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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case7 盗み

 彼は人垣を掻き分けながら、街を歩いていた。

 彼にぶつかった人間は、顔をしかめごみでも払うかのように服を払った。彼は男からもらった、パンの紙袋を大切に抱えていた。


 べつに、行き場所があって歩いているのではない。ただ歩きたいから、歩いているだけだ。

 ごみのようにあんな場所にただ、座っていたら気分までごみのようになってしまう。そう彼は思ったのだ。


 ただ歩くことだけに、神経を集中させていれば余計なことを考えないですむ。歩きながら、人間を観察する。

 人間ほど観察しがいのある動物はいない。


 姿形は同じなのに、身に着けているものはみんな違う。彼のように粗末な服を着ている者もいれば、蝶々のようにきらびやかな服に身を包んでいる者もいる。

 

 そして誰もかれもが、何かの目的があって行動しているのか、みんな慌てていた。いったい、どうしてそれほどまでに慌てないといけないんだろう、彼は不思議で仕方なかった。


 誰もが彼を避けて通るので、まるで旧約聖書、出エジプト記のモーセが海を割った場面のように見えた。誰も彼とは関わろうとしない。


 誰もが道を開けてくれるので、歩きづらいことはなかった。しかしいい気はしない。

 どうして同じ人間なのに、まるで獣でも見るような眼をおれに向けるのか? 彼は不思議でしょうがなかった。


 誰もが道を開けてくれるので、眼をつむってでも歩くことができる。これはこれで、優越感のようなものを感じられて良いかもしれない。

 試しに目をつむって歩いてみるとにした。


 見なくても、誰にもぶつからない。

 心の中に神経を集中させたら、不思議なことにまるで街道を独占しているかのように感じられた。

 誰もいない街道を彼はひた歩く。


 そのときだった。誰にもぶつかるはずがない、と思っていた彼の体に衝撃が襲った。あまりの衝撃に彼は、倒れ込んだ。

 両手を地面につき、擦り切れヒリヒリする痛みを感じた。


 慌てて彼は周辺を見渡す。いったい誰がおれにぶつかったんだ、と。目を走らせると、一人かけ去ってゆく子供が目に入った。


 その子供の手には、紙袋が握られていた。

 そのときはまだ、その紙袋が自分のものだとは思っていなかった。


 まさかあんな物をひったくられるとは、思わなかったからだ。

 どこかにあるはずの紙袋を探すと、それがどこにもないことに気が付き。初めて、あのひったくりが持っていた紙袋が自分の物であることが分かった。


 彼は痛みなど忘れ、ひったくりを追いかけた。どうして紙袋などに、そこまで必死になるのか自分でも分からなかった。

 しいていうなら、あのパンが自分を救ってくれたかもしれないから、だから彼は、紙袋を取り返そうと必死になった。


 ひったくりは、裏路地に曲がった。

 彼も一足遅れて、裏路地に入った。ひったくりが、目の前を走り抜けてゆく。

 彼もあとを追った。自分にまだ走る力が残っていたことが、新鮮であり、不思議だった。


 裏路地には彼のような人間がいて、誰も彼を異邦人のように見る者はいない。


 舗装され道よりも彼にしたら、この凸凹(でこぼこ)で異臭のする裏道の方が性に合っていた。

 道端には、ボロボロのコートを毛布のようにかぶった、男が眠っている。彼はその男を踏み越えるかたちで、ひったくりを追う。


 路地裏はまるで迷路だった。一度迷ってしまえば戻れない、迷路。どこもかしこも、同じように見える。

 右を見ても、左を見ても、後ろを見ても、前を見ても。上を見ても、下を見てもだ。すべて同じに見えた。


 このまま深追いするのは、まずいかもしれない、という考えが彼の頭をよぎった。

 きっと、あのひったくりはこの路地裏を熟知しているんだ。だからここに逃げ込んだ。


 きっと今まで、何度も同じ手口でひったくりを繰り返してきたのだろう。しかしそれが悪いことだとは、思わなかった。

 生きるためには仕方のないことだ。


 ストリートチルドレンなど、この街には沢山いる。

 それをいちいち、気に留めていたら身が持たない。


 許せないのは、ひったくりを働いたからじゃない。どうして周りを見れば、裕福で着飾った人間が沢山いたのに、そんな中からおれ選んだのか、ということが無性に腹が立った。

 彼にはそのことが許せなかった。

 体の奥から、ムカムカする何か怒りのようなものが押し上げてくる。


 この感情は何なのだろうか。

 彼はその感情に流されるまま、走った。


 すると自分でも信じられないような、とてつもない力が彼の体を取り巻いた。気が付けば彼はひったくりの左腕を、掴んでいた。

 

 驚いた顔で、ひったくりは振り返った。

 そのひったくりは、十二、三歳ほどに見える少年だった。


「どうして……」


 少年は猿のように、呆けた顔で彼を見た。

 どうして、おれに追いついたんだ、と言いたげに。


「返せよ!」


 彼がそう怒鳴ると、少年は何をいわれているのか分からない、という顔をした。分かるように彼は少年が右手に持った、紙袋を指さしていった。


「その紙袋を返せ!」


 彼が指さす軌道に目を這わせ、少年は自分が右手に持っている紙袋を見た。やっと何を言われているのか、分かったようで、


「おまえがボケっと、歩いてるから悪いんだろうが」


 と、理不尽な逆切れで少年は言い返す。

 そのあまりに正当そうに聞こえる物言いに、彼は一瞬、たしかにそうだ、と思ってしまった。

 しかしよく考えれば、おれは悪くない、と当然のことに気付いた。


「大事な物なんだよ……。返してくれ!」


 少年は顔をしかめた。

 まるで親に叱られた、子供のような顔だ。


「ケッ、そんなに怒ることはねえだろ。おまえら見てえな恵まれてる奴は少しぐらい、慈悲ってもんを覚えるべきだぜ」


「おれが恵まれてるように見えるか?」


 彼がそう自嘲気味にいうと、少年は彼の姿を足先から順に見た。

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