表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
38/323

file36 『人と獣は交われない』

 私は少年のもとに、再び戻ってきた。少年は動くこともなく、同じ場所に座り込んでいる。ここに戻ってくるあいだ中、私は考えていた。

 あの少年はなにも、『悪』を行っていないではないのか。もし、行っていても、したくてしているわけではないのではないか。

「少年……君は悪いことを、したことがあるか?」

 少年は私の顔を見て、うつむき、再び、私の顔を見た。

「ああ、悪いことをしない人間はいねえよ。おれも、悪いことなんざぁ沢山したよ……」

 悪いことを犯した人間を、私は殺してきた。

 しかし、私は正しかったのだろうか。中には少年のような人間がいたのではないか。

 できない、私には少年を楽にしてやることができない。少年のことを想うなら、いますぐ逝かせてやるべきだ。しかし、私にはできない。

 少年は悪くないからだ。悪いのは、少年ではなく環境だからだ。こんな気を起こすとは、まったく、何の気まぐれなのだろう。今日の私はおかしい。

「少年……救ってやれなくてすまない……」

「気にするなって。兄ちゃんは、おれにパンを恵んでくれたじゃねぇか。おれはそれで救われたよ」

 少年が理解した、『救い』と私が言った、『救い』は別物だったかもしれない。

 しかし、少年は救われたといった。

 この少年は救われたのだ。私が救わなくても、いまの少年は救われている。

「そうか……生きろよ。苦しくても、生きていれば、良いことがある」

 そう、生きていれば良いこともある。

「ああ! ありがとな兄ちゃん。生きれるだけ生きてみるよ」

 少年の笑顔を初めてみた、日だった。


 私は家の扉を開けた。女が私にいう。

「お帰りなさい!」

 私は泣き笑いのような顔を作り言った。

「ただいま、キクナ――」

 バートンは耳を疑った。


「私とトローキンさんは昔からの付き合いでしたから。私もあのときは、驚きましたよ。仲間が惨い姿で発見されて」


 キプスのその発言に、キクマは心底おかしそうな態度をとった。


「よくいえたもんだな」


 キクマの言葉にキプスは微笑んだ。


「たしかに、私が言うのはおかしいですね。つい最近まで私も、あの事件の犯人がトローキンさんだとは知らなかったんです。以前、トローキンさんと酒を飲みかわす機会があって、そのとき、酔ったトローキンさんがポロりと、もらしたんですよ。

『ドネリ君すまない。本当にすまない』と。どうして謝るんだ、と私が訊きますと、トローキンさんは、『ドネリ君を殺したのはおれなんだ』と告白したんです」


 それが本当だとしたら、以前、トローキンはどんな気持ちで、自分たちに語ってくれたのだろうか。


「獲物が見つからず、いら立っていたトローキンさんは樹の間で、動く動物を見つけたそうです。トローキンさんはすかさず、発砲しました。普通、猟師はあんな間違いしないのですが、まだあのときのトローキンさんは若かったし、苛立ちで判断力を削がれていたのでしょ」


 そこまで一息にいって、「その動いたものとは、ドネリ君だったんですよ」とキクマとバートンを交互に見て、キプスは笑った。


 獲物と人間を間違って撃った……トローキンはそのことを、今まで隠していた、ということか。


「自分が撃ってしまったのが、ドネリ君であったことを知り、トローキンさんはパニックになりました。そのときのトローキンさんの頭に、ある怪物の伝説が浮かんだそうです。

『怪物のせいにしよう』と思ったそうです。トローキンさんは持っていたナイフで、死体をズタズタに切り裂きました。その死体を私たちが発見した、というわけです」


 キクマは顔を歪めた。


「それと、お前がトローキンを殺した、動機がどう関係してるってんだ」


「トローキンさんは私に言ったんです。『殺してくれ』、と。あの事件以来、トローキンさんはずっと、罪の意識に悩み続けていました。何度も自殺を考えたことがあるそうです。だけど、死にきれなかった」


 そこで、いったんキプスは黙り、「もう、トローキンさんは十分罪を償った。だから、私が楽にしてあげたんです。人間が唯一、救済されるのは『死』、だけですからね」と恍惚に答えた。


「ど、どうして……あんな森の奥まで連れて行って、殺す必要があったんですか……?」


 バートンは話に割り込んだ。とても、言葉を出せる状況じゃなかったが、聞かずにはいられない質問だったのだ。


「トローキンさんがいったんです。『あの森で、ドネリ君を殺してしまった。自分もあの森で、同じ殺し方で殺して欲しい』と。私にいったんです。つまり、目には目を歯には歯を、自分が犯した、罪と同じ、殺し方で、殺してほしいと。

 それで私はあることを思いつきました。トローキンさんを殺したあと、獣の毛皮を着せて犯人に仕立て上げよう、と。私は獣の皮を集めていましたから、人間が一人入ることができる、着ぐるみを作るのは容易でした」


「なんてことを……」


 バートンは絶句した。

 他に言葉が出せなかった。


「あとは、トローキンさんは自分の足で、森の奥まで入って、私が猟銃で撃ちました。猟銃で撃たれるのが、彼の望みだったんです。そこからは刑事さんたちが知っている通りです。

 私は森を出て、警察の方たちの道案内をした。そして、私はあの場所まで誘導して、私がさも発見したふうを装って、樹にもたれ掛けさせていた、トローキンさんを再び撃たんです」


 そこで、キプスはため息をつき、「上手くだませたと思ったんですが、あんな場所に目撃者がいたとは思ってもいませんでしたね」心底、不思議そうな顔をした。

 

 キプスの説明で、すべてはつながった。トローキンは昔、誤って殺してしまった、親友のことで思い悩んでいた。その罪の意識を酔いで、キプスにすべて話してしまったんだ。


 そして、罪の償いとして、自分もあの森で同じ殺され方を選んだ。それを、キプスが利用した。


 どうして、そんな惨いことができるんだ、バートンはキプスを同じ人間とは思えなかった。こいつこそ、獣の皮を被った悪魔じゃないか。


「最後だ。ビーンはどうして殺したんだ」


「あの人はこの村でも有名な、根っからなの悪ですよ。人からお金を巻き上げ、暴力で相手を支配する。昔レイプも犯した、と自慢そうに言いました。少し痛い目にあわしたら、すぐに白状しましたよ」


「だからやったてぇーのか」


 キプスはキクマの目を真っすぐに見て、うなずいた。

 キプスのその瞳には、奥深く広がる暗黒があった。


 いったい、どんな育ち方をすれば、このような怪物が生まれるのか。昔騒がれていた、という怪物の伝説より、バートンはキプスの方が恐ろしく思えた。 


「ふん、胸糞わりい」といい、キクマは腕時計に視線を落とした。


「もう時間だ」とキプスに言い放つ。


 キプスは暴れることもなく、大きくうなずいた。

 暴れないのが一層、バートンの恐怖を駆り立てた。

 本当に暴れないのだろうか。隙をうかがっているだけではないのか。


 いま、この瞬間に背中を見せれば、襲い掛かってくるのではないか。バートンの方が格段に若いし、背も高いのに、戦って勝てる気がみじんもしなかった。


 キプスがその気になれば一瞬で、あの被害者のような(むくろ)と化すんじゃないかと、恐ろしかった。


「ええ、行きましょうか」


 そう言い、キプスは立ち上がった。本当に、抵抗一つしないのか。

 もう、一生帰って来られない場所に行くというのに、まるで近所に散歩に行くかのような気やすさを、その声からは感じ取れる。


 キクマとバートンがキプスの両脇に立ち、二人の車まで誘導する。キプスと接近するのが、恐ろしくて仕方がない。キクマはどう思っているのだろう。

 

 キプスを数ミリも恐れている気配が感じられない。改めて、キクマ・ランドーズという男を尊敬した。


 外に出ると、いままでの緊迫した空間とは打って変わって、村の家々の明かりがつき、事件が解決した安心感に浸っていた。

 

 村人たちはまだ、真犯人がキプスだったことを知らないのだ。

 最後にキプスは家の中に視線をやり小さく、「私は解放されたのだろうか。本当にこれで解放されたのだろうか」とつぶやいた。

 

 その声はキクマにもバートンにも聞こえなかった。なぜなら、キプスの心の声だったからだ。キプスは村の者に知られることもなく、静かに村から去ったのだ。


 *


 後日、キプスの家に捜索が入った。キプスが凶器に使ったという、獣のしゃれこうべを調べると、大量のルミノール反応が見つかり、牙の間から肉片が発見された。

 

 取調官がいままでのキプスから犯行と、二十年前の事件との関係性。その他にも、キプスが犯したであろう、犯罪の数々を取り調べたが、キプスは黙秘を貫いていた。


 死刑は決定しているものの、今までにキプスが犯した犯罪の照合が終わるまで、まだまだ延期になるという。犯罪を犯せば、犯すほど。人を殺せば、殺すほど、死刑が延長されるのはおかしな話だ。

 

 このままでは、キプスは罰を受けることなく、獄中で老死でもするだろう。それまで、牢獄の中には、世間を震撼させた、連続殺人犯が幽閉されているのだった――。

 ミノタウロスは成長するに従い、手が付けられなくなっていった。半獣半人の獣は誰も抑えることができず、自堕落な生活にふける。困り果てた、パシパエは名工ダイダロスに命じ、脱獄不可能の迷宮、ラビリンスを造らせた。


 そこに、獣を閉じ込めた。

 そして、獣の機嫌を取るため、九年に一度、七人の少年、少女をラビリンスに放った。

 ミノタウロスは、今も生贄を探し、ラビリンスを彷徨い歩いている――。


第一部 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 第一部お疲れ様です!! いや、ほんと面白かったです! 特に追い詰めてから?まぁ、精神的なことで言えばどっちが追い詰められてたかはわかりませんが、、、 最後の3話くらいはもう文句無しですね…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ