file32 『ある人の哲学』
「すまないな。俺たちは客じゃない。ちょっと、話を訊きたいだけだ」
そういって入ってきたのは、黒いスーツを着た二人組だった。
二人とも目つきが、良くいえば、鋭く、悪くいえば、悪かった。
かもし出す、オーラも堅気の者とは思えない。
誰が、どう見てもマフィアだった。
一人はアジア系の顔をした、二十代後半から三十代くらいの男で。もう一人は、四十後半から五十代前半。いや、六十代にも見えなくはない男だ。
「なんだ、客じゃないのか」
マスターはそういい、スキンヘッドを掻いて、
「訊きたいことはなんだよ」
と二人に問う。
「最近この街で、連続殺人事件が起きているだろ」
五十代男がいう。
「ああ、それがなんだよ」
「その、事件のことで、知っていることがあったら、教えて欲しんだが」
「ああ、俺は何にも知らないんだ」
と、マスターがいい、続けて、
「しかし、この兄ちゃんならなんか、知ってんじゃねーか。今さっき、知ったようなこと言ってたぜ」
マスターは私の背中をたたいた。本人は軽くたたいたつもりだろうが、丸太でたたかれたような衝撃を受けた。
「兄ちゃん、何か知ってるのか?」
五十代男はマスターから、私に話題をふった。私は男の顔を真正面から、見返し、
「いえ、何も知りませんね」
と答えた。
「おいおいおい、兄ちゃん、さっき知ったようなこと言ってたじゃねーか!」
マスターが両手を広げ、私に驚いた顔を向ける。すると、五十代男は、
「ああ、そうか。くつろいでいるところを、邪魔して悪かったな。おやじ機会があったら、こんどは客としてくるよ」
と、言い残し踵を返した。
そして、さっきから私を睨むように、見ていた若い方の男に、五十代男はいった。
「おい、キクマ、行くぞ――」
その男は、キクマといった。
「トローキンさんは二十年以上前にも、類似の事件を起こしていた、ということですか?」
「ここまで似ていると二十年以上前の事件と同一人物の可能性が高いです。二十年前の事件の被害者たちは内臓を食い破るような殺され方をされていた、と聞きます。
そして、今回の事件の犯人も内臓を食い破るような、殺害方法を取っている。犯人が狼みたいな猛獣でもない限り、そんな残酷な殺し方をあえてしないでしょ」
バートンは一端間を置き、前髪のすき間から、キプスの表情をうかがう。キプスは眉根を数ミリも動かさず、口をへの字に引き結んでバートンの話を聞いていた。
「犯人は内臓を食い破るような殺し方を、あえて選んでいるように思えるんですよ。まるで、犯人のポリシーのように――」
「殺しのポリシーですか。だったら、その事件の犯人はそうとうな精神異常者だということですね」
窓から差し込む夕日が、橙色にキプスの顔を染めた。目のくぼみに、影が差し、パンダのような影の中から鋭い眼光だけが異常に輝いていた。
「そんな事件を起こす犯人は殺しの動機よりも、殺しを楽しんでいる傾向にあるそうです」
「楽しんでいる、というよりも、その犯人には殺しが必要だったんじゃないですか。人間が、家畜を殺すのと同じように」
キプスは理解されない性癖を、なにがなんでも理解させようとするかのように、犯罪心理を説明した。
「――バートンさんは人間はどういう思いで、家畜を殺していると思いますか」
バートンは言い渋る。いつの間にか、話のペースを乱されているように感じたからだ。
「食べるためだと思いますが……」
「食べるため、そうです。食べるために殺しています。人間は生きるために、食べるために動物を殺しています。
その二十年以上前の事件の犯人も人間が、家畜を食べるのと同じように、殺しが必要だったのではないですか。――と、まあ、知ったようなことを言って申し訳ありません」
窓から差す夕日は夕と夜の狭間で溶け合い、色々な絵の具がない混ぜになったような不気味な色になっていた。
色々な色が混ざると、それは決まって、黒になる。
気が付けば、色々な色がない混ぜになった空は、夜になっていた。
キプスが窓の外を一瞥して、「暗くなりましたね、電気を点けましょう」と壁際にある、電気のスイッチを押した。点いたり、消えたりを二、三回繰り返し、明かりが点いた。
「キプスさん、あなたはこの村の人間ではないそうですね。村の人から聞きました。僕はてっきり、この村にずっと住んでいるのかと思っていたから。若いときから、この村の人と猟をしている、と前に聞いたもので」
キプスは電気を点け終えると、ゆっくりとバートンが腰かけている、ソファーの前方に再び腰を下した。瞼をつむると、眼球にそって瞼が動く。
もう一度キプスが目を開いたとき、バートンの目を真っすぐに見据え、「ええ、私はこの村の人間ではありません」とソファーに背中を預けた。
「この村にはよく、狩りをしに来ていましたが、この村の人間ではありません。この家も別荘みたいなものですね。たまにここに来て、数日間滞在するんですよ。普段はドルドーニュに住んでいます」
「ドルドーニュですか、実は二十年前の事件もドルドーニュ付近で起きたんですよ。事件の噂を聞いたことがあるんじゃないですか? もし、何か知ってたら教えてもらいたいのですが。まだ未解決なもので」
と、バートンはいう。
「ああ、思い出した。もしかしたらあの事件のことかも知れませんね。二十年以上前かどうかは憶えていませんが、確かに昔、そんな事件が騒がれていた記憶があります」
「話していただけますか……」
バートンが言うと、キプスはうなずいて続ける。
「話してあげたいのは山々なんですが、私も詳しくは知りません。私が知っているのは、二十人以上の人々が殺された、ということだけです。あのときはみんな騒いでましたね。ジャック・ザ・リッパーの再来と。次は自分が狙われるかも知れなかったのだから、当たり前ですが」
「どうしてそんなに客観的でいられるんですか? もしかしたら、自分が被害に遭うかも知れないのに」
「私は被害に遭っていませんからね。それに、噂で聞いたのですが、その事件の犯人は悪い人間しか襲わなかったそうです。実際に襲われた人間はみんな普通ではない人間だったそうですから」
淡々と話すキプスの顔はまるで、目の前に見える映像を説明しているようだった。
「普通でない、とは?」
「普通じゃないんですよ。虐待、窃盗、強姦、殺人、虐め、恐喝などを犯した犯罪者たちです」
キプスは初めて笑った。
その笑顔は屈託のない、まるで赤ん坊のように澄み切った笑顔だ。
「それはおかしい……中には犯罪者もいたかも知れませんが、殺されているのは女性や子供もいたって話じゃないですか」
キプスは一度、下を向き、再び顔を上げたときにはさっきまでの澄み切った、笑顔は消えていた。
「子供は優しいですか? 子供だからって、悪いことはしませんか? なんでも子供だからと許されますか? もし、その殺された子供たちが誰かを傷つけていたら、バートンさんならどうします?」
バートンは言いよどんだ。突然なにを言い出すんだ、この人は。
キプスの発言はどうしようもなく、静かだった。声を荒らげるのでもなく、落とすのでもなく、子供に言い聞かせるようでもなく、平坦な、感情の欠落した、静けさだった。




