file101 1969年7月16日
1969年7月16日、この日、全世界があるビックニュースに湧いていた。
人類が科学技術の粋を集めて創った、アポロ11号が宇宙に向けて打ちあがったのだ。メンバーは、ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンなどなどそうそうたる顔ぶれ。
これが成功すれば、人類は大きく飛躍する。
そして同じ日、人類にしてみれば小さいけれど、バートンたちにすればとても大きなニュースが知らされた。
ミロルが近々退院できる、というものだ。
ミロルの回復は目を見張るほどだった。
なくなった筋力を酷使することは、想像を絶するほど苦しいことだろうが、弱音を一言たりとも漏らすことなく頑張った。
ミロルは昔から根気強い性格で、弱音も吐かなかった。
自分一人で抱え込もうとすることがあるから、誰かが支えなければならない。
リハビリが苦しそうなときは、誰かが必ず彼を支えることにしていた。そのかいあってなのか、目覚めて半年が過ぎ、ミロルは殆ど日常生活に支障がきたさないほどに回復した。
記憶の方は全然想い出していないが、それでもかまわない。
想い出さなくとも、昔のことを知る自分たち語り部がいる。
映像技術のない時代、それよりもっと前、文字のない時代などは口伝えで記憶を伝承していったものだ。
ゆっくりと昔のことを話していけばいい。
まだ三十代、これから楽しい想い出をいくらでも作っていける。
そして、明日――ミロルは退院する。バートンたちは、ある計画の準備をはじめていた。そう、退院祝いのパーティーだ。
パーティーの場所はバートンの家。
そこにみんな集まってミロルを驚かす、というシナリオを考えたのはチャップだった。
パーティーの下準備をするために今日、皆がここに集まることになっている。
料理を作るのはセレナ、飾りつけなどはバートンたちで行った。
当然子供たちにも手伝わせる。
下準備は何とでもなるが、問題はプレゼントだった。
各自でプレゼントを用意することになっていたのだが、バートンはまだ何も用意していない……。
「おまえは何をプレゼントするんだ?」
手伝いに来ていたチャップが言った。
「まだ決めていないよ。チャップは何にするんだ?」
「おまえもかよ……。俺もまったく思いつかない……」
チャップは腕を組んで、首を傾けた。
「だよな……何が欲しいかもわからないしな……」
バートンとチャップは同じように腕を組んで首をかしげた。
一挙手一投足がシンクロしており、まるで兄弟のようだ。
「形あるものだけが、プレゼントじゃないわよ」
キッチンから姿をあらわしたセレナが言った。
背中までの髪を後ろで一括りし、前に流したポニーテールだった。
「確かにな」
チャップもうなずく。
「セレナは何をプレゼントするのか決めているのか?」
「まあね」
「何をプレゼントするんだ?」
「料理だけど」
「料理? プレゼントが?」
「だから、形あるものだけがプレゼントじゃないって。プレゼントは渡す人の想いが大切なの」
と、セレナが言ったとき、「あたし、形あるものの方がいいッ!」と花を花瓶に活けていたケイリーが口を挟んで来た。
セレナは肩をすくめて、ケイリーの方を見る。
「大きくなれば、あなたにもわかるわよ。形あるものだけがすべてじゃないの」
「だけど、形あるものの方が想い出にもなるよ」
「確かに、そうだろうけど、形あるものはいつかは壊れるっていうでしょ。あたし達があなたに買ってあげた人形とか、あなたどこにやったのよ? なくなったじゃない。だけど、あたし達が買ってあげて、あなたが遊んだって言う想い出は残っている。違う?」
セレナは頓智のように、ケイリーをあしらった。
「だけど、ママはパパに時計を送ったじゃない」
「だからね。形あるものでも、ないものでも想いが込められているのなら、プレゼントになるの」
いつの間にか、趣旨が少々ずれているのではないか?
これでは言い争いだ。
「じゃあ、パパに送った時計にはどういう想いが詰まっているの?」
セレナは方眉を持ち上げて、「これから、素敵な時間を一緒に築いて行きましょう、っていう想いを込めたの。それに実用的でしょ」と言った。
バートンは左手首に取り付けられた時計を肌に感じて、そんな想いが込められていたのか、と感動していた。
「やっぱり、実用的で形あるものの方がいいんじゃない」
言葉の綾を突いて、ケイリーは母に追撃を掛けるが、「屁理屈が多い」と言われ、言い返すことができなかった。
頬を膨らませて、ケイリーは納得いかなさそうだが、決着がついたのだった。母には口で敵わない。
「まあ、確かに形あるものがすべてじゃないよな」
ピリピリとした場の空気を和ませようと、バートンはできる限り明るい声でおどけてみせた。
セレナの言う通り、形あるものだけがプレゼントではない。
幅が広がった。
と、言っても何を渡すべきかは決まらないままだ……。
そうだな……、想い出になる何か……か。
バートンは昔のことを順番に想い出しながら、頭を捻った。想い出……想い出……。考えた末、バートンは一片の想い出にたどり着いた。
形に残るものじゃなくても、いい。
想い出になることなら――。
うん、決めた。あれを買おう。
*
あらかた掃除と下準備を終えて、一休みしていたときだった。
玄関の方で、ノッカーの三回鳴らされる音が聴こえた。
「お、来たんじゃないか」
チャップは猫のように耳を立てた。
セレナは立ち上がり、玄関に向かった。
誰が来たのだろう……? ソワソワしていると、女性が廊下からあらわれた。
一瞬どこの誰だかわからなかった。
男性と見まがうほどのショートカットで、男物の白いシャツとジーンズをはいた女性。知らない人物を招待しているはずがない。
「バートンくん、久しぶり」
その声を聞いてやっとバートンは該当する人物に照らし合わせた。
以前見たときはもう少し、髪が長かった。
髪を切ったことで一瞬わからなかったが、声を聞いてわかった。
「チトちゃんか――」




