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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case8 ストリートファミリー

 少年は彼をつま先から順グリンに見て回った。ボロボロになり泥で汚れた靴。膝に穴が開いたズボン。雑巾のような色になっている服。ぼさぼさになった髪。誰が見ても明らかだった。


「……ああ、そうだったのか……すまなかったな。紙袋を大事そうに抱えているもんだから。よほど値打ちのあるもんが入ってると思ったんだ……」


 といって、少年は彼に紙袋を押し返した。

 話せば通じる奴なのかもしれないな、と思った彼。


「ああ、返してくれればいんだ」彼は紙袋を受け取りながらいった。 


「ところで、その紙袋には何が入ってるんだ?」


 少年は紙袋を指さしていった。彼は紙袋を開き、中身を見せてやる。


「何だよ。ただのパンかよ……。これじゃあ、ひったくり損だよな」


 そう言われると、なぜかひったくられた被害者側が、申し訳ない気持ちになってしまう。いや、悪いのはおれじゃなくて、君だろ! と彼は心の中で首をブンブン振りながら考え直す。

 

「悪かったな、だけどおれには大切な物なんだよ……」


 少年は彼を横目に見て、


「まあ、たしかにそうだよな。食べ物は大切だ。うん、宝石や金なんかより、食べ物の方が大切なんだもんな。俺たちも食い物を買うために、盗みを働いてるんだから。おまえの言うことは正しいよ」


 と、まるで兄が弟に、説法をたれるようにいった。


「取ったりして悪かったな、許してくれや。悪気があったわけじゃないんだ」そういって少年が踵を返した。「それじゃあ、あばよ」と手を振って去ってゆく。


 そのとき、彼は少年を呼び止めた。


「あ、ちょっと、待ってくれ……」


「ん? なんだよ。まだ何かようか?」少年は足を止めて、振り返った。


 彼はもじもじしながら困惑気味に、「帰り道がわからないんだ……」と打ち明けた。


「ああ、この街の路地裏は入り組んでるからな。たしかに俺を追いかけて、こんな深いところまで来たんだから、分からなくなって当然か」


 少年も参ったなぁ~、というようにこめかみを掻いた。


「よし!」と少年は手を合わせ、「俺が家まで送ってやるよ。この辺りは結構ヤバいからな。――家はどこだ?」と彼に問うた。


 しばらく待っても彼が答えないことを、不思議に思った少年は、「どうした……」と心配そうにいった。


「帰る家が分からないんだ……」


 少年は眉間にしわを寄せた。まるで聞いちゃまずいことを聞いてしまった、人間の顔だ。


「あぁ……おまえも俺たちと同じなんだな……」


 彼には俺たちと同じなんだな、の意味が分からなかった。

 いったいどういう意味で、この少年は言葉を発したのだろうか。


「今まで、おまえはどこで寝起きしてたんだ?」


 どこで寝起きしてたんだ、と聞かれてもどう答えればいいのだろうか。自分が何て名前の街にいるのかも分からないのに。憶えていない彼にとって、答えようがなかった。


「道端だよ」


 とだけ答えておく。

 しばらくのあいだ、少年は頭を掻きながら何かを悩んでいる様子だった。ときたま彼の顔をうかがい、そしてまた頭を掻く。それを数分繰り返した。そして、いった。


「おまえの親はどうしたんだ……?」


 その質問も答えられるものではない。両親の顔も、名前すら憶えていないのだから。自分がいまこうして、生きているのだから父と母がいたことは間違いないのだが。何も憶えていない。


「分からない……」


「捨てられたのか……?」


 彼は首を振る。


「分からないんだ……。両親の顔も名前も憶えていないんだ……。自分のことは何一つ憶えていない……」


 するとまた少年は、頭を掻きながら考え込んだ。

 以前ほどは、時間がかからずに少年は言葉を発した。


「家も両親の顔も名前も分からない、自分のことも分からない、か……。つまり帰るところがないってことだよな?」


 帰るところ、とは家のことだろうか。

 だとしたら、帰るところは思い浮かばない。


「ああ……ないんだと思う」


「だったら」少年は親指で背後を指差しながら、「俺たちと一緒にこないか?」と微笑み、いった。


「一緒にこないか……?」彼は少年の言葉を片言の外国人のように反復した。


「ああ、この辺りにいる奴らはな、帰るところのない奴らが寄り集まって生きているんだ。おまえも帰るところがないなら。俺たちと来いよ」


 帰るところがない奴ら、その中におれも入っているのだろうか。彼はどう答えていいのか考えあぐねていると、少年が続けていった。


「一人でこの残酷な世界を生きるより、俺たちと一緒に生きた方が楽しいし、助け合えると思うんだ。口が悪い奴が多いいが、みんな良い奴らだぜ」


 おれなんかが、仲間に入っていいのだろうか。おれみたいな部外者が突然、仲間に入っていいのだろうか、と彼は考えた。

 すると街道で過ごした、数か月の記憶が思い返された。


 あのごみでも見るような眼。やり場のない、悔しさ。寂しさ。辛さ。憎しみ。なによりも辛くて、憎かったのは、自分を幽霊のように、この世にいない物のようにして通り過ぎる人間たちだった。


 こいつらなら、おれを一人の人間としてみてくれるのかな……。気が付くと彼の口から、言葉が、本音が漏れていた。


「おまえたちの仲間に入っていいのか……?」


 少年は今までに見たどんな人間よりも、やさしいさを帯びた笑顔でハッキリいった。


「ああ、当然だろ。――今日から俺たちの家族だ」


 家族……。意味としては知っていたが、まさか自分にその言葉が使われようとは、彼は想像したこともなかった。


「家族……。おれをおまえたち家族に入れてくれるのか……?」


「なに馬鹿なこといってんだ? 当然だろ、今日から俺たちは家族だ」


 自分の頬を、なにか温かいものが伝うのを彼は気が付いた。

 その日、彼は憶えている限りで、はじめて涙を流した。

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