」


 高圧的にそういって、強姦魔は懐に手を入れた。

 強姦魔が懐から取り出した物は、折りたたみ式のナイフだった。


「そうか、分かった。助けて自分が女とやろってか! な、そうだよな。男が下心もないのに、女を助けるわけねぇーよな」強姦魔は下衆な笑みを浮かべながらいった。


「だったら、先ゆずってやるよ。な、その方がお互い、争わなくて良いだろ? 俺はおまえを刺さなくてすむし、おまえも痛い目を見なくてすむ。な、そうしようぜ。先にやれよ」


 と、べらべらしゃべりながら、刃渡り7、8㎝ほどのナイフを強姦魔は大袈裟に見せびらかしてきた。

 ナイフを見せれば、怖気づくとでも思っているのだろうか。きっと以前にも正義感のある誰かに、同じ提案を持ち掛けたに違いない。


 そのときその人物はどうしたのだろうか。強姦魔の提案に乗ったのか、それとも、正義感を貫いて刺されたか。


 まぁ、今考えるようなことではない。今考えるべきことは、この強姦魔は今までもこうして、犯罪を繰り返していきている、ということだ。しかし今回でこの男にも罰が下る。


 こういう奴に限って威勢はいいが、弱い。しょせん力で女を従わせることしかできない、弱い奴なのだ。

 スタスタとジョンは強姦魔に目と鼻の先まで、近づき右手を振り上げた。


 強姦魔は突然の出来事を、呆然と立ち尽くして見ているだけだった。いや、頭が追いつかなかったのかもしれない。

 

 砲丸をぶつけられたような衝撃が右頬を貫いて強姦魔は、はじめて自分が殴られたことを悟った。今まで反撃されたことなどなかったようで、油断していたらしく、受け身も取ることはなかった。

 

 強姦魔は右頬を両手でおさえながら、背中から倒れ込んだ。しばらくの間、男は足をばたつかせながら悶絶していた。


「いっぃてー……!」


 この女の目がなかったらこんな野獣、今にでも殺しているところだ。まったく運がいい犯人だ、とジョンは思った。しかし、命までは奪えなくとも手ぬるいままでは駄目だ。


 ジョンは右頬をおさえて、のたうち回る強姦魔の顔にもう一度こぶしをたたき込んだ。こんどは左手で左頬に強打を浴びせる。

 小枝が折れたときのような、ポキという軽快な音と共に、頬骨が砕けた感触がこぶしを伝わった。


 これ以上殴ったらこいつは、確実に死んでしまうだろうな。ジョンは経験上、そのことが分かった。しかし、ジョンの鉄拳は止まらなかった。


 しばらく、一方的な暴力が続き、ジョンの意識を取り戻させたのは、女の怯え切った声だった。「も……もうやめてください……!」


 そこ言葉でジョンの動きは止まった。どうして自分を犯そうとした相手をかばうのか。この女も男を殺してしまいたいほど、憎いはずだろうに。


 ジョンには理解できなかった。そこでジョンは初めてその女が、酒場でウエイトレスをしていた女であることを知った。


 胸元から破られた服を両手で、かばうように掴んで胸を隠していた。

 女からはジョンの姿はシルエットとしてしか、見えていない。ここはそれほどまでに暗いのだ。

 

「そ……それ以上、殴ったらその人……死んじゃいますよ……」女の声は震えていた。


 助かったというのに、どうしてまだ震えているのだろうか? 

 そこでジョンは気付いた。この女は、この私に怯えているのだと。ジョンは着ていたブラウン色のコートを脱ぎ、女のはだけた服の上に投げた。


「そのコートは君にあげるよ。この男が目覚める前に逃げるんだ」


 その言葉だけを言い残し、ジョンは裏路地から立ち去った。

 

 それから、数日が経ったころジョンは再び仕事の関係で女が働く、酒場を訪れていた。

 張り込んでいた男が帰り、ジョンも店を出ようとしたとき、女がジョンの元までやって来ていったのだ。


「先日は助けてくれてありがとうございました!」と、礼儀正しく頭を下げた。


 ジョンは一瞬なんのことを言われているのか、分からなかった。困惑気味な顔を女に向けると、女は察してくれたらしく、言い直す。


「先日、あたしが襲われているときに助けてくれたのは、あなたですよね?」


 ああ、そのことか。この女はあんな真っ暗な中、ジョンの顔を識別できたというのか。ジョンにはそのことの方が驚きだった。その驚きは口に出ていた。


「どうして、私だと思うんだ? 見えていたのか」


 すると女は、少し頬を紅にそめながら、微笑んだ。


「声ですよ。あのときの声はたしかに、あなたの声でした」


 迂闊(うかつ)だったな、と思ったころには遅かった。しかし、声だけで分かったというだけでは、腑に落ちない。


「声だけで分かるのか。似たような声の人間なんて、捜せばいくらでもいるぞ」ジョンがそう指摘すると、女はまるで刑事のように次から次へと証拠を上げた。


「あなたが私に掛けてくれた、コートです。いつもあのコートを着て来ているのに、今は着ていないじゃないですか」


 ジョンは自分の服装を見下ろす。たしかにいつもはブラウン色のコートを着ていたが、今回は黒いコートだった。またも迂闊だったことを痛感させられた。


「ちょっと待っててくださいね。あのコート持ってきますから」そう言い残して、女が踵を返したとき、ジョンはいった。


「いや、いい。あのコートは君にあげたものだ」


 すると女は振り返り、顔を少し紅くさせ嬉しそうにいった。「いいんですか。もらっちゃって?」


 ジョンはうなずく。

 それがその女との出会いだった。


 気が付けば、ジョンは帰ってきていたようだ。アパートの一階突き当りが、ジョンの部屋だった。ジョンたち以外に、数人しか住んでいない、人気のないアパートだが、ジョンは気に入っている。


 何より静かでいい。ジョンは赤いカーペットが引かれた通路を歩き、自分の部屋のとびらを開けた。とびらが開く音を聞きつけて女が、玄関まで出向いてきた。


「お帰りなさい!」


 帰りを待ってくれている人が私にもできたのか、とジョンは何ともいえない気持ちになった。


「ただいま。キクナ――」

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